1. 神殿再建の中断
・バビロン捕囚民は新しい支配者ペルシャ王キュロスの帰国許可により、前538年エルサレムへの帰還を始めた(エズラ1:5-11)。彼らは帰国後すぐにエルサレム神殿再建工事を始めるが、先住者の妨害や経済的困難により再建は頓挫した。15年後の前520年、その人々に神殿再建工事の着手を訴えたのが、預言者ハガイである。
―ハガイ1:1-2「ダレイオス王の第二年六月一日に、主の言葉が預言者ハガイを通して、ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュアに臨んだ。『万軍の主はこう言われる。この民は、まだ、主の神殿を再建する時は来ていないと言っている』」。
・神殿再建工事は神殿の基石がおかれた段階で中断していた。凶作や経済的困窮のために、必要な資材や労働力が不足していたためであろうと思われる。
−ハガイ1:3-7「主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。『今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく、飲んでも、酔うことがない。衣服を重ねても、温まることなく、金をかせぐ者がかせいでも穴のあいた袋に入れるようなものだ。万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ』」。
・ハガイが人々に訴えたのは、「自分を優先するのか、神を優先するのか」という問い掛けであった。なぜ収穫が少ないのか、なぜ報われないのか、それは自分を優先した結果ではないのかと。神の神殿が廃墟なのに、自分は板張りの家に住むのかと。今必要なことは「木を切り出して、神殿を建てる」ことだと。
−ハガイ1:8-11「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したがそれはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき、私はそれを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、私の神殿が廃虚のままであるのにお前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。それゆえ、お前たちの上に天は露を降らさず地は産物を出さなかった。私が干ばつを呼び寄せたので、それは、大地と山々と穀物の上に、新しいぶどう酒とオリーブ油と土地が産み出す物の上に、また人間と家畜とすべて人の労苦の上に及んだのだ」。
2.ハガイの呼びかけに応える人々
・ハガイの呼びかけは人々の心を動かし、神殿再建のための工事が始まる。中心になって人々を指導したのは、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアであった。
−ハガイ1:12-15「シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った。主の使者ハガイは、主の派遣に従い、民に告げて言った。『私はあなたたちと共にいる、と主は言われる』。主が、ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者すべての霊を奮い立たせられたので、彼らは出て行き、彼らの神、万軍の主の神殿を建てる作業に取りかかった。それは六月二十四日のことであった」。
・神殿は国民統合の象徴だった。従って神殿再建こそユダ復興の鍵だった。かつてのソロモンの神殿は7年の歳月と重税と強制労働によって建てられた。それに対してハガイは新しい神殿を民の自由意志による献金と労働で建てるように求めた。人々はハガイの訴えに心を揺り動かされ、無気力の代わりに労働意欲が、落胆の代わりに積極的熱意が生じた。東北大震災の復興は進んでいるが、福島地方の復興は進まない。国の原子力政策は揺らぎ、今後の生活の目処が立たないからだ。福島復興の鍵は何なのだろうか。ユダでは人々の熱意に主も応えられた。
-ハガイ2:18-19「この日以後、よく心に留めよ。この九月二十四日、主の神殿の基が置かれたこの日から、心に留めよ。倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブはまだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、私は祝福を与える」。
・復興の中心になったのは総督ゼルバベルであった。彼はダビデ王家の血を引き、ハガイはこのゼルバベルを通してユダ王国の再建を夢見、彼を「メシア」と呼ぶ。
−ハガイ2:21-23「ユダの総督ゼルバベルに告げよ。私は天と地を揺り動かす。私は国々の王座を倒し、異邦の国々の力を砕く・・・その日には・・・わが僕、シェアルティエルの子ゼルバベルよ、私はあなたを迎え入れる、と主は言われる。私はあなたを私の印章とする。私があなたを選んだからだ」。
・しかしゼルバベルの名はその後の歴史には現れない。歴史家はゼルバベルが支配者ペルシャによって危険視され(反乱を疑われ)、処刑されたのではないかと考えている。そしてこのゼルバベルこそ、イザヤ53章「主の僕」のモデルではないかと推察する。
-イザヤ53:8-10「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか、私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる」。
・人々の努力によって神殿は再建された(前515年)。だが中核になって働いたゼルバベルはそこにいない。ハガイの期待は裏切られた。しかしその絶望の中から新しい出来事が起こる。曽野綾子の描く「奇跡」はそのことを指し示す。
-ジョン・ズミラク「イエスは十字架上で無残に死んでいったが、死を前に、自分を殺そうとする者たちの赦しを祈ったとルカは伝える(ルカ23:34)。イエスが生涯において行った最も驚くべき奇跡は、苦しみの極みでの赦しだ。それは彼を十字架につけたローマ人の一人をも回心させた(ルカ23:47)」。
*ハガイ1章参考資料:思い通りにならない世の中において(曽野綾子「奇跡」トート号航海日誌読書録から)
・コルベ神父の殉教(ウィキペディア)「コルベはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に収監されていた。1941年7月末、収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いた時、そこにいたコルベは「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た。責任者であったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベは全く毅然としており、他の囚人を励ましていた。2週間後、当局はコルベを含む4人にフェノールを注射して殺害した」。
・コルベ神父がアウシュビッツ収容所で他人の身代わりになって飢餓室で処刑された話は、川下勝『コルベ』(読書録482)や遠藤周作『女の一生 二部・サチ子の場合』(読書録346)で読んだ。しかしこれら二書には、助かった男がその後どうなったかは書かれていない。曽野綾子・奇跡は、コルベ神父に助けられた男・フランチーシェック・ガイオニチェックのその後の人生を追い、インタビューをしている。ガイオニチェックはポーランドのブジェックという町に住んでいた。しかし彼が収容所で唯一生きる糧にしていた二人の息子は終戦前に戦闘で死んだという。曽野綾子は書く「何ということだろう。これが・・・この目を覆うばかりの惨憺たる事実が・・・コルベ神父が生命をかけて贖ったことの報いだったというのか」。彼女はガイオニチェックに尋ねる「神父さまにせっかく代っておもらいになって、それで子供さんたちを失われたことを知った時、生きるに価しない世の中だとお思いになりませんでしたか」。ガイオニチェック氏は静かに答えた。「本当に、息子ではなく、自分が死んだ方がよかった、と思う時がありました」(文庫版p116)。
・インタビューの後、曽野綾子は次のような感想をもらす。「そうか、この世とは、こんなものなのだな、と私は二十歳の未熟な青年が言いそうなことを心の中で呟いていた。コルベ神父は夏の二週間を水も与えられずに耐えて、なぶり殺しにされ、しかも、その結果、たった一軒の家庭の幸福さえも守り切れなかったのだ。何という厳しさなのだろう。世の中は、人間の善意や愛が、いつかは実を結ぶ話に満ち満ちている。テレビドラマも、小説も、その手のストーリーで、人の心をほのぼのとさせている。しかし私たちは、ほのぼのとさせられていて、果していいものなのか。それは、一種の欺瞞ではないのか。そんなことによって、私たちの心は別に清められもしなければ、希望をもつことにもならない。少なくとも、コルベ神父の死は、この世が、人間の善意などで救われるような甘いものではないことを教えている。神父が命をかけて、しかも事はならなかったのだ」(p117-118)。
・曽野綾子が「奇蹟」についてどう考えたか、本書には直接には記されていない。ただ曽野綾子は、コルベ神父が伝えた「或る精神の本質的な輝きこそが、永遠の生命なのではないか」と述べている(p208)。「或る精神の本質的な輝き」、分かりやすく言えば「愛」ということになるのだと思う。コルベ神父が示した「愛」が他の人に感化する、それが「奇蹟」なのではないだろうか。さらに遡れば、イエスの愛がコルベ神父に伝わっているという線が引かれる。これが「キリストの復活」であり、「奇蹟」なのではないか。