1.ユダヤ人の恐怖による過剰防衛
・ユダヤ人の復讐を次のように解釈した注解書がある。「エステル記のこの物語は旧約聖書の同害復讐法というテ−マを完璧に実践しているものである。『目には目、歯には歯』(出エジプト21:23−25)の実行を容認し、誇りにさえ思っている。そのようにして、この物語は、新約と比べるなら自らが無慈悲であることを証明しているのだ。」(『テインデル聖書注解、エステル記』ジョイス・G・ボ−ルドウイン、稲垣緋紗子訳、2011年)。しかし、9章の「ユダヤ人の復讐」が同害復讐法に則っているとは考えられない。
−エステル9:1−3「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、この王の命令と定めが実行されることとなった。それは敵がユダヤ人を征伐しょうとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。ユダヤ人はクセルクセス王の州のどこでも、自分たちの町で、迫害する者を滅ぼすために集合した。ユダヤ人に立ち向かう者は一人もいなかった。どの民族もユダヤ人に対する恐れに見舞われたからである。諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった」。
・「目には目、歯には歯」の教えは「やられたらやられた分だけやり返すが、それ以上には出ない」という加害者に弁償義務を負わせる反面、被害者の過度の報復を制限する意味がある。それは報復の拡大と、際限ない繰り返しを防ぐためであり、それが同害復讐法の精神である。しかし、「エステル記」の「ユダヤ人の復讐」は、ハマンのユダヤ人抹殺の計画が公布され、恐怖感に襲われたものの、事前に計画は頓挫し、実害はなかったのである。実害のないところに「目に目、歯には歯」の同害復讐法が成立しないのは明白である。これはやられる前に相手を叩き潰さねば生きておれぬという、不安からのユダヤ人の過剰防衛なのである。誰でも突然の権力の逆転は不気味で恐ろしい。ユダヤ人の敵も恐れをなし、立ち向かえる者がいなくなった。なかでもモルデカイに対する恐れは大きかったのである。
−エステル9:4−6「モルデカイは王宮で大きな勢力を持ち、その名声はすべての州に広がった。まさにこのモルデカイという人物は日の出の勢いであった。ユダヤ人は敵を一人残らず剣にかけて討ち殺し、滅ぼして、仇敵を思いのままにした。要塞の町スサでユダヤ人に殺され、滅ぼされた者の数は五百人に達した。」
・モルデカイの勢力拡大を日の出の勢いに例え、もはや誰にも抑えられぬとしたうえで、要塞の町スサでユダヤ人は敵五百人を滅ぼしている。
−エステル9:7−12「そしてパルシャンダタを、ダルフォンを、アスパタを、ポラタを、アダルヤを、アリダタを、パルマシュタを、アリサイを、アリダイを、ワイザタをと、ユダヤ人の敵ハメダタの子ハマンの十人の息子を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。その日要塞の町スサの死者の数が王のもとに報告された。王は王妃エステルに言った。『要塞の町スサでユダヤ人は五百人とハマンの息子十人を殺し、滅ぼした。王国の他のところではどうだったか。まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。』」
・ハマンの息子十人は父ハマンの罪を償いのため処刑された。現代ではありえないことである。一族を根絶するのは、子供が親の仇討ちをするのを防ぐためとも言われている。
−エステル9:13−15「エステルは言った。『もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令が行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます。』『そのとおりにしなさい。』と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子十人は木につるされた。スサのユダヤ人はアダルの十四日にも集合し、三百人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。」
・昔の刑罰は残酷で処刑の後、見せしめのため処刑者の遺体を衆目に曝したのである。
−エステル9:16−19「王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵七万五千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。それはアダルの月の十三日のことである。十四日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。スサのユダヤ人は同月の十三日と十四日に集合し、十五日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の十四日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。」
・敵に殺されるはずのユダヤ人が、敵七万五千人を殺し初めて安らぎを得た。彼らはこの戦で物質的利益を得なかったことを、ここでさらに強調している。こうして彼らは敵からの解放を得。解放は歓喜を生み、アダルの月の十四日はユダヤ人の祝日となった。歓喜は地方に住むユダヤ人にもおよび、宴会を開き贈り物の交換をした。
2.復讐してはならない
・私たち日本人は民族が絶滅されるという恐怖を知らない。海外からの侵略がほとんどなかったからだ。しかしユダヤ人は常に民族絶滅の恐怖と共に生きてきた。それが現在のイスラエル-アラブ諸国との対立におけるイスラエルの過剰防衛といえる外交政策に現れる。エリエゼル・ベルコビッツは1972年「ホロコースト後の神学」を出版したが、その論文の大半は6日戦争(第三次中東戦争、1967.6.5-6.10)中の、国が滅びるかもしれないという恐怖の中で書かれた。1935−1945年のナチス・ドイツ下で600万人のユダヤ人が殺された(大量殺戮=ホロコースト)が、今新しいホロコーストが迫っていると考えていたのである。
-「この本の主な論文はイスラエルとアラブ諸国の間に戦われた6日戦争(1967.6.5-6.10)へと続く危機的な時期に書かれ、戦争が戦われたその6日間の時に完成した。論文の最後の言葉が書かれたのは戦争の最後の射撃が終了したまさにその時であった。それは耐えがたい緊張と恐怖と心配の中で書かれた。ユダヤ人にとってもう一つのホロコーストの恐れが目の前に迫っていた。この破壊はイスラエル国に住むユダヤ人だけでなく、世界中のユダヤ人にとって最終的なものになりかねなかった。我々の世代はもう一つのホロコーストを生き残ることは出来なかったであろう。そして確かに今度はそうならなかった。イスラエル国家は、600万人の絶滅の後では、唯一の慰め、たとえ癒しにはならなくとも、であった」。
・そのようなユダヤ社会の中から、絶対平和を唱えるイエスが生まれた。イエスは復讐を戒めた。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかが右の頬を打つなら、左の頬を向けなさい。」(マタイ5:38−39)は口伝律法が「目には目で、歯には歯で復讐せよ」と教えていると人々に誤解されているので、イエスはモ−セの律法の本当の意味を教えたのである。前18世紀のハムラビ法典を起源にもつ、同害復讐法が報復の根拠とされているが、その目的は際限ない復讐に歯止めをかけることだった。「右の頬を打たれたら、左の頬を向けなさい」は右の頬を打たれた人が、左の頬を向けた瞬間的に、復讐心から解放される姿を教示しているのである。