1.ユダヤ民族救済史としての「エステル記」
・わずか3節しかない10章は、単なる追加記事とみられても仕方がないし、またそうみている注解書もある。しかし、新たに章を設けて、10章でエステルの物語をユダヤ民族の救済史と結論し、歴史的位置付けをしているとも考えられる。
2「エステル記」の歴史的評価
・新税を民に課した王は国民に嫌われる。しかし、「王が権威をもって勇敢に遂行したすべての事業」と逆に功績を讃えられているところをみると、王は新税を国民に還元する公共事業を行い、誉められているから善政であったらしい。記録によると当時のペルシャは、すでに貨幣経済への移行が始まっている。貨幣による納税が行われていたとすれば、王の事業は効率よくできたことになる。「海の島々」は、東地中海の島々で、島々は当時豊かで税収は良かったらしい。
−エステル10:1−3「クセルクセス王は全国と海の島々に税を課した。王が権威をもって勇敢に遂行したすべての事業と、またその王が高めてモルデカイに与えた栄誉の詳細は『メディア王とペルシァの王の年代記』に書き記されている。ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちに愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、その子孫に平和を約束した。」
・税を原資とした国民のための公共事業で王は権威を高めたが、「エステル記」は王の偉大さより、モルデカイの良き執政ぶりを伝えるのが本意だろう。ハマンを宰相に選んだりして、王の政治能力は怪しげなところがあるから、宰相モルデカイの助力がなければ、王の事業は成功はなかったとも考えられるのである。10章は『メディア王とペルシャの王の年代記』を紹介しているが、10章本文では彼らの功績の詳細は省かれている。しかし、彼らは国民の幸福と、子孫に至るまでの平和を築いたとある。それが歴史的評価である。
・『メディア王とペルシャ王の年代記』の存在は確かめられない。しかし、強大なペルシャ国の王の側近、宰相の地位に就いたのが、捕囚の民出身のモルデカイであったのは、歴史上稀有のことで、捕囚の身であるユダヤ人の中から、これほど大きな影響力を持つ人物が現れようとは、当のユダヤ人をはじめ、誰にも予想できなかったであろう。ペルシャの地にあるユダヤ人を守るため、神はエステルとモルデカイを遣わしたのである。彼らがその地位にある限り、ユダヤ人の安全が守られたことは確実である。
3歴史的位置付け
・ユダヤ人がバビロン捕囚だった当時、イスラエルを取り囲んでいた多くの国々は、とうの昔に滅んでしまっている。その間ユダヤ人は、数多の迫害をくぐり抜け、幾世紀にわたり民族として存在し続けてこられたのは、彼らの間で繰り返し行われた祭りや安息日の順守、そして割礼などが、彼らを支えてきたことは確実である。プリム祭もその中の一つである。それらを通じて、ユダヤ民族は迫害を耐え抜く勇気と、希望を与えられてきたのである。「エステル記」はユダヤ人が異国の地で、異国人によりくだされた脅威を、乗り越えた証しである。その「エステル記」を起源とするプリム祭が、民族を一つに結ぶ役割を果たしていることも確かである。「エステル記」には神の名も、神の守護も明確に述べていないが、見えざる神の手による守護が、ユダヤ民族の上にあったことを「エステル記」は証ししているのである。
・はるか古代から、ユダヤ人への迫害は繰り返されたのに、ユダヤ民族が滅亡に至らなかったのは、ユダヤ民族が神の意志により守護されていることを聖書は証ししているのである。王妃エステルとモルデカイは、ユダヤ民族が存亡の危機に直面したとき、民族を導き危機を乗り切る指導者の役割を果たした「エステル記」もまたその証しの一つなのである。以下はそのモルデカイが、神の守護で迫害を退けた日を記念して、代々プリム祭を行う決意を述べたものである。
4.モルデカイの決意(ギリシャ語「エステル記」外典より)
・「そしてモルデカイは言った。『これはみな神がなさったことだ。(注、ハマンのユダヤ人絶滅計画が覆されたこと)これらのことについて見た夢を思いだす。一つとして本当にならなかったことはない。川となった小さな泉、輝いた光、太陽、洪水。王がめとって王妃としたエステルこそその川である。二匹の竜はハマンと私である。国々とはユダヤ人の名を拭い去ろうとして団結した者たちである。』
・『ただ一つの国とはわが民、イスラエルで、神に叫んで救われた者たちである。そうだ。主はご自分の民を救い、主はわれわれをこれらすべての悪から救い、神は国々の間で一度も起こったことのないようなしるしと大いなる驚くべきことを行われた。神は二つの運命を取り決められた。一つはご自分の民のため、もう一つは一般の国々のために。そしてこれら二つの運命は神によって定められた日の定められた時刻に、あらゆる国々を巻きこんで達成された。』
・『このように神はご自分の民を覚えてご自分の相続財産の正しさを実証してくださった。彼らにとってこれらの日、アダルの月の十四日と十五日は、代々いつまでも神の民イスラエルの中で守られる神の前での集まりの日、喜びの日、祝いと満足の日でなければならない。』」