・人の生涯にとって生きるための知恵は欠かすことはできません。だからこそ知恵の教師は、様々な警句を用いて、知恵の学びを勧めます。
−箴言2:1-5「わが子よ、わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして、知恵に耳を傾け英知に心を向けるなら、分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら、銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜すなら、あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう。」
・知恵の教師は強い言葉で、知恵を学べば得られるであろう徳目を並べています。彼が示したのは、学び続けることで主を畏れる英知に達するであろうという、知恵の究極の目標です。ただし、知恵を学ぶ者は、教えを注意深く聴かねばなりません。なぜなら、彼らには、現代の教科書のような学習を補助するものはありませんでした。生徒は自分の耳で教えを聴きとり、記憶にとどめ、その実を得るしかないのです。知恵の学びは、まずよく聴くことから始めるのです。
−箴言2:6-8「知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。主は正しい人のために力を、完全な道を歩く人のために盾を備えて、裁きの道を守り、主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。」
・箴言は知恵を授けるのは神であると言いきっています。旧約聖書は、このことを様々に伝えています。史上類なき賢王ソロモンの知恵も神の賜物でした。
−列王記上3:11-12「神はこう言われた。『あなたは自分のために長寿を求めず、また、敵の命を求めることもなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。』」
・箴言はときに二者択一を迫ります。正義の道を歩むか。悪の道を歩むかです。
−箴言2:9-15「また、あなたは悟るであろう、正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり、慎重さがあなたを保ち、英知が守ってくれるので、あなたは悪い道から救い出され、暴言をはく者を免れることができる。彼らはまっすぐな道を捨て去り、闇の道を歩き、悪を働くことを楽しみとし、悪と暴言に小躍りする者。彼らの道筋は曲がり、通う道はくねっている。」
・列王記はソロモンが正義と公正により、国と臣民を幸いに導いたと伝えています、その名声は国境を越えて伝わり国の誉となりました。そして、シエバの女王の耳に達し、女王はソロモンを訪れ彼を試しました。しかし、すべてが予想以上だったので、賞賛を惜しみませんでした。
・列王記上10:6-9「女王は言った『私が国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。私はここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じてはいませんでした。しかし、私に知らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と冨はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう、いつもあなたの前に立ってあなたのお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう。あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主は讃えられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。」
・「滑らかに話す異邦の女」は、「魅力ある外国の女性」を意味します。箴言は若者に女性の誘惑から身を守るよう警告しています。
−箴言2:16-19「また、よその女、滑らかに話す異邦の女をも、あなたは免れることができる。若き日の伴侶を捨て、自分の神との契約を忘れた女を、彼女の家は死へ落ち込んで行き、その道は死霊の国へ向かっている。彼女のもとに行く者はだれも戻って来ない。命の道に帰りつくことはできない。」
・彼女の誘惑に負けた男の哀れな人生は、厳しく批判されています。彼は持てるすべてを失い、ついに破滅してしまうのです。そして、自分がいかに愚かであるか気付いたときにはすでに遅すぎのるのです。マタイ福音書は警告しています。
−マタイ5:27-30「あなたがたも聞いているとおり『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい、体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。」
・神に従う者への祝福、逆らう者への警告で2章はしめくくられます。
−箴言2:20-22「こうして、あなたは善人の道を行き、神に従う人の道を守ることができよう。正しい人は地に住まいを得、無垢な人はそこに永らえる。神に逆らう者は地から断たれ、欺く者はそこから引き抜かれる。」
2012年8月8日祈祷会、箴言2:1-22「父の諭し(二)」
投稿日:2019年8月21日 更新日: