1.ヨブの嘆き
・6章でヨブは友人エリパズの非情を批判した。しかし批判しても苦しみは去らない。ヨブは身の不幸を嘆く。人の人生は冷酷な将軍に仕える傭兵のようなもの、冷酷な主人に使われる奴隷のようなもの。奴隷は労役の終わる日没を待ち望み、傭兵は賃金が支払われる日を待ち望む。しかし私には休息も賃金も与えられない。
-ヨブ記7:1-3「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない。奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ、傭兵のように報酬を待ち望む。そうだ、私の嗣業はむなしく過ぎる月日。労苦の夜々が定められた報酬」。
・彼の病気は昼夜の別なく彼を悩まし、夜も安眠が与えられず、肉体は日に日に朽ち衰えて行く。回復の望みもないままに、彼は死を迎えようとしている。
-ヨブ記7:4-6「横たわればいつ起き上がれるのかと思い、夜の長さに倦み、いらだって夜明けを待つ。肉は蛆虫とかさぶたに覆われ、皮膚は割れ、うみが出ている。私の一生は機の梭よりも速く、望みもないままに過ぎ去る」。
・「私はやがて死ぬ、もう長くはない、だからその前に、生きているうちに、なぜあなたがこのような苦しみを与え与えられるのか、その理由を教えて下さい」とヨブは懇願する。
-ヨブ記7:7-10「忘れないでください、私の命は風にすぎないことを。私の目は二度と幸いを見ないでしょう。私を見ている目は、やがて私を見失い、あなたが目を注がれても私はもういないでしょう。密雲も薄れ、やがて消え去る。そのように、人も陰府に下れば、もう、上ってくることはない。再びその家に帰ることはなく、住みかもまた、彼を忘れてしまう」。
2.神への抗議
・ヨブの嘆きはやがて神への抗議に変わっていく。「何故こんなに苦しめるのか、私が海の怪物、レビヤタンや竜のように、見張らなければ何をするかわからないと思っておられるのか。夜寝る時こそ安息の時と思うのに、夜もあなたが夢や幻を送って安眠を与えられない。もう沢山です、死なせて下さい、それだけが救いです」とヨブは叫ぶ。
-ヨブ記7:11-16「私も口を閉じてはいられない。苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう。私は海の怪物なのか竜なのか、私に対して見張りを置かれるとは。床に入れば慰めもあろう、横たわれば嘆きも治まると思ったが、あなたは夢をもって私をおののかせ、幻をもって脅かされる。私の魂は息を奪われることを願い、骨にとどまるよりも死を選ぶ。もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください、私の一生は空しいのです」。
・「何故あなたは私をこのように監視し、一時の休息も与えないのか。何故私だけに、このようないわれのない苦難をお与えになるのか。私が何をしたというのですか。あなたは愛の神ではないのか、それなのに何故私を苦しめ続けるのか」。ヨブの抗議は止まることを知らずに激しくなる。
-ヨブ記7:17-21「人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか。朝ごとに訪れて確かめ、絶え間なく調べられる。いつまでも私から目をそらされない。唾を飲み込む間すらも、ほうっておいてはくださらない。人を見張っている方よ、私が過ちを犯したとしても、あなたにとってそれが何だというのでしょう。なぜ、私に狙いを定められるのですか。なぜ、私を負担とされるのですか。なぜ、私の罪を赦さず、悪を取り除いてくださらないのですか。今や、私は横たわって塵に返る。あなたが捜し求めても私はもういないでしょう」。
・アウシュヴィツ収容所を生き残った精神科医V.フランクルの書いた「夜と霧」は、私たちに希望がある限り人間は生きられることを伝える。収容所で死んでいったのは、体の弱い人ではなく、希望を失った人だった。
-夜と霧から「Fという名の仲間は、私に(3月末には解放されるという)夢の話をした時、まだ充分に希望を持ち、夢が正夢だと信じていた。ところが、夢のお告げの日が近づくのに、収容所に入ってくる軍事情報によると、戦況が3月中に私たちを解放する見込みはどんどん薄れていった。すると、3月29日、Fは突然高熱を発して倒れた。そして3月30日、戦いと苦しみが、彼にとって 終わるであろうとお告げがあった日に、Fは重篤な譫妄状態におちいり、意識を失った。3月31日、Fは死んだ。死因は発疹チフスだった。勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係が潜んでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的かということも熟知している。仲間Fは、待ちに待った解放の時が訪れなかったことにひどく落胆し、すでに潜伏していた発疹チフスにたいする抵抗力が急速に低下したあげくに命を落としたのだ」。
・ヨブは神を恨み、神に抗議することによって、生き続ける。これもまた神の恵みではないだろうか。
-玉木愛子・この命のある限り「1887年大阪に生まれた玉木愛子さんは、14歳の時にらい病を発症し、以来18年間自宅の座敷牢で過ごした。やがて彼女は熊本・回春病院に入院するが、その時の喜びを「マスクして、病い隠すも今日限り」と歌う。彼女の病状は進行し、両手・両足を切断し、両眼の視力も失うが彼女は言う「人間三分、お化け七分」。しかし信仰を得て生き続けた彼女の姿は多くの人に感動を与えた。何度も熊本を訪問した無教会指導者政池仁はいう「ここに天国の人がいる」。