詩編119編は176節まである長い詩編であり、4回に分けて学んでいる。今日が最終回で、アイン(121節〜)からタウ(〜176節)までを学ぶ。
1.アイン(121〜128節)
・詩篇119編は紀元前2世紀のマカベア時代に書かれたと思われる。シリア王エピファネスはユダヤのギリシャ化を諮り、律法を禁止し、律法を捨てる者には報奨金を提供し、あくまでも律法を固守する者は厳罰に処した。その中で、律法を捨てる者が続出し、詩人は「今こそあなたが介入すべき時です」と主に願う。
-詩篇119:121-126「私は正しい裁きを行います。虐げる者に私をまかせないでください。恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者が私を虐げませんように。御救いを待って、私の目は衰えました、あなたの正しい仰せを待って。慈しみ深くあなたの僕のために計らってください。あなたの掟を私に教えてください。私はあなたの僕です・・・主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています」。
・多くの人にとって宗教は、生きる方便に過ぎない。だからユダヤの神でもギリシャの神でもどちらでも良かった。マカベヤ時代に多くの人が殉教していったが、大勢はギリシャのゼウス像を新しい神として拝んだ(戦時中の日本の教会も天皇を神として拝んだ)。しかし詩人はそうではない。御言葉に出会い、生かされているからだ。
-詩篇119:127-128「それゆえ、金にまさり純金にまさって、私はあなたの戒めを愛します。それゆえ、あなたの命令のすべてに従って、私はまっすぐに歩き、偽りの道をことごとく憎みます」。
2.ベー(129節〜136節)
・詩人は律法、神の言葉の力を知っている。それは闇を貫く光、人を導く知恵だ。詩人は御言葉を求める。
-詩篇119:129-131「あなたの定めは驚くべきものです。私の魂はそれを守ります。御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。私は口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます」。
・デフォー「ロビンソン・クルーソー」の主人公は、船が難破して孤島に取り残された時、難破船から一冊の聖書を手に入れたが、病気になるまでそれを開こうとはしなかった。病気になった時、彼は初めて聖書を読み始め、突然それが彼にとって意味あるものになり、彼は祈り始める。彼が心を惹かれたのは詩篇50編だった。以前の彼は「孤島からの救出」を救いと思っていたが、その日を境に「罪からの救済」こそ、救いであることを知った。
-詩篇50:15「悩みの日に私を呼べ、私はあなたを助け、あなたは私をあがめるであろう」(口語訳)。
・同じ体験をした詩人は、人々が御言葉の力に気づかず、それを求めようとしないことを悲しむ。
-詩篇119:135-136「御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。私の目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです」。
3.ツァデ(137節〜144節)
・ここではツァデという音節に合わせてツェデク(義)が取り上げられる。神は義であり、善であるゆえに、その裁きも正しく善である。しかし人々は神の裁きではなく、今目の前にいる権力者の裁きを恐れて、御言葉を忘れ去っている。
-詩篇119:137-139「主よ、あなたは正しく、あなたの裁きはまっすぐです。あなたは定めを与えられました。それはまことに正しく確かな定めです。私の熱情は私を滅ぼすほどです。敵があなたの御言葉を忘れ去ったからです」。
・人間は目の前のことしか見ようとしない。しかし神の言葉の正しさを私たちは捕囚と言う試練の中で見たではないか。捕囚を通して、私たちは神が火の中でも水の中でも共におられる体験をしたではないか。それに比べればシリア王の迫害などどれほどのこともないではないか。
-詩篇119:140-143「あなたの仰せは火で練り清められたもの。あなたの僕はそれを愛します。私は若く、侮られていますが、あなたの命令を決して忘れません・・苦難と苦悩が私にふりかかっていますが、あなたの戒めは私の楽しみです」。
・人は権力者には「傷のない捧げ物」を献上する。処罰が怖いからだ。しかし神には残り物を捧げる。神は見逃してくれると思うからだ。人は目の前の利害損得に心を奪われている。
-マラキ1:8「あなたたちが目のつぶれた動物をいけにえとしてささげても、悪ではないのか。足が傷ついたり、病気である動物をささげても悪ではないのか。それを総督に献上してみよ。彼はあなたを喜び、受け入れるだろうかと万軍の主は言われる」。
4.コフ(145節〜152節)
・ここでは祈りが主題になっている。祈りは神への呼びかけであり、彼は朝に夕に神の救済を求めて祈る。敵からの迫害は厳しく、祈りなしには心の平安を保てない。
-詩篇119:145-148「心を尽くして呼び求めます。主よ、私に答えてください。私はあなたの掟を守ります。あなたを呼びます、お救いください。私はあなたの定めを守ります。夜明けに先立ち、助けを求めて叫び、御言葉を待ち望みます。私の目は夜警に先立ち、あなたの仰せに心を砕きます」。
・祈りの最大の収穫は、神が共にいてくださることを、対話を通じて知ることである。神共にいませば、どのような苦難も耐えることが出来る。「苦難」は意味が見えた時には、苦難でなくなる。
-詩篇119:149-152「主よ、慈しみ深く私の声を聞き、あなたの裁きによって命を得させてください。悪だくみをもって迫害する者が近づきます。彼らはあなたの律法に遠いのです。主よ、あなたは近くいてくださいます。あなたの戒めはすべて真実です。あなたの定めを見て私は悟ります。それがいにしえからのものであり、あなたによってとこしえに立てられたのだ、と」。
5.レシュ(153節〜160節)
・苦難の中で詩人は「私の苦しみを顧みて欲しい。私を贖って欲しい」と訴え続ける。
-詩篇119:153-156「私の苦しみを顧みて助け出してください。私はあなたの律法を決して忘れたことはありません。私に代わって争い、私を贖い、仰せによって命を得させてください。神に逆らう者に、救いは遠い。あなたの掟を尋ね求めないからです。主よ、あなたの憐れみは豊かです。あなたの裁きによって命を得させてください」。
6.シン(161節〜168節)
・「権力を持つ者たちは私を迫害しますが、主よ、私が恐れるのはあなたの御言葉だけです」と詩人は訴える。
-詩篇119:161-165「地位ある人々が理由もなく迫害しますが、私の心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。仰せを受けて私は喜びます・・・私は偽りを忌むべきこととして憎み、あなたの律法を愛します・・・あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり、つまずかせるものはありません」。
・イエスの弟子たちも、イエスを処刑した最高法院に呼び出され、今後「イエスの名によって語ってはならない」と命じられたが反論した「人に従うよりも神に従う」と。
-使徒4:18-20「二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです』」。
7.タウ(169節〜176節)
・最後に彼は嘆願の祈りを持って、この長編詩を閉じる。彼はもっと御言葉を深く知りたいと願う。
-詩篇119:169-170「主よ、私の叫びが御前に届きますように。御言葉をあるがままに理解させてください。私の嘆願が御前に達しますように。仰せのとおりに私を助け出してください」。
・彼は律法学者のようにこの詩を書いたのではない。彼は自分が未熟で弱いことを知っている。自分が試練に負けてしまう時が来るかも知れないと恐れている。その中で「どうぞ、正しい道に導き給え」と祈ってこの詩は終わる。
-詩篇119:174-176「主よ、御救いを私は望みます。あなたの律法は私の楽しみです。私の魂が命を得てあなたを賛美しますように。あなたの裁きが私を助けますように。私が小羊のように失われ、迷うとき、どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めを私は決して忘れません」。