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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年10月19日祈祷会(詩編117篇、最も短い詩編)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.最も短い詩編

・詩編117篇はわずか2節の詩編であり、詩編の中で最も短い。しかし内容は壮大だ。詩人は「すべての国よ、すべての民よ、主を讃美せよ」と呼びかける。
−詩編117:1「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ」。
・すべての国(ゴーイーム)は異邦人の意味をも持つ。ここではユダヤ人だけではなく、異邦人にも、「主を讃美せよ」と呼びかけられている。パウロは、異邦人伝道に反対する保守派の人々に向かって、「福音はユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えられるべきだ」との根拠を、この詩編117:1に求めた。
−ローマ15:7-11「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい・・・キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。『そのため、私は異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう』と書いてあるとおりです。また、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』と言われ、 更に、『すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ』と言われています」。
・ヨハネ黙示録では、この言葉が終末の天上での賛美として引用されている。地上では民族や国家の壁で、共に主を讃美することが妨げられている。しかし神の国が来た時には、民族や国境を越えた讃美が為されるであろうとヨハネは歌う。ヨハネ黙示録は異邦人ローマの迫害下に書かれた、その書が異邦人も共に礼拝せよと呼びかけるのは大変なことだ。
−ヨハネ黙示録7:9-12「私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊とのものである』。また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った『アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなく私たちの神にありますように、アーメン』」。

2.しかし福音の本質が語られている

・「すべての民よ、主を讃美せよ」と言いうる根拠は、イスラエルに示された神の契約の愛と真実である。まさにイスラエルの救いこそ万国の救いの基礎であり、イスラエルの感謝は万邦の讃美の元になる。イスラエルを通して神は万国民を救いたもうというアブラハムから続く信仰がここにある。
−創世記12:2-3「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。
・詩人はその信仰を「主の慈しみとまことは私たちを超えて力強いと歌う。
−詩編117:2「主の慈しみとまことはとこしえに、私たちを超えて力強い。ハレルヤ」。
・「力強い」という言葉(へブル語ガーヴァル)は「大きくする、圧倒する」という意味を持つ。「主の恵みと慈しみは私たちを圧倒するほど大きい」と詩人は讃美する。イスラエルはかたくなな民で、その罪は大きかった。しかし神の慈しみはその罪を超えて大きい。
−詩編103:8-11「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなく、とこしえに怒り続けられることはない。主は私たちを罪に応じてあしらわれることなく、私たちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように、慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」。
・イスラエルは選ばれて神の民となった。それはイスラエルを幸福にするためではなく、イスラエルを通して諸国を救うためであった。イスラエルの歴史は苦難の連続だった。その苦難を通してイスラエルは自分たちの選びの意味を知った。その信仰告白が申命記7章にある。私たちは幸福な人生ではなく、偉大な人生に招かれている。
−申命記7:6-8「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。
・「主の慈しみ=ヘセド」、「主のまこと=エメト」に対する信頼こそが、イスラエルの信仰の基本である。主イエスは最後の晩餐を終えてゲッセマネに向かわれた折、詩編117篇を含むハレルヤ詩編を愛唱されながら向かわれた。待ち受けている受難がどのようなものであろうと、主の慈しみとまことに信頼する気持ちを歌われたのではないか。
−マルコ14:24-26「イエスは言われた『これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい』。一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」

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