1.苦難の中で支えを求める
・詩編86篇には作者や時代背景をうかがわせる言葉はない。ただ詩人の周りには傲慢な者たちがいて詩人を苦しめ、暴虐な者たちが詩人の命を窺っている(86:14)。詩編編集者がこの祈りをサウルに追われて放浪するダビデの祈りと理解して表題にしたことも納得できる。困窮は人の心を神に向けさせる。詩人が求めるのはただ主の憐れみだ。
-詩編86:1-4「祈り。ダビデの詩。主よ、私に耳を傾け、答えてください。私は貧しく、身を屈めています。私の魂をお守りください、私はあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください、あなたは私の神、私はあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください、絶えることなくあなたを呼ぶ私を・・・私の魂が慕うのは、主よ、あなたなのです」。
・祈りは人が神にあげる叫び、嘆願である。そして主なる神は恵み深く、憐れみに富む故に、求める者の叫びを聞いて下さる。「求めよ、そうすれば与えられる」、その信頼関係が祈りの基本である。
-詩編86:5-7「主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に、豊かな慈しみをお与えになります。主よ、私の祈りをお聞きください。嘆き祈る私の声に耳を向けてください。苦難の襲うとき私が呼び求めれば、あなたは必ず答えてくださるでしょう」。
・「私を救って下さる神」は、同時に「全地の神、すべての民族の神」である。この詩には民族を超えた信仰がある。
-詩編86:8-10「主よ、あなたのような神は神々のうちになく、あなたの御業に並ぶものはありません。主よ、あなたがお造りになった国々はすべて、御前に進み出て伏し拝み、御名を尊びます。あなたは偉大な神、驚くべき御業を成し遂げられる方、ただあなたひとり、神」。
・神は「私の神」であり、同時に「私たちの神」である。だから私たちは「悪より救い出したまえ」と個人の救済を祈ると共に、「御国を来たらせたまえ」と共同体の救いを求めるのだ。主の祈りは、私ではなく、私たちの祈りだ。
-マタイ6:9-13「天におられる私たちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。私たちに必要な糧を今日与えてください。私たちの負い目を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように。私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」。
2.苦難と祝福
・11節から詩は後半に入る。詩人は「御名を畏れ敬うことが出来るように、一筋の心をお与えください」と祈る。祈る者の心にも打算があり、エゴがある。詩人は自己の信仰と誠実さをも清められなければいけないことを知っている。
-詩編86:11-13「主よ、あなたの道をお教えください。私はあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心を私にお与えください。主よ、私の神よ、心を尽くしてあなたに感謝をささげ、とこしえに御名を尊びます。あなたの慈しみは私を超えて大きく、深い陰府から、私の魂を救い出してくださいます」。
・「深い陰府から私の魂を救いだして下さい」、旧約において死は神のいない闇の世界に捨てられることであり、救いのない世界であった。死を宣告されたヒゼキヤの祈りも旧約人の死に対する恐怖を示している。この恐怖を現代人も共有している。だから私たちは復活の福音を伝えて行く。
-イザヤ38:10-11「私は思った。人生の半ばにあって行かねばならないのか、陰府の門に残る齢を委ねるのかと。私は思った。命ある者の地にいて主を見ることもなくなり、消えゆく者の国に住む者に加えられ、もう人を見ることもないと」。
・祈りは「自分が神によって生かされている」事を知る者の嘆願だ。しかし私たちは、他の救済手段がある時は神を求めない。だから私たちは苦難を与えられ、「主こそ神である、この方以外に救いはない」ことを知らされる。
-イザヤ31:1「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない」。
・詩人は苦難の中にいる。詩人を告発し、亡き者にしようとする敵がいる。「敵から救い給え」と詩人は祈る。
-詩編86:14-17「神よ、傲慢な者が私に逆らって立ち、暴虐な者の一党が私の命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。主よ、あなたは情け深い神、憐れみに富み、忍耐強く、慈しみとまことに満ちておられる。私に御顔を向け、憐れんでください。御力をあなたの僕に分け与え、あなたのはしための子をお救いください。良いしるしを私に現してください。それを見て私を憎む者は恥に落とされるでしょう。主よ、あなたは必ず私を助け、力づけてくださいます」。
・信仰者は信仰ゆえに苦難を受けることがある。内村鑑三は信仰ゆえに教育勅語に頭を下げず、非国民と非難され、一高教師の職を追われ、教会からも批判され、妻は心労で亡くなった。この苦難の結果生まれたのが「基督信徒の慰め」で、同書の好評により文筆家・伝道者として立っていく。苦難により新しい道が開けたのである。
-ヨハネ15:18-19「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前に私を憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」。