1.エレミヤの釈放
・エレミヤ書は40章から後半にはいる。バビロン軍は前588年1月にエルサレムを包囲し、1年半の攻防の後、前587年7月に陥落した。その混乱の中でエレミヤも捕縛され、バビロンに連れて行かれる群れに入れられるが、王の命を受けた親衛隊長ネブデルアダンにより救助される。
−エレミヤ40:1「主から言葉がエレミヤに臨んだ。それは、親衛隊の長ネブザルアダンが、バビロンへ捕囚として移送されるエルサレムとユダのすべての人々と共に、エレミヤを捕虜として鎖につないで連行したが、ラマで釈放することにした後のことである」。
・39章によればエレミヤはすぐに救助されたように記すが、40章の記事のほうが正しいであろう。親衛隊長はエレミヤを丁重に遇し、「バビロンに来てもよいし、ユダヤに残っても良い」と伝える。
−エレミヤ40:2-4「親衛隊の長はエレミヤを連れて来させて言った『主なるあなたの神は、この場所にこの災いをくだすと告げておられたが、そのとおりに災いをくだし、実行された・・・さあ、今日私はあなたの手の鎖を解く。もし、あなたが私と共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良しと思い、正しいとするところへ行くがよい』」。
・バビロン王は「シャパンの孫、アヒカムの子」、ゲダルヤを総督に任命し、戦後のユダヤを委ねた。シャパンはヨシヤ王の側近であり、アヒカムはエレミヤの擁護者だった。ゲダルヤは和平派の貴族であり、それゆえにバビロン王の信任を得たのであろう。エレミヤは懇切なバビロン王の招聘を断り、荒廃の祖国に残った。指導者の条件は、自分の都合ではなく、共同体の幸いを考える人だ。自分の命を救うために逃げたゼデキヤ王は殺され、留まったエレミヤは生かされた。
−エレミヤ40:5-6「『シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤのもとに戻り、彼と共に民の間に住むがよい。彼は、バビロンの王がユダの町々の監督をゆだねた者である。さもなければ、あなたが正しいとするところへ行くがよい』。親衛隊の長はエレミヤに食料の割り当てを与えて釈放した。こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった」。
2.総督ゲダルヤの暗殺
・ゲダルヤはエルサレムの北13キロのミツパに行政府を構えた。戦乱を生き残った人々が彼の下に集まってきた。
−エレミヤ40:7-8「野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとに委ねたことを聞き、ミツパにいるゲダルヤのもとに集って来た。それはネタンヤの子イシュマエル、カレアの二人の子ヨハナンとヨナタン、およびタンフメトの子セラヤ、ネトファ人エファイの一族、マアカ人の子であるエザンヤとその部下たちであった」。
・ゲダルヤは人々に言った「カルデア人に仕えることは神の御心であり、恐れることはない。主は再び、私たちを祝福してくださるであろう」。彼の言葉は驚くほどエレミヤの預言に似ている。主を信頼して、この困難を乗り切ろうという決意に溢れている。
−エレミヤ40:9-10「シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った『カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる。この私がミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい』」。
・その年の収穫は豊作であった。カルデア人は国土を荒らすことはしなかった。ゲダルヤの言葉通りであった。
−エレミヤ40:11-12「モアブ、アンモン、エドム、その他の国々にいたユダヤ人たちも皆、バビロンの王が、ユダに残留者を認め・・・ゲダルヤに、彼らの監督をゆだねたことを聞いた。そこで、ユダの人々は皆、それぞれの避難先から引き揚げて、ユダの地に戻り、ミツパのゲダルヤのもとに来た。彼らは、ぶどう酒と夏の果物を多く集めた」。
・しかし、ゲダルヤの支配を喜ばない人々もいた。王族の一人イシマエルは王家の血筋ではない者が支配することを喜ばず、アンモン王に唆されてゲダルヤ暗殺を計画する。ゲダルヤは部下の進言を受けるが信じない。自分が正しい人は他の人の正しさも信じる。ここに理想と現実の差が出てくる。
−エレミヤ40:13-16「カレアの子ヨハナンと、野にいた軍の長たちがそろってミツパにいるゲダルヤのもとに来て、言った『アンモンの王バアリスが、あなたを暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じでしょうか・・・私が行って、だれにも知られないようにネタンヤの子イシュマエルを殺して来ます』。だが・・・ゲダルヤは・・・ヨハナンに言った。『そのようなことをしてはならない』」。
・ゲダルヤはやがてイシマエルにより殺され、ここにバビロンとユダヤの信頼関係は崩れ、ユダヤ本土の回復の希望は砕かれ、ユダヤの回復はバビロン捕囚民が帰還する50年後にまで延ばされていく。主の祝福が一人の男の野心により崩れていく。歴史は主の手にあるが、それはまた人間の手に委ねられて進む。