1.預言を巻物に記すエレミヤ
・エレミヤ36章はエホヤキム王在位中の前605年にエレミヤが弟子バルクに命じて預言を巻物に記し、それを王の前で朗読させたが、王は怒って巻物を燃やしてしまった出来事を記している。前605年バビロン軍はカルケミシでエジプト軍を破りパレスチナの支配者になったのに、エホヤキムは親エジプト政策をとり続け、その政策が国を滅ぼすとの危機感より、エレミヤはこのような行動をとったものと思われる。
-エレミヤ36:1-4「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に、次の言葉が主からエレミヤに臨んだ。『巻物を取り、私がヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。ユダの家は、私がくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、私は彼らの罪と咎を赦す』。エレミヤはネリヤの子バルクを呼び寄せた。バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉をすべて巻物に書き記した」。
・預言は民の神への「立ち返り」(シューブ、悔い改め)への招きである。「かも知れない」(ウーライ)という言葉に象徴されるように、悔い改めない可能性が多い中で為される。しかし預言は繰り返し為される。民の自発的な悔い改めを待つためだ。その預言は巻物に記され、保存され、後の時代の人々への言葉として準備される。バルクは書き記した預言をエレミヤに代わり、神殿で読んだ。紀元前604年12月、預言を記し始めてから1年が経過している。
-エレミヤ36:9-10「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの治世の第五年九月に、エルサレムの全市民およびユダの町々からエルサレムに上って来るすべての人々に、主の前で断食をする布告が出された。そのとき、バルクは主の神殿で巻物に記されたエレミヤの言葉を読んだ。彼は書記官、シャファンの子ゲマルヤの部屋からすべての人々に読み聞かせたのであるが、それは主の神殿の上の前庭にあり、新しい門の入り口の傍らにあった」。
・前604年バビロン軍は反乱を起こしたペリシテに侵攻し、アシケロンを制圧している。ユダが反バビロン政策を続ければユダ制圧も時間の問題である。その危機感が全国民の断食への呼びかけとなり、エレミヤの預言が切実な問題として政府高官たちに聞かれた理由であろう。
-エレミヤ36:11-16「ゲマルヤの子であるミカヤは、その巻物に記された主の言葉をすべて聞くと、王宮にある書記官の部屋へ下って行った。そこには、役人たちが皆、席に着いていた・・・ミカヤは、バルクが民の前で巻物を読んだときに聞いた言葉を、すべて役人たちに伝えた・・・その言葉をすべて聞き終わると、彼らは皆、おののいて互いに顔を見合わせ、バルクに言った『この言葉はすべて王に伝えねばならない』」。
2.その巻物を燃やすエホヤキム王
・預言は「バビロンは神の鞭であり、バビロンに従えば国を滅ぼすことはない」とのバビロンへの降伏勧告が含まれていたのであろう。エホヤキム王はこの預言の言葉を聞くと怒り、それを火にくべて燃やしてしまう。彼の周りに集まっていたのは主戦派であり、この行為がエルサレム壊滅を決定的にした。第二次大戦末期の1945年7月26日に連合国は日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を出したが、日本政府はこれを「黙殺」し、ために8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下を招いた。国の指導者の決断の遅れは大きな災いをもたらした。
-エレミヤ36:29-31「ユダの王ヨヤキムに対して、あなたはこう言いなさい。主はこう言われる。お前はこの巻物を燃やしてしまった。お前はエレミヤを非難して、『なぜ、この巻物にバビロンの王が必ず来て、この国を滅ぼし、人も獣も絶滅させると書いたのか』と言った。それゆえ、主はユダの王ヨヤキムについてこう言われる。彼の子孫には、ダビデの王座につく者がなくなる。ヨヤキムの死体は投げ出されて、昼は炎熱に、夜は霜にさらされる。私は、王とその子孫と家来たちをその咎のゆえに罰する。彼らとエルサレムの住民およびユダの人々に災いをくだす」。
・エホヤキムは愚かな王ではなかった。彼は祖国にとって最も現実的と思われる政策(エジプトに頼ってバビロンに対抗する)をとった。しかしそれは「人の救いに頼る」という最も非現実的な政策であった。エジプトは自国の盛衰をかけてまでユダを救わない。アメリカもまた自国を危険にしてまでも日本を救わないだろう。日米安保条約に国の防衛を依存する日本の態度はエホヤキムの選択に似ているのではないだろうか。
-詩編60:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。
・預言を記した巻物は燃やされたが、再度作成された(36:27-28)。こうしてエレミヤの預言は残り、それは後代の人々を励ます。矢内原忠雄は日中戦争を不正な戦争とし「日本が大陸で不正を行うのであれば神の審判は必ず日本に下る」と告発したが、その力はエレミヤからもらったものであった。
-矢内原忠雄「エレミヤよ、あなたの信仰に比べれば私たちの信仰は妥協です。エレミヤよ、私たちを深くし、また強くして下さい」(1933年講演記録「悲哀の人」より)。