1.新しい契約の締結
・第一次捕囚時(前597年)、王は捕虜としてバビロンに連れ去られたが、ダビデ王家はゼデキヤにより継承され、また神殿も無傷で残された。王と神殿がある限り、人々は国の回復と神の保護を期待することが出来た。しかし、第二次捕囚(前587年)では、エルサレムは破壊され、王家は断絶し、神殿も破壊され、人々は希望のかけらをも持つことが出来なかった。旧い契約は破棄された。その時、エレミヤは新しい契約の約束を聞いた。
―エレミヤ31:31「主は言われる、見よ、私がイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る」。
・聖都が破壊され、神殿が灰燼に帰し、民の多くは殺害され、生き残りの者たちもまた異教の地に散らされようとしている。エレミヤその絶望の中で、神は自ら壊されたものを再び回復されると啓示された。
―エレミヤ32:40「私は、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。また私に従う心を彼らに与え、私から離れることのないようにする」
・その契約は、旧い契約の更新ではありえない。ダビデの家系も神殿も断絶し、旧い契約は破棄された。また、仮に旧い契約を更新しても何の意味もない。「人の心はとらえ難く病んでおり」(17:9)、「クシュ人がその皮膚を、豹がその皮を変えることが出来ないように」(13:23)人間は契約を守ることが出来ないからである。契約を更新しても、また人間の側から破るであろう。救済は神の恩恵以外にはありえない。
―エレミヤ31:32「この契約は私が彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。私は彼らの夫であったのだが、彼らはその私の契約を破ったと主は言われる。」
・新しい契約においては、「神が語りかけ人が聞く」と言うこと自体が廃止され、神の意志は直接人の心に置かれる。その時、服従の問題はなくなる。服従とは人間の意志と異質な意志とが出会う故に生じるものであり、神がその意志を人間の心に置く時には、このような対決はもはや起こない。人間はその心の中に神の意志を担い、神の意志のみを欲するようになるからである。
―エレミヤ31:33「しかし、それらの日の後に私がイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわち私は、私の律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。私は彼らの神となり、彼らは私の民となると主は言われる」。
・イスラエルは「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)と命じられ、「今日私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、語り聞かせなさい」(申命記6:6-7)と言われた。その結果がこの破滅だ。もはや、人間の側からの救いはないから、「神がその律法を人間の中におき、心に記す」(31:33)ことが起きる。エレミヤは国の滅亡、捕囚を民の回心のためと理解している。
―エレミヤ31:34「人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、私を知るようになるからであると主は言われる。私は彼らの不義を赦し、もはやその罪を思わない」。
2.後代のエレミヤ理解
・捕囚の民は、このエレミヤの預言を受け止め、捕囚地において新しい共同体を形成した。国を失った捕囚民が信仰共同体として再生した背景には、エレミヤ31章「希望の使信」の影響が大きかった。捕囚期の預言者エゼキエルの中にエレミヤの信仰が継承されている。
―エゼキエル37:26-27「私は彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。私は彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く。わがすみかは彼らと共にあり、私は彼らの神となり、彼らはわが民となる。」
・福音書記者たちは新しい契約がイエスにおいて成就したと理解した。古い契約は過ぎ越しの羊の血で調印された。新しい契約はイエスが十字架で流された血で調印される。
−ルカ22:19-20「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた『これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』。食事を終えてから、杯も同じようにして言われた『この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である』」。
・パウロもこの新しい契約がキリストの十字架により成就したと理解した。これが新約(新しい契約)である。
―第二コリント3:3-6「あなたがたは、キリストが私たちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。・・・神は私たちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします」。
・へブル8章はエレミヤ31章の最善の注解だ。
−へブル8:1-13「今、私たちの大祭司は・・・更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています『見よ、私がイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来ると、主は言われる・・・私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれであると、主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる・・・』。神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます」。