1.陶工の家に行けと命じられるエレミヤ
・エレミヤは主から「陶工の家に行け」と命じられる。陶工がどのように粘土を用いて器を造るのか、そして仕損じた器をどのように扱うかを見よと。エレミヤは谷にある陶工の家に下っていく。
−エレミヤ18:1-3「主からエレミヤに臨んだ言葉。『立って、陶工の家に下って行け。そこで私の言葉をあなたに聞かせよう』。私は陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた」。
・陶工はろくろを用いて粘土をこね、仕損じた粘土はこね直して、別の器を造る。主はエレミヤに言われた「私は陶工であり、人は粘土だ。粘土を用いて何を造るか、あるいは何を壊すかは陶工の自由ではないのか」。
−エレミヤ18:4-6「陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。そのとき主の言葉が私に臨んだ『イスラエルの家よ、この陶工がしたように、私もお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちは私の手の中にある』」。
・イスラエルの運命は神の御手の中にある。しかし神は同時にイスラエルに自由を与えられる。その自由により、イスラエルは神に従うことも、背くこともできる。しかし選択した者は、その選択に責任を取る必要がある。
−エレミヤ18:7-10「ある時、私は一つの民や王国を断罪して、抜き、壊し、滅ぼすが、もし、断罪したその民が悪を悔いるならば、私はその民に災いをくだそうとしたことを思いとどまる。またある時は、一つの民や王国を建て、また植えると約束するが、私の目に悪とされることを行い、私の声に聞き従わないなら、彼らに幸いを与えようとしたことを思い直す」。
・神は創造の自由を持つが、人にもまた悔い改めの自由が与えられる。そして悔い改めた者は神の憐れみを受ける。人はみな過ちを犯す。そのことが責められるのではなく、過ちを犯しても悔い改めないことが責められる。エレミヤを通して言われた主の言葉に民は答える「我々は自分の思う通りを行う。あなたの指図は受けない」と。
−エレミヤ18:11-12「今、ユダの人々とエルサレムの住民に言うがよい『見よ、私はお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ』。彼らは言った『それは無駄です。我々は我々の思いどおりにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから』」。
・「陶工と器の例え」は、捕囚地の預言者にも大きな影響を与え、第二イザヤは捕囚の民に向かって語り直した。
−イザヤ45:9「災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか『何をしているのか、あなたの作ったものに取っ手がない』などと」。
・新約のパウロは、悔い改めないユダヤ人たちに同じ言葉を投げた。
−ローマ9:20-21「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に『どうして私をこのように造ったのか』と言えるでしょうか。焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」。
2.エレミヤを殺す陰謀とエレミヤの報復の祈り
・18章後半はエレミヤを亡き者にしようというたくらみに対して、敵への報復を求めるエレミヤの告白だ。人々はエレミヤの言葉尻を捕えて彼を裁判にかけて殺そうとする。エレミヤがいなくとも、祭司も預言者も賢者もいると。
−エレミヤ18:18「彼らは言う『我々はエレミヤに対して計略をめぐらそう。祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。舌をもって彼を打とう。彼の告げる言葉には全く耳を傾けまい』」。
・エレミヤはそれを知って激怒する。彼は自分の正しさを主に訴える「私は彼らのために働いてきたのに、彼らは私を亡き者にしようとしています」と。そして彼は敵への報復を主に願う。それは相手の破滅を願う激しい祈りだ。
−エレミヤ18:21-23「彼らの子らを飢饉に遭わせ、彼らを剣に渡してください。妻は子を失い、やもめとなり、夫は殺戮され、若者は戦いで剣に打たれますように・・・彼らは私を捕らえようと落とし穴を掘り、足もとに罠を仕掛けました。主よ、あなたはご存じです、私を殺そうとする彼らの策略を。どうか彼らの悪を赦さず、罪を御前から消し去らないでください。彼らが御前に倒されるよう、御怒りのときに彼らをあしらってください」。
・エレミヤは「彼らの罪を赦さないで下さい」と祈る。他方、「イエスは彼らの罪をお赦し下さい」と祈られた。ここに旧約と新約の違いがあるが、共に大事な祈りだ。「彼らの罪を赦さないで下さい」、安価な恵みは何も解決しない。「彼らの罪を赦して下さい」、自らが代わりに死ぬことを前提にした高価な恵みだ。
−ルカ23:33-34「されこうべと呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。