1.神が行為されるとの黙示
・エルサレム回復の祈りをしてきたイザヤは、63章で突然エドムの裁きを語り始める。帰国後も外国勢力の収奪と支配の中で救いを見出せない民族の苛立ちが背景にある。帰国を指導したセシバザルの神殿再建はサマリヤ人の介入で失敗し、国の独立をかけたゼルバブルの戦いはペルシャによって圧殺された。悪の勢力の前にイスラエルの希望はことごとく打ち破られ、人々は神の直接介入による救いに希望を託した。イザヤは敵対者エドムの血に染まった主の幻をみた。
-イザヤ63:1-3「『エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは・・・』、『私は勝利を告げ、大いなる救いをもたらすもの』、『なぜ、あなたの装いは赤く染まり衣は酒ぶねを踏む者のようなのか』、『私はただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとり私に伴わなかった。私は怒りをもって彼らを踏みつけ、憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、私の衣は血を浴び、私は着物を汚した』」。
・エドムは死海南部の国でヤコブの兄弟エソウの建てた国だ。イスラエルの兄弟国であったが、バビロニア軍侵攻の時には混乱に乗じてエルサレムを侵略し、人々の財宝を奪い、多くの者を殺した。この時の仕打ちはイスラエル民族の恨みとなり、イスラエルは報復を誓い、エドムに対する裁きが求めた(イザヤ34:5-6参照)。
-詩篇137:7「主よ、覚えていてください、エドムの子らを。エルサレムのあの日を、彼らがこう言ったのを、『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで』」。
・現実のイスラエルは無力であり、外国勢力の支配下にある。しかし主はイスラエルを解放してくださる。その手始めとしてエドムが裁かれる。これは黙示だ。ヨハネがバビロン滅亡を通してローマ帝国の崩壊を預言したように(ヨハネ黙示録18:1-3)、イザヤもエドムの滅ぼしを通して「ペルシャ帝国からの解放」を歌い上げる。
-イザヤ63:4-6「私が心に定めた報復の日、私の贖いの年が来たので、私は見回したが、助ける者はなく、驚くほど、支える者はいなかった。私の救いは私の腕により、私を支えたのは私の憤りだ。私は怒りをもって諸国の民を踏みにじり、私の憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血を大地に流れさせた」。
2.天を裂いて降りたまえとの祈り
・民は叫んだ「主の手が短くて救えないのではないか。主の耳が鈍くて聞こえないのではないか」(59:1)、それに対して預言者は叫ぶ「違う、これまでの救済の歴史を考えてみよ」と。
-イザヤ63:7-9「私は心に留める、主の慈しみと主の栄誉を、主が私たちに賜ったすべてのことを、主がイスラエルの家に賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを。主は言われた、彼らは私の民、偽りのない子らである、と。そして主は彼らの救い主となられた。彼らの苦難を常に御自分の苦難とし、御前に仕える御使いによって彼らを救い、愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔から常に、彼らを負い、彼らを担ってくださった」。
・その主があなた方を捨てられたのはあなた方が主に背いたからだ。かつてモーセを用いてあなた方を救われた主は、あなた方の背信によってあなた方から目をそむかれた。だから今主はあなた方と共におられない。
-イザヤ63:10-11「しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた。そのとき、主の民は思い起こした、昔の日々を、モーセを。どこにおられるのか、その群れを飼う者を海から導き出された方は。どこにおられるのか、聖なる霊を彼のうちにおかれた方は」。
・預言者は神に嘆願する「民はあなたの力とあなたの憐れみに疑問を感じています。どうかあなたの力と憐れみを彼らに示してください」と。
-イザヤ63:15「どうか、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか、あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは、抑えられていて、私に示されません」。
・「主よ、あなたが私たちの父です。どうか私たちのところに来て下さい。私たちを懐疑と不信の泥沼から救ってください」と預言者は祈る。
-イザヤ63:16-17「あなたは私たちの父です・・・「私たちの贖い主」、これは永遠の昔からあなたの御名です。 なにゆえ主よ、あなたは私たちをあなたの道から迷い出させ、私たちの心をかたくなにして、あなたを畏れないようにされるのですか。立ち帰ってください、あなたの僕たちのために、あなたの嗣業である部族のために」。
・「主よ、私たちは苦しい年月を過ごしてきました。敵はあなたの聖所を踏みにじり、私たちは異邦人の支配を受けています。どうか主よ、今こそ天を裂いて降って来てください」とイザヤは祈る。
-イザヤ63:18-19「あなたの聖なる民が、継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、私たちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように」。