1.エルサレムの包囲と陥落
・イザヤ32〜34章は神殿でのリタージ(礼拝祈祷文)と言われる。時代背景ははっきりしないが、通説は、エルサレム滅亡〜捕囚〜帰還を経た民が神殿礼拝でささげた歌とする。ここでは通説に従い、32章「国家滅亡の危機にある時に楽天的な“憂い無き女たち”への批判」、33章「エルサレムの包囲と陥落の中で救いを求める祈り」、34章「エルサレム陥落後の混乱期にユダに侵略したエドムに対する裁きの預言」という前提で釈義する。
・エルサレムはバビロニア軍に2年間にわたって包囲された。包囲戦の中で人心は乱れ、夜明けと共に行われる攻城に人々は怯えた。その中で「彼らを追い払って下さい」と人々は主に祈った。
-イザヤ33:1-3「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者は。お前は略奪し尽くした時に略奪され、欺き終えた時に欺かれる。主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに、我らの腕となり、苦難の時、我らの救いとなってください。どよめきの声によって、もろもろの民は逃げ、あなたが立ち上がられると、国々は散る」。
・祈りにもかかわらず城壁は破られ、バビロニア軍はエルサレム市街に突入し、殺戮と略奪が繰り返される。
-イザヤ33:7-8「見よ、アリエル(エルサレム」の人々は巷で叫び、平和の使者たちはいたく嘆く。大路は嘆き、荒れ果て、道行く者は絶える。人は契約を破り、証人を退け、人を人と思うこともない」。
・列王記に依れば、王と家族は殺され、要人たちは捕囚となった。神殿も王宮も焼かれ、エルサレムは廃墟となった。
-列王記下25:6-9「王は捕らえられ・・・裁きを受けた。彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った・・・バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った」。
・肥沃なシャロンの野も牧畜の地バシャンも敵軍の蹂躙の中に放置された。かつてイザヤが預言した通りになった。
-イザヤ24:1-3「見よ、主は地を裸にして、荒廃させ、地の面をゆがめて住民を散らされる。民も祭司も、僕も主人も・・・債権者も債務者も、すべて同じ運命になる。地は全く裸にされ、強奪に遭う。主がこの言葉を語られた」。
2.歴史の回顧と主の救いへの応答
・その時、預言者は主から回復の宣言を聞く。「主が敵を滅ぼされる」と。
-イザヤ33:10-12「今や私は身を起こすと主は言われる。今や私は立ち上がり、今や自らを高くする。枯れ草をはらみ・・・火のような霊がお前たちをなめ尽くす。もろもろの民は焼かれて石灰となり、切られた茨が火に燃やされる」。
・それに対して民が応える「主は敵を滅ぼされる。エルサレムの占領者も放逐された」と。
-イザヤ33:13-14「遠くにいる者よ、私の成し遂げたことを聞け。近くにいる者よ、私の力強い業を知れ。シオンで罪人は恐れ、神を無視する者はおののきに捕らえられた。我々のうち、誰が焼き尽くす火の中にとどまりえようか。我々のうち、誰がとこしえに燃える炉(アリエル)の中にとどまりえようか」。
・あなた方を略奪し滅ぼした異邦の民は今どこにいるのか。彼らはもうエルサレムにいないばかりか、都バビロンも廃墟になったではないか(バビロン陥落は前539年)。捕囚から帰還した民は侵略者を撃たれた神を賛美する。
-イザヤ33:18-19「あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか、量った者はどこにいるのか、やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず、舌はどもるので理解しえなかった」。
・苦難の歴史を振り返った時、彼らは「裁きこそ救い」であったことを告白する。「主は私たちを裁かれたが回復してくださった」と民は応答する。
-イザヤ33:22「まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる」。
・主は救うために裁かれる。エルサレム陥落直前、主はエレミヤに救済を語られる。
-エレミヤ33:5-6「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ。しかし、見よ、私はこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す」。
・イスラエルは60年間の捕囚を体験した。彼らは「何故主が撃たれたのか」を回顧し、イスラエルの信仰史を書いた(創世記・申命記等の五書が書かれたのは捕囚時代だ)。そして無秩序の民が聖書の民としてエルサレムに帰還する。
-エレミヤ29:10-11「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。