江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年12月25日祈祷会(イザヤ24章、地の基ふるい動く)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.世界審判の預言

・イザヤ24−27章はイザヤ黙示録と呼ばれる。時代背景はわからない。おそらくは紀元前2〜3世紀の預言者がイザヤ書を再解釈し、ここに編入したのではないかと思われる。イザヤ24−27章の預言者もこの終末待望の中にある。24章は神の世界審判の預言だ。神は新しい世界を創造されるために、旧い世界を破壊される。「主は地を裸にして荒廃させ」、創造以前の混沌への復帰が預言される。
−イザヤ24:1-3「見よ、主は地を裸にして、荒廃させ、地の面をゆがめて住民を散らされる。民も祭司も、僕も主人も、女の僕も女主人も、売る者も買う者も、貸す者も借りる者も、債権者も債務者も、すべて同じ運命になる。地は全く裸にされ、強奪に遭う。主がこの言葉を語られた」。
・裁きは全ての人に襲い掛かる。それは旱魃による飢饉、戦争による荒廃等として現実化する。
−イザヤ24:4-12「地は乾き、衰え、世界は枯れ、衰える・・・ 新しい酒は乾き、ぶどうのつるは枯れる。心の朗らかだった人々も皆、ため息をつく。太鼓の音は絶え、陽気な人々の騒ぎは終わり、竪琴の音も絶えた・・・混乱の町は破壊され、どの家も閉ざされ、入る者もない。・・・ 都には荒廃だけが残り、騒ぎのうちに城門は打ち倒された」。
・創造の秩序が破られ、地は混沌となる。それは人が主との契約を破り、姦淫を犯したゆえだと預言者は言う。
-イザヤ24:5-6「地はそこに住む者のゆえに汚された。彼らが律法を犯し、掟を破り、永遠の契約を棄てたからだ。それゆえ、呪いが地を食い尽くし、そこに住む者は罪を負わねばならなかった。それゆえ、地に住む者は焼き尽くされわずかの者だけが残された」。
・人間の罪の故に、天の水門は開かれ(大洪水が来る)、地の基は震え動く(大地震が起こる)と預言者は述べる。
-イザヤ24:17-20「地に住む者よ、恐怖と穴と罠がお前に臨む。恐怖の知らせを逃れた者は、穴に落ち込み、穴から這い上がった者は、罠に捕らえられる。天の水門は開かれ、地の基は震え動く。地は裂け、甚だしく裂け、地は砕け、甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れる。地は、酔いどれのようによろめき、見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる。地の罪は、地の上に重く、倒れて、二度と起き上がることはない」。

2.地の基ふるい動く

・裁きは呪いではなく、希望だ。現実政治の中に救いの望みが絶えた民は、主の直接救済に望みを託す。後期ユダヤ教は黙示文学に傾き、世界審判〜主の日の到来〜救い主の来臨を待ち望むようになる。
-ダニエル7:13-14「夜の幻をなお見ていると、見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り、『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」。
・イエスご自身も、自己がダニエルの預言した人の子であるとの認識を持たれていた。
−マルコ13:24-27「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」。
・私たちはこのような終末預言をどのように聞くのであろうか。パウル・ティリッヒは、第二次世界大戦直後、イザヤ24:18「地の基ふるい動く」という説教を行った。二度の世界大戦を経験し、広島やアウシュヴィッツの悲惨を見た者は、もはや人間の善意に期待する楽観的な説教をすることは出来ない。
−「これらの言葉を真剣に取り上げないで過ごした数十年、否、数世紀さえもがあった。しかし、そうした時代は過ぎ去ったのである。今やわれわれは、こうした言葉を真剣に考えなければならない。なぜなら、彼らの言葉は、人間の大多数が今日経験し、またおそらく余り遠くない将来において全人類が嫌というほど経験することであろうこと、すなわち、『地の基がふるい動く』ということを目の当たりに見るように描いているからである。預言者の幻は、今や現実的な、形而下の可能性となり、歴史的現実とさえなろうとしている。『地は全く砕け』という言葉は、もはや単なる詩的形容ではなく、厳しい現実である。これこそ、今や、われわれが足を踏み入れた時代の宗教的意義である」
・飯嶋和一「出星前夜」は江戸時代の島原の乱を描く。異常気象に依る数年続きの凶作から飢餓に追込まれたキリシタン農民たちは過酷な年貢の減免と施しを藩に求めるが、松倉藩は武力弾圧でこれに応え、農民たちは反乱を起こす。現実政治に救いの望みが絶えた時、主の直接救済に望みを託すか自力救済に動き出すのか、ここにも終末思想がある。
−マルコ13:8-13「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。・・・あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、私のために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。・・・兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。

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