1.バビロン審判の託宣
・イザヤ1−11章はアモツの子イザヤの預言であった。彼はアッシリアの脅威に慌てふためくユダ王たちに、「天地を支配されるのは神であり、アッシリアではない。主にこそ信頼せよ」と叫び続けた。11章後半からイザヤの後継者たちの預言が、イザヤの「託宣」という形で編集して挿入されている。
−イザヤ13:1「アモツの子イザヤが幻に見た、バビロンについての託宣」。
・イザヤが活動した前700年前後、バビロンはアッシリアの属国であり、世界史の舞台にはいない。そのバビロンは前612年アッシリアを倒し世界帝国となっていくが、前538年にペルシャ軍に滅ぼされる。預言はバビロンの衰退、メデイアの胎頭を歌っており、前560年ごろを背景としている。イザヤの時代の140年後だ。
−イザヤ13:17-19「見よ、彼らに対して、私はメディア人を奮い立たせる。・・・バビロンは国々の中で最も麗しく、カルデア人の誇りであり栄光であったが、神がソドムとゴモラを覆されたときのようになる」。
・バビロンは奢り高ぶり、主の器としての役割を忘れた。それゆえ主はバビロンを滅ぼすためにメディア人を立てられる。彼らは山の上に旗を立て、バビロンの門に押し寄せる(バビロン=バベル=神の門の意味)。
-イザヤ13:2-3「はげ山の上に旗を立て、彼らに向かって大声をあげ、手を振り、貴族の門から入らせよ。私は、自ら聖別した者らに命じ、私の勇士、勝ち誇る兵士らを招いて、私の怒りを行わせる」。
・バビロンを倒すために多くの国民が集められる。預言者は当時バビロンと覇を競っていたメディアこそが主の器として用いられると預言した(実際にバビロンを滅ぼしたのはメディアではなく、ペルシャだった。メディアは前550年にペルシャによって滅ぼされている。預言は予言ではないことに留意が必要であろう)。
-イザヤ13:4-5「山々にどよめく音がする、多くの民の集う物音が。もろもろの国が騒ぎ立ち、諸国の民の集められる音がする。万軍の主が、軍勢を召集される。・・・主とその怒りの道具として、この国を滅ぼし尽くすために」。
・世界帝国の滅亡、それは当時の人々にとっては世の終わり、終末の出来事と思えたのであろう。
-イザヤ13:6-8「泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊する者を送られる。それゆえ、すべての手は弱くなり、人は皆、勇気を失い、恐れる。彼らは痛みと苦しみに捕らえられ、産婦のようにもだえ、驚きのあまり、顔を見合わせ、その顔は炎のようになる」。
2.何故バビロンの滅びの預言が第一イザヤに現れるのか
・今、アメリカ発の金融恐慌が世界中をめぐっている。もしかしたら、私たちはアメリカ帝国の終焉を見ているのかもしれない。しかし慌てることはない。世界を支配されているのは主であり、国の盛衰は根源的な問題ではない。
-イザヤ13:11-13「私は、世界をその悪のゆえに、逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き、横暴な者の高ぶりを挫く。私は、人を純金よりもまれなものとし、オフィルの黄金よりも得難いものとする。私は天を震わせる。大地はその基から揺れる。万軍の主の怒りのゆえに、その憤りの日に」。
・終わりの日にはバビロンから異邦人は逃げ出し、残った者は見つけられ次第に刺し殺され、幼子はその頭を砕かれ、女たちは辱められていく。戦争が起こるといつもこのような出来事が起こる。かつてバビロンに滅ぼされたユダが経験した出来事を、今度はバビロンが経験するであろうと捕囚の預言者は歌う。
-イザヤ13:14-16「見つけ出された者は皆、刺し殺され、捕らえられた者は皆、剣に倒れる。幼子たちは彼らの目の前で打ち砕かれ、どの家も強奪され、女たちは辱められる」。
・人間は何故戦争をやめることが出来ないのだろうか。戦争のたびに民は殺され、女たちは陵辱され、国土は焼かれて廃墟となる。砕きなしには人は神に立ち返ることが出来ないからであろうか。バビロンは廃墟となる。
-イザヤ13:20-22「もはや、だれもそこに宿ることはなく、代々にわたってだれも住むことはない。・・・ハイエナがそこに伏し、家々にはみみずくが群がり、駝鳥が住み、山羊の魔神が踊る。立ち並ぶ館の中で山犬が、華やかだった宮殿でジャッカルがほえる。今や、都に終わりの時が迫る。その日が遅れることは決してない」。
・その絶望の只中で、主は希望を持てといわれる。エレミヤが土地を買うように言われたのは、エルサレムが滅びるまさにその時であった。何故なら主の砕きは人を滅ぼすためではなく、救うためになされるからだ。
-エレミヤ32:24-25「この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉通りになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主なる神よ、あなたは私に、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこの時にです」。
・保守的な注解者はイザヤ13章をアモツの子イザヤの預言とするが、明らかに無理だ。イザヤはバビロンの胎頭もその滅亡も知らない。聖書は有限の時間を生きる人間によって書かれ、神がそれを承認された事を認めるべきであろう。