江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年3月28日祈祷会(サムエル記上27章、敵地におけるダビデ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.敵地に逃れたダビデ

・サウルの執拗な追跡に悩むダビデは敵地ペリシテの地に逃れることを決意する。彼には三つの選択肢があった。「王を倒す」、「王に殺される」、「敵地に逃れる」。ダビデはサウルを殺す機会があったが、それは拒否している。王に殺されることは論外だ。最後の選択肢である「敵地への逃亡」を、ダビデは決意する。
―?サム27:1「ダビデは心に思った『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域で私を捜すことを断念するだろう。こうして私は彼の手から逃れることが出来る』」。
・イスラエルの王位を約束されたダビデが約束を信じていない。主に身の安全を委ねることが出来なかった。しかし、そのダビデでさえ、主は守られる。主は契約を破ったイスラエルさえも捨てずに新しい契約を与えられる方だ。
―エレミヤ31:31-33「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつて私が彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出した時に結んだものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる」。
・ダビデは600人の兵を連れてペリシテに行く。彼はペリシテ軍の傭兵として、南部のツィクラグの地を与えられる。
―?サムエル27:6-7「その日、アキシュは彼にツィクラグを与えた。こうして、今日に至るまでツィクラグはユダの王に属することになった。ダビデがペリシテの地に住んだ期間は、一年と四か月であった」。
・ダビデがペリシテの地で行ったことは、イスラエルの敵である周辺部族の掃討であった。ダビデは敵に降伏したと見せて、実はイスラエルのために働いている。ペリシテ王はこのダビデの二律背反を見抜けない。
―?サムエル27:8-12「ダビデとその兵は上って行っては、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。昔からこれらは、シュルからエジプトの地に至る地方の住民であった。ダビデはこの地方を討つと、男も女も生かしておかず、羊、牛、ろば、らくだ、衣類を奪っては、アキシュのもとに戻った。・・・ダビデは、男も女も生かしてガトに引いて来ることは無かった『彼らが我々について、ダビデがこうしたと通報しないように』と考えたからである。・・・アキシュはダビデを信じて『彼は自分の民イスラエルにすっかり嫌われたから、いつまでも私の僕でいるだろう』と思っていた」。

2.イスラエルとの戦いを逃れさせられる神

・しかし、ペリシテ軍はいよいよイスラエルとの戦闘を決意する。ダビデも参戦を求められ、窮地に追い込まれる。
―?サムエル28:1「そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍を集結させた。アキシュはダビデに言った。『あなたもあなたの兵も私と一緒に戦陣に加わることを、よく承知していてもらいたい』」
・ここで主が働かれる。主はペリシテの武将たちに、ダビデがどのような人物であるかを思い起こさせることを通して、ダビデをイスラエル討伐軍から離脱させられる。
―?サムエル29:4-5「ペリシテの武将たちはいらだってアキシュに言った『この男は帰らせるべきだ。彼をもともと配置した所に戻せ。我々と共に戦いに向かわせるな。戦いの最中に裏切られてはならない。この男が元の主人に再び迎え入れられるには、ここにいる兵士たちの首を差し出すだけで十分ではないか。サウルは千を討ち、ダビデは万を討ったと人々が歌い踊ったあのダビデではないか』」。
・こうして、ダビデは、敵の猜疑心という方法で、自分自身から、また自分の使命への不忠実から守られた。主の導きは人の思いを超える。ヨセフがエジプトに売られた時、誰がこれをイスラエル救済の始まりだと思ったか。
―創世記45:4-8「ヨセフは兄弟たちに言った『私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです』」。
・十字架の救いもそうだ。誰が十字架を通して救済されると思えただろうか。
―?コリント1:22-25「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」。

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