1.神殿建設
・ソロモンは即位後4年目(前962年)に、神殿建設を始め、7年後に完成した。
−?列王記6:1-3「ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。ソロモン王が主のために築いた神殿は、奥行きが六十アンマ、間口が二十アンマ、高さが三十アンマであった」。
・ソロモンが神殿を立てた時、主は彼に言われた「私はあなたが忠実である限り、共にいる」。神の祝福は、ソロモンが従う限り与えられるが、従わない時、神殿は何の役にも立たない。それは祝福を保証するものではない。
−?列王記6:11-13「あなたが建てている神殿について、もしあなたが私の掟に従って歩み、私の法を実行し、私のどの戒めにも従って歩むなら、私は父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。私はイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない」
・6章は神殿の建物としての壮観さを、7章は備品の豪華さを述べる。しかし、神殿の中心は建物ではなく、その中に納められる契約の箱、即ち主の言葉であった。主の言葉に従っていく、それが神殿建設の意味である。
−?列王記8:6-9「祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所と言われる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した。・・・箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである」。
・「あなたの忠実こそがあなたの生存の条件であり、神殿ではない」と主の言葉がソロモンに伝えられる。
− ?列王記 9:6-9「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨て去る。・・・この神殿は廃虚となり、そのそばを通る人は皆、驚いて口笛を鳴らし、・・・問うであろう。そのとき人々は、『それは彼らが・・・主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。」
・それにもかかわらず、ソロモンの誠実さはやがて奢りに変わる。主はそのソロモンを見て、あなたの国を分裂させると言われた。王国の南北への分裂の中に、列王記記者は主の御心を見ている。
−?列王記11:9-12「ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。そこで、主は仰せになった「あなたがこのようにふるまい、私があなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、私はあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる」。
2.神殿と信仰
・やがて人々の関心は主の言葉よりも、神殿そのものに移っていく。エルサレムに神殿がある限り、自分たちは安心だという人々に対して、エレミヤは「あなたがたが従わない限り、神殿は何の保証にもならない」と宣べた。
−エレミヤ7:10-15「私の名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り。私にもそう見える・・・シロの私の聖所に行ってみよ。かつて私はそこに私の名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、私がそれをどのようにしたかを見るがよい。今や、お前たちがこれらのことをしたから、・・・言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、私の名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、私はシロにしたようにする。私は、お前たちの兄弟である、エフライムの子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちを私の前から投げ捨てる。」
・この神殿は前587年バビロニア軍によって破壊された。その後、第二、第三神殿が立てられていったが、神殿は人々の信仰を保証しなかった。イエスの宮清めの記事はエレミヤ書の再現だ。
−マルコ11:15-17「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた『こう書いてあるではないか。私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった』」。
・真の神殿は建物ではない。イエスが臨在されるところ、そここそ神殿である。黙示録にはもはや神殿はない。
−マタイ18:20「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」