1.アンモン人との戦いのために立てられたエフタ
・イスラエルはまたもや主の前に罪を犯し、主はイスラエルをアンモン人の支配下に放置される。
―士師記10:6-7「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。彼らは主を捨て、主に仕えなかった。主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された」。
・アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、川を越えて西岸の地域をも侵し始めた。
―士師記10:8-9「敵は、その年から十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」。
・イスラエルは主に救いを求めるが、主は拒否される「お前たちの神に救いを求めよ」。しかし、イスラエルの悔い改めの真実であることを見られ、彼らを救うために、エフタを選ばれる。主は悔い改める者を見捨られない。
―士師記10:15-16「イスラエルの人々は主に言った『私たちは罪を犯しました。私たちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日私たちを救い出してください』。彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになったので、主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった」。
・エフタはギレアド出身のならず者だった。彼は仲間と徒党を組んで隊商を襲う夜盗集団の頭だった。しかし、その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼む。
―士師記11:11「民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた。エフタは、ミツパで主の御前に出て自分が言った言葉をことごとく繰り返した」。
2.エフタの取引とその結果
・エフタは戦の勝利を願い、「勝利の暁には家の者をいけにえとして捧げます」と誓願する。
―士師記11:30-31「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰るとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」。
・戦いはエフタの勝利になった。エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘であった。エフタは娘をいけにえとして捧げると約束してしまった。
―士師記11:34-35「エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」。
・娘は悲しむが誓願の言葉を破ることは出来ない。彼女はいけにえとして死んで行った。
―士師記11:36-39「彼女は言った『あなたは主の御前で口を開かれました。私を、その口でおっしゃったとおりにしてください。・・・二か月の間、私を自由にしてください。私は友達と共に出かけて山々をさまよい、私が処女のままであることを泣き悲しみたいのです』。二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓い通りに娘を捧げた」。
・アブラハムが息子イサクを捧げようとした時、主は備えの羊を送ってそれを止めさせられた(創世記22:10-15)。しかし、今回は何もされない。エフタは取引をしたからだ。主が求められるのはいけにえでなく従順だったのに、エフタはいけにえを捧げた。
―ミカ6:8「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」。
・エフタが娘の助命を求めたら主は許されたであろう。エフタは求めなかった。彼の不信仰が娘を殺したのだ。
―ルカ11:11-13「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
・「もし助けてくれるなら・・・します」という祈りは不信仰なのだ。神は私たちに無償の恵みを下さることを信じきれない祈りなのだ。
―イザヤ55:1「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」。