1.カナンに立ち向かうデボラとバラク
・エフドの死後、イスラエルは堕落し、苦難が与えられる。カナン王ヤビンが抑圧者として苦しめる。
―士師記4:1-3「エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである」。
・その結果、イスラエルは孤立し、民は困窮した。この時、デボラが召されて士師として立てられる。
―士師記5:6-7「ヤエルの時代に、隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた。イスラエルにこれらは絶えた。私デボラはついに立ち上がった。イスラエルの母なる私はついに立ち上がった」。
・デボラは立てとの声を聞き、将軍バラクに軍勢を率いてシセラと戦うように求める。
―士師記4:6-7「ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った『イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。私はヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。私は彼をお前の手に渡すと』」。
・平地は戦車を持つカナン人の支配下にあった。誰も戦車を持つ相手とは戦おうとはしなかった。バラクも自分たちだけの力では戦えないと思っていたが、神の霊を受けたデボラが同行するのであれば戦おうと言った。
―士師記4:8-9「『あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、私は行きません』。デボラは『私も一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです』と答え、直ちにバラクと共にケデシュに向かった」。
・戦いはキション河のほとりのメギドで行われた。大雨が降り、河が氾濫し、戦車の車輪がぬかるみに取られ、シセル軍は総崩れになった。
―士師記5:19-21「王たちはやって来て、戦った。カナンの王たちは戦った、メギドの流れのほとり、タナクで。だが、銀を奪い取ることはできなかった。もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。キション川は彼らを押し流した、太古の川、キション川が。わが魂よ、力強く進め」。
2.信じて立つものは勝利する
・戦いに敗れたシセルは逃走するが、ヤエルの計略により、殺される。
―士師記5:24-27「女たちの中で最も祝福されるのは、カイン人ヘベルの妻ヤエル。天幕にいる女たちの中で、最も祝福されるのは彼女。水を求められて、ヤエルはミルクを与えた。貴人にふさわしい器で凝乳を差し出した。彼女は手を伸ばして釘を取り、職人の槌を右手に握り、シセラの頭に打ち込んで砕いた」。
・5章にあるデボラの歌はイスラエル最古の歌と言われている。それは鉄の戦車を恐れて何も出来なかった民が、神の励ましによって敵を追い出すことが出来た幸いを歌う。
―士師記5:8-11「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが、イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか。わが心はイスラエルの指揮する者らと共に、この民の進んで身をささげる者と共にある。主をほめたたえよ。栗毛の雌ろばに乗り、敷物を置いてその背に座り、道を行く者よ、歌え。水くみ場で水を分ける者らの声にのせて、主の救いを語り告げよ。・・・そのときこそ、主の民は、城門に向かって下って行く」。
・全ての民が戦いに参加したのではない。戦いの帰趨を様子見する部族もあったことを士師記は隠さない。
―士師記5:16-17「なぜ、あなたは二つの鞍袋の間に座して、羊の群れに吹く笛を聞くのか。ルベンの諸支族には、大いに心に究めるものがあった。ギレアドはヨルダンの向こうにとどまった。ダンは、なぜ舟に宿るのか。アシェルは海辺に座し、舟着き場にとどまった」。
・戦いは主がなされる。そうであれば戦車900台も脅威ではなくなる。信じて立つ、その信仰が必要だ。
―詩篇44:5-9「神よ、あなたこそ私の王。ヤコブが勝利を得るように定めてください。あなたに頼って敵を攻め、我らに立ち向かう者を、御名に頼って踏みにじらせてください。私が依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって勝利を得ようともしていません。我らを敵に勝たせ、我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。我らは絶えることなく神を賛美し、とこしえに、御名に感謝をささげます」。
・人の目には不可能なことでも信じれば可能になる。信じきるときに新しい出来事が生まれる。
―ヨハネ11:25-26「イエスは言われた『私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか』」。