江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年3月8日祈祷会(ヨシュア記10章、イスラエルの決定的な勝利の日)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イスラエルとカナン連合軍の戦い

・カナン連合軍との戦いが始まった。これまでは各都市との戦いであったが、今度はカナン連合軍との全面対決である。しかし、ギブオンは既にイスラエルの前に降伏しており、カナン連合軍の戦力は大きく削がれていた。
−ヨシュア記10:1-6「エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを占領し、滅ぼし尽くし、アイの町とその王をも、先のエリコとその王と同じように取り扱ったことを聞き、またギブオンの住民がイスラエルと和を結び、彼らのうちに住むことを許されたと聞くと、非常に恐れた。・・・エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わし、『私のもとに上り、ギブオンを撃つのを助けていただきたい。彼らはヨシュアの率いるイスラエルの人々と和を結んだ』と伝えた。アモリ人の五人の王、すなわちエルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの王たちとその全軍勢は連合して攻め上り、ギブオンに向かって陣を敷き、戦いを仕掛けた」。
・ギブオンはイスラエルに助けを求め、ヨシュアは全軍を率いて出陣した。主は「彼らを恐れるな」と励まされた。
−ヨシュア記10:7-8「ヨシュアは兵士全員、すべての勇士を率いてギルガルから出陣した。主はヨシュアに言われた『彼らを恐れてはならない。私は既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない』」。
・戦いはイスラエル軍の大勝利になった。壊走するカナン軍を主の雹が打った。
−ヨシュア記10:9-11「主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられたので、ヨシュアはギブオンで敵に大打撃を与え・・・追撃した。彼らがイスラエルの前から敗走したとき、主は天から大石を降らせた・・・雹に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった」。
・さらに不思議な出来事が生じた。ヨシュアが「日よ、落ちるな」と祈ったら、日は留まり、月も動かなかったという。
−ヨシュア記10:12-14「主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った『日よ留まれギブオンの上に、月よ留まれアヤロンの谷に』。日は留まり、月は動きをやめた、民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天に留まり、急いで傾こうとしなかった。主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった」。

2.カナン征服の記事をどう読むか

・戦いに勝利し、ヨシュアはカナン主要部を制圧した。ヨシュア記は主が戦われたためにそうなったと讃美する。
−ヨシュア記10:40-42「ヨシュアは、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地を含む全域を征服し、その王たちを一人も残さず、息ある者をことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった。ヨシュアは、カデシュ・バルネアからガザまで、ゴシェン地方一帯を経て、ギブオンまでを征服したのである。ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕らえることができたのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」。
・このヨシュアの戦いは理想化して描かれている。士師記1章が私たちに教えるのは、エルサレムやヘブロンがイスラエルの支配下に入ったのは、ヨシュアの死後であった。
−士師記1:1-10「ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った『私たちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか』。主は『ユダが上れ。見よ、私はその地をユダの手に渡す』と言われた。・・・ユダの人々はエルサレムを攻撃し、剣をもってこれを占領、町には火を放った。その後、ユダの人々は下って行って・・・ヘブロンに住むカナン人をも攻めた」。
・イスラエルのカナン占領は数十年をかけてゆっくり為されたと歴史的には見られている。ヨシュア記は申命記記者(祭司)によって書かれた信仰の書だ。ヨシュアが太陽や月に命じたら、彼らの運行が留まったという記事も誇張表現と見るべきであろう。この記事を基に地動説を否定した教会の過ちの歴史を繰り返してはいけない。
−16世紀にコペルニクスが天動説を否定して地動説を唱えた時、マルテイン・ルターは言った「このばか者は天文学全体をひっくり返そうとしている。ヨシュアが留まれといったのは、太陽に対してであって、地球に対してではない」。このルターの主張はガリレオの宗教裁判でも援用され、有罪の根拠とされた。教会が誤りを認めたのは1992年であった。
・ヨシュア記10章では住民全部を殺したとある(聖絶)。しかし、ヨシュア記23章はそうではなく、民が先住民族と混在して暮らした事実を裏付ける。聖書は字義通りに解釈するのは愚かであり、歴史や時代の文脈の中で、読んでいくべきだ。
−ヨシュア記23:12-13「あなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる」。

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