1.ヨルダン川渡河の意味
・約束の地に入ろうとする民の前に、雪解け水であふれたヨルダン川が立ちふさがった。主は川の水を止めて、イスラエルの民を渡らせ、民が渡り終わった時、「川から石を取り、それをしるしとせよ」と命じられた。
−ヨシュア記4:1-3「民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。『民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい』」。
・ヨシュアは石を集めて、礼拝をするように、民に命じる。出来事をしるしとして覚えるためだ。
−ヨシュア記4:4-6「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。それはあなたたちの間でしるしとなるであろう」。
・しるしそのものが意味を持つのではない。しるしを通して示された神の行為の中にこそ意味がある。アブラハムは約束を受けたしるしとして、割礼を受けよと命じられた。
−創世記17:9-11「あなたたちと、私との間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、私とあなたたちとの間の契約のしるしとなる」。
・しるしはいつの間にか偶像となる。割礼も洗礼も聖餐式も形骸化した時、その意味を失くす。
−ガラテヤ5:2-6「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。・・・キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」。
・しるしは「信仰の継承」の為に与えられる。それは信仰の証だ。
−ヨシュア記4:6-7「後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」
・しるしを持って生きる。ヘブル語では過去=ケデム=前に置かれたもの、未来=アハロ=後に続くもの、ボートをこぐ人が後ろを向いて前に進むように、私たちも過去のしるしを持って未来に進む。
−?コリ1:10「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
2.契約の箱が先立つ
・民が川を渡り終わったのを見て、ヨシュアは祭司に水から上がるように命じ、列の先頭に立つように命じる。神の戦いであるから、神が先頭に立たれる。そのしるしが契約の箱だ。
−ヨシュア記4:10-11「主がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、箱を担いだ祭司たちはヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた。・・・その間に民は急いで川を渡った。民が皆、渡り終わると、主の箱と祭司たちとは民の先頭に立った」。
・ヨシュアは自分が先頭に立たず、神の箱を先頭に立てた。指導者は主を恐れ従う時に、大いなるものとされる。逆に指導者がその地位を自分で獲得したと思い始めるとき、主はその指導者を替えられる(サムエル上15:22-23)。
−ヨシュア記4:14「その日、全イスラエルの見ている前で、主がヨシュアを大いなる者とされたので、彼らはモーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った」。
・祭司たちが川から上がると、ヨルダン川の流れは元に戻った。ヨルダン川はたまたま止まったのではなく、主に依って止められた。しるしの意味がここにある。出エジプトにおいて、紅海が開かれたように、今度はヨルダン川も開かれた。神は全てを可能にして下さる。
−ヨシュア記4:23-24「主は、あなたたちが渡りきるまで、あなたたちのためにヨルダンの水を涸らしてくださった。それはちょうど、我々が葦の海を渡りきるまで、・・・主が我々のために海の水を涸らしてくださったのと同じである。それは、地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである。」
・主の手は強い、それを順調な時も、逆境の時も信じていく。現実がどうであれ、御心を信じ、従って行く。
−イザヤ59:1-2「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ」。