1.聞け、イスラエル
・民に戒めと掟が与えられる。その付与は、「聞け=シェマ・イスラエル」として為される。神は霊であり、見ることが出来ない故に、神の言葉を「聞け」と命じられる。聞く=聴くは基本である。
−申命記5:1「モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、私は掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい」。
・その言葉はホレブ=シナイで語られた。聞いた民はみな死んだが、契約は生きており、第二世代である民に語られる。そして、第三世代である私たちも聴く。神の言葉は聞くことにより、力となる。
−申命記 5:2-3「我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」。
・基本的な戒めは民に直接語られ、その実践である法は、モーセを通して語られる。私たちも目で聖書を読み、耳でその説き明かしを聞く。モーセの役割は、神の言葉を取り次ぎ、それを子どもたちにも伝えるように教える。
−申命記5:30-31「あなたは、彼らのもとに行って、それぞれの天幕に帰れと命じなさい。しかし、あなたはここにとどまり、私と共にいなさい。私は、あなたに戒めと掟と法をすべて語り聞かせる。あなたはそれを彼らに教え、彼らは私が得させる土地においてそれを行う。」
・それは命に関る教えである。神の言葉を聞き、それに従うことは、命をかけた行為であると言われる。
−申命記5:32-33「あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる」。
2.十戒
・戒めは十戒と呼ばれる。10の大事な戒めがあるからだ。
−申命記4:12-14「主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。主はそのとき、あなたたちが渡って行って得ようとしている土地で行うべき掟と法をあなたたちに教えるように私に命じられた」。
・戒めの中核は安息日の規定である。イスラエルはエジプトで奴隷であり、休むことが許されなかった。だから、救われた今は「休め」といわれる。安息日は祝福であり、義務化したときに喜びはなくなる。
−申命記5:12-15「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・・あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」。
・イスラエルはエジプトで奴隷として安息日を憧れ、望んだ。だから、子や奴隷にも休息を与えよと命じられる。
−申命記5:14「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる」。
・従順に対する神の祝福と、不従順に対する神の呪いが記される。しかし、不従順に対する神の怒りは過ぎ去る。神は私たちが滅びることを喜ばれない。旧約は裁きであり、新約は赦しであるとするのは表層的な見方だ。
−詩篇30:5-6「主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。一時、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。
・後半の倫理の中核は「貪るな」である。神からの離反が貪りを招き、貪りから殺人や姦淫や盗みが生じる。
−ヤコブ4:1-3「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」。
・貪りの罪の実態は、偶像崇拝の罪だ。主のみを愛せよ、他の神に迷うな。十戒の根本は第一戒だ。
−エペソ5:5「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい」。