1.ナダブとアビブの死
・アロンの二人の息子ナダブとアビブは、異なる火を主の前に捧げたので、主の怒りに触れ、死んだ。
−レビ記10:1-2「アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」
・何が起きたのだろうか。ある解釈者は、香炉の火は燔祭の祭壇から採らなければならなかったのに、勝手に二人が俗なる火を用いたのではないかと想像する。
−レビ記16:12-13「主の御前にある祭壇から炭火を取って香炉に満たし、細かい香草の香を両手にいっぱい携えて垂れ幕の奥に入り、主の御前で香を火にくべ、香の煙を雲のごとく漂わせ、掟の箱の上の贖いの座を覆わせる。死を招かぬためである。」
・別な者は、二人が酒に酔って祭儀を執行したため、主の怒りに触れたのだと言う。
−レビ記10:9「あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである。」
・二人は酒に酔って聖所に入り、勝手に香をたき、聖なる場所とされていた至聖所に入ったのであろう。
−レビ記16:1-2「アロンの二人の息子が主の御前に近づいて死を招いた事件の直後、主はモーセに仰せになった。
・・・あなたの兄アロンに告げなさい。決められた時以外に、垂れ幕の奥の至聖所に入り、契約の箱の上にある贖いの座に近づいて、死を招かないように。私は贖いの座の上に、雲のうちに現れるからである。」
・ここで言われるのは、聖なるものは、聖なるものとして接しなさいということだ。
−レビ記10:10「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別することである」
・初代教会でも同じような出来事があったと使徒行伝は伝える。
−使徒行伝5:1-5「アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。・・・あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ』。この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。」
・誤って罪を犯した時は赦される。しかし、罪を罪と知りながら犯した時は、赦しがない。何故なら、神は聖だからである。信仰とはそのような厳しさを持つものだ。
−マタイ12:31-32「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」
2.愛の神と義なる神
・アロンは二人の息子が死んだ時、何も言わず黙した。二人が死に値する冒涜を犯したことを知ったからだ。
-レビ記10:3「 モーセがアロンに、『私に近づく者たちに、私が聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現そうと主が言われたとおりだ』と言うと、アロンは黙した。」
・モーセはアロンと息子達に、葬儀には参加せず、祭司としての務めを果たせと言った。アロンは従った。
−レビ記10:6-7「モーセは、アロンとその子エルアザルとイタマルに言った。髪をほどいたり、衣服を裂いたりするな。さもないと、あなたたちまでが死を招き、更に共同体全体に神の怒りが及ぶであろう。・・・あなたたちは決して臨在の幕屋の入り口から出てはならない。さもないと死を招くことになる。あなたたちは主の聖別の油を注がれた身だからである。彼らはモーセの命じたとおりにした。」
・しかし、贖罪の献げ物を食べよとのモーセの命には逆らった。息子が死んだのに食物が食べられようか。神は正義だけを主張される方ではなく、死別の悲しみも理解される方であることをモーセも知ったからだ。
−レビ記10:16-20「モーセは贖罪の献げ物の雄山羊を捜し回ったが、既に燃やし尽くされていた。モーセは怒って、生き残ったアロンの子エルアザルとイタマルに問いただした。『なぜ贖罪の献げ物を聖域で食べなかったのか。・・・』。 アロンはモーセに答えた。『確かにあの者たちは今日、贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物を主の御前にささげました。しかし、私にこのようなことが起きてしまいました。私が今日、贖罪の献げ物を食べたとしたら、果たして主に喜ばれたでしょうか。』 モーセはこれを聞いて納得した。」