1.宿営の配置
・兵役のための人口調査が終わると、全軍は幕屋を中心に宿営した。共同体の中心に幕屋(神殿)がある。
―民数記2:1-2「主はモーセとアロンに仰せになった。イスラエルの人々は、それぞれ家系の印を描いた旗を掲げて宿営する。臨在の幕屋の周りに、距離を置いて宿営する。」
・ここではユダとその宿営が正面の位置を占める。長子ルベンではなく、4男ユダが部族筆頭になった。
―民数記2:3-9「東側の正面に宿営する者は、ユダの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる。・・・ユダの宿営に属する者は総勢十八万六千四百人で、彼らが先頭を行進する。」
・ルベンとその宿営は二番目で、三番目はエフライム(ヨセフの子)とその宿営であった。
―民数記2:16「ルベンの宿営に属する者は総勢十五万一千四百五十人で、二番目を行進する。」
―民数記2:24「エフライムの宿営に属する者は総勢十万八千百人で、三番目を行進する。」
・最後がダンとその宿営(アセル族、ナフタリ族)であった。ダン、アセル、ナフタリは側めの子であり、それが序列に反映している。
−創世記35:22-26「ヤコブの子らは十二人であった。すなわちレアの子らはヤコブの長子ルベンとシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。ラケルの子らはヨセフとベニヤミン。ラケルのつかえめビルハの子らはダンとナフタリ。レアのつかえめジルパの子らはガドとアセル。」
・約束の地に向かって荒野を進むためには、共同体内部の序列、命令系統が必要であった。人間の共同体は、家族から国家に至るまで、決断する人と、従う人の区別が必要である。それは必要な役割分担であり、共同体において、役割と権力を平等に分かつ時には、混乱と無法の状況になる。共同体は主の命令に従った。
―民数記2:34「イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗の下に宿営し、またそれぞれ氏族ごとに、家系に従って行進した。」
・同時に、権力を持ち、卓越した地位にある人々は、共同体に対する特別な責任を担う。責任を果たさない者は、その地位を追われる。ヤコブの長子はルベンであったが、ルベンは過ちを犯したため、長子権を失っている。権力は神の委託であり、委託を果たさない時には、交代することが求められる。
―創世記49:3-4「ルベンよ、お前は私の長子、私の勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で、長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。あのとき、私の寝台に上り、それを汚した。」
2.レビ人の役割
・レビ人は兵役に登録されず、土地も与えられなかった。彼らの役割は幕屋を守ることであった。
―民数記1:49-50「レビ族のみは、イスラエルの人々と共に登録したり、その人口調査をしたりしてはならない。むしろ、レビ人には掟の幕屋、その祭具および他の付属品にかかわる任務を与え、幕屋とすべての祭具の運搬と管理をさせ、幕屋の周囲に宿営させなさい。」
・全軍の中心は幕屋であり、それを守るのがレビ人の役割であった。
―民数記2:17「臨在の幕屋は、レビ人の宿営に囲まれて全宿営の中央を行進する。宿営しているときと同じように、それぞれの宿営は、その旗印の下に行進する。」
・共同体の中核に幕屋がある意味は何か。人間の歴史形成は必然的に権力闘争の形をとる。約束の地に入るとは、その地に住むカナン人と戦い、彼らから土地を奪うことである。この世に生きるとは罪を犯し続けることであって、罪の購いのための執り成しの祈りが不可欠だ。それがレビ人、今日で言うキリスト者の役割である。
―マタイ5:13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
・レビ人もキリスト者も常に少数者である。少数者の役割は平和のために執り成し、祈ることだ。それは党派性を持って戦うことではなく、祈ることである。モーセの手を支えたアロンの役割である。
―出エジプト記17:10-13「ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。」