1.聖書におけるライ病
・旧約聖書においては、ライ病は神に打たれた病、神の刑罰、悪霊の業として忌み嫌われた。(ライ病=ヘブル語「ツァラァト」=打たれたもの)
−民数記12:9-12「主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。アロンはモーセに言った。『わが主よ。どうか、私たちが愚かにも犯した罪の罰を私たちに負わせないでください。どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来た死者のようにしないでください。』」
・そのため、皮膚病に罹った者は、ライ病ではないかと慎重に調べられた。
−レビ記13:2-3「もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか彼の家系の祭司の一人のところに連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に『あなたは汚れている』と言い渡す。」
・ライ病は接触感染の伝染病であり、最後には体の組織が崩されていく。古代においては、直す事の出来ない業病であり、隔離するしかなかった。そのことは患者にとっては共同体からの追放を意味した。
−レビ記13:45-46「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」
*聖書のライ病はハンセン病に当てはまるものも一部含まれているが,もっと広い範囲の汚れを意味している.「衣服のらい病」(レビ13:47‐59),「家のらい病」(レビ14:33‐53)という表現は,かびの繁殖を示す.人の場合も含めて,ここでは祭司が最終的な判断を下し,汚れているか,清いかを宣言する.汚れていると宣言された人,衣服,家は隔離され,一定期間後に再点検して,異常がなければ,きよめの儀式を行い,もとの生活に戻ることができた.
*現代医学によって明らかにされた「らい病」はハンセン病と呼ばれる.1871年,ハンセンが,この疾患が結核菌に似たらい菌によって発病することを明らかにしたことによる.人体に感染してからも,数年から二十数年の長い潜伏期を経て発病することが明らかになっている. 1941年,プロミンが合成され,ハンセン病の治療に画期的なものとなった.類似の皮膚疾患としては,結核性皮膚病,尋常性乾癬(psoriasis vulgaris),尋常性白斑(vitiligovulgaris)などがある.
2.宿営の外に追い出された者
・イエスは、この追放され、疎外されたライ病者を深く憐れまれた。
−マルコ1:40-44「重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。『だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。』」
・ユダヤ教徒は、ライ病者は『汚れた者』として近づかないし、ましてや触れない。イエスがライ病者に触れていやされたことは、当時の人々を驚かす出来事だった。
−マタイ11:5「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」
・イエスの跡に従うため、多くの人がライ患者のために仕えた。スチーブンソンはそこに神の業を見ている(ロバート・スチーブンソン「院母マリアンヌ姉に」)
−「このところには哀れなことが限りなくある。手足は切り落とされ、顔は形がくずれ、さいまれながらも、微笑む、罪のない忍苦の人。それを見て愚か者は神なしと言いたくなろう。一目見て、しり込みする。しかし、もう一度見つめるならば、苦痛の胸からも、うるわしさ湧ききたりて、目にとまるは、歎きの浜で看取りする姉妹達。そして愚か者でも口をつぐみ、神を拝む。」