1.幕屋とは何か
・出エジプト記の三分の一は幕屋(神殿)についての記述である。
25−31章 幕屋建設の命令、
32−34章 金の子牛(民の背信)、
35−40章 幕屋建設の実行
・何故、幕屋のことがこんなにも詳細に書かれているのか。
―出エジプト記のテーマはエジプトの奴隷からの解放である。誰に従うのか、ファラオなのか神なのか。ファラオのための強制的建築へ従事するのか、神のための自由な神殿建設への参加するのが出エジプト記なのである。
・神殿建設への参加は自由であり、個々人の意思に委ねられる。だから、幕屋は民が進んで捧げるもので建設される。教会の建設も同じで、進んで参加する人たちが教会を作り維持する。
―出エジプト記25:1-7「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に命じて、私のもとに献納物を持って来させなさい。あなたたちは、彼らがおのおの進んで心からささげる私への献納物を受け取りなさい。彼らから受け取るべき献納物は以下のとおりである。金、銀、青銅、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、赤く染めた雄羊の毛皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし火のための油、聖別の油と香草の香とに用いる種々の香料、エフォドや胸当てにはめ込むラピス・ラズリやその他の宝石類である。」
・高い山に住まれる神が平地に、民の只中に降りてこられる。民はもう山に登る必要はない。主が民の方へ降りてこられた。その神の住まいのために幕屋が準備される。
―出エジプト記25:8-9「私のための聖なる所を彼らに造らせなさい。私は彼らの中に住むであろう。私が示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。」
・出エジプト記が書かれたのは、バビロン捕囚の時であったと言われる。民の背信により、国は滅ぼされ、神殿は消失し、民は捕囚とされた。それでも主は民の中に住まれるのかを、民はモーセの出来事の中に求めた。
―出エジプト記29:45-46「私はイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、私が彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、私が彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。私は彼らの神、主である。」
2.契約の箱と購いの座
・その幕屋には「契約の箱」を収めるように命じられる。モーセに与えられた二枚の契約の板を収める箱である。
―出エジプト記25:10-16「アカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。・・・この箱に、私が与える掟の板を納めなさい。」
・その箱の四隅には金環が設けられ、いつでも移動できるよう棒が環に通される。神は、人間が立てた神殿に住まわれるのではなく、神はどこにもおられ、神のおられるところが聖所となる。
―?サム7:5-7「私の僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたが私のために住むべき家を建てようというのか。私はイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。私はイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、私の民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜ私のためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。」
・契約の箱の上に「購いの座」を作るように命じられる。犠牲の動物の血を受ける場所だ。人は契約に同意した後も罪を犯し続ける。だから契約の箱の上に購いの坐が設けられる。罪が購われないと神に会うことは出来ない。
―出エジプト記25:17-22「次に、贖いの座を純金で作りなさい。・・・一対のケルビムは顔を贖いの座に向けて向かい合い、翼を広げてそれを覆う。この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱に私が与える掟の板を納める。私は掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、私がイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。」
・人は寄留者だ。そして私たちを導かれる神も共に動いて下さる。それで十分ではないかと出エジプト記は言う。何故見えるもの、形あるもの、固定的なものによって導かれることを求めるのか。
―出エジプト記40:34-38「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。・・・雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていた。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。」