江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年10月1日祈祷会(出エジプト記27章、祭壇の建設)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.祭壇の建設

・幕屋を造った後、幕屋の外に祭壇を造るように命じられる。
―出エジプト記27:1-2「アカシヤ材で祭壇を造りなさい。縦五アンマ、横五アンマ、高さは三アンマとする。祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。」
・この祭壇は燔祭のいけにえを捧げるためのものであり、祭壇の四隅には角が設けられた。この角には動物の犠牲の血が塗られ、その血に触ることによって罪が赦されるとされた。
―出エジプト記29:11-13「あなたはそれを主の御前、臨在の幕屋の入り口で屠る。次いで雄牛の血を器に取り、その一部を指で祭壇の四隅の角に塗り、血は全部祭壇の基に流す。 次に内臓を覆っているすべての脂肪と肝臓の尾状葉と二つの腎臓とそれに付着する脂肪を取って、祭壇で燃やして煙にする」
・祭壇の中心は角である。「祭壇の角を折る」とは祭壇が破壊されることを示す。
―アモス3:14「私がイスラエルの罪を罰する日に、ベテルの祭壇に罰を下す。祭壇の角は切られて地に落ちる。」
・祭壇や祭具など、幕屋の外のものは全て青銅で覆われるか、作られた。他方、幕屋の中の物は契約の箱を始め、全て金で覆われた。青銅は人間の罪性を示し、金は神の栄光を示す。
―出エジプト記25:10-11「アカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。」
・人間は幕屋の外で祭壇の血に触り、罪を赦されてから、神のおられる幕屋に入る。つまり、青銅で出来た幕屋の外の祭壇は罪が始末される場であり、罪が購われた後でなければ神とは出会えなかった。
―出エジプト記40:5-7「掟の箱の前に香をたく金の祭壇を置き、幕屋の入り口には幕を掛ける。また、焼き尽くす献げ物の祭壇を幕屋、つまり臨在の幕屋の入り口の前に据え、洗盤を臨在の幕屋と祭壇の間に据え、これに水を入れる。」

2.罪の購い

・祭壇の役割は、動物の犠牲の血を流すことによって、人間の罪を購うことであった。血は命であり、罪とは神が造られた命を犯す行為ゆえに、血を流すことによって、購わなければならない。
―創世記9:5-6「あなたたちの命である血が流された場合、私は賠償を要求する。・・・人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」
・罪は、血を流すことなしには赦されないほどのものだ。購いとは命のかかった行為なのだ。
―レビ17:11「生き物の命は血の中にあるからである。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。」
・元々、エジプトからの救いは民を購う行為であった。
―出エジプト記6:6-7「私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、私はあなたたちを私の民とし、私はあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、私があなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。」
・しかし、この購いは破綻する。旧訳では、動物の血を流すことによって、購いが為されるが、主体者である人間はそこに何の痛みも感じないゆえ、罪を犯し続けるからだ。
―エレミヤ31:31-32「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつて私が彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った」
・人間の方からは罪の購いが出来ない。故に神は、自らが罪を引き受ける新しい契約を民と結ばれた。
―マタイ20:28「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。」
・こうして、動物の血の代わりにキリストの血が流され、私たちの罪の購いが為される。私たちは神の子の死という値を払って買い戻された。この痛みを知るのが信仰だ。
―?コリ5:21「罪と何のかかわりもない方を、神は私たちのために罪となさいました。私たちはその方によって神の義を得ることができたのです。」
―?コリ6:20「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

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