1.神の怒り
・金の子牛を造って拝んだ民を神は滅ぼすと言われたが、モーセのとりなしでそれを思い返された。
―出エジプト記32:9-14「主は更に、モーセに言われた。『私はこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、私を引き止めるな。私の怒りは彼らに対して燃え上がっている。私は彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。』モーセは主なる神をなだめて言った。『・・・私はあなたたちの子孫を天の星のように増やし、私が与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせると言われたではありませんか。』主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。」
・主は「約束の地に向かって歩め、その土地をあなた方に与えるから」と改めて約束された。
―出エジプト記33:1-2「主はモーセに仰せになった。『さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、あなたの子孫にそれを与えると言った土地に上りなさい。私は、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。』」
・しかし、主は共に行かないと言われた。偶像礼拝により、民はもう「神の民」ではなくなったからだ。罪は赦されても、罰は罰として残される。
―出エジプト記33:3「あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、私はあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」
・民はこの知らせを聞いて嘆き悲しんだ。主は民の悔い改めを見て、あなた方が金の子牛を造った材料になった飾りを捨て去るなら、再度考えると言われた。
―出エジプト記33:5「イスラエルの人々に告げなさい。『あなたたちはかたくなな民である。私がひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、私はあなたをどのようにするか考えよう』」。
2.モーセのとりなし
・モーセは主が共に行って下さることを懇願した。私たちは自分の希望や願いだけを語る。しかし、モーセが祈ったのは「あなたの道を示してほしい」ということだった。
―出エジプト記33:12-13「あなたは私に『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、私と共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また『私はあなたを名指しで選んだ。私はあなたに好意を示す』と言われました。お願いです。もしあなたが私に御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、私はどのようにして、あなたが私に御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」
・モーセは言う「あなたが共に行かれないのなら、私たちも行かない」。
―出エジプト記33:15-16「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、私たちをここから上らせないでください。一体何によって、私とあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたが私たちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、私とあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」
・主が共におられなければ、約束の地も空しい。食べて満足し、良い暮らしをしても満たされることはない。
―申命記6:10-12「あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。」
・主が共におられるなら、荒野の生活でも良い。
―申命記8:4-5「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」
・主はモーセの懇願に負けて「共に行く」と約束された。
―出エジプト記33:17 主はモーセに言われた。「私は、あなたのこの願いもかなえよう。私はあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」