1.監獄でのヨセフ
・ヨセフは冤罪で投獄されたが、主が共におられたので、看守長の信任を得、囚人の世話を全て任された。
―創世記39:21-22「主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。」
・そのヨセフのいる獄に、エジプト王の役人が王の怒りに触れて投獄されてきた。
―創世記40:1-3「エジプト王の給仕役と料理役とがその主君エジプト王に罪を犯した。パロは二人の役人、給仕役の長と料理役の長に向かって憤り、侍衛長の家の監禁所、すなわちヨセフがつながれている獄屋に入れた。」
・二人は夢を見て、ヨセフがその夢解きをした。給仕役の夢は3日後に釈放されるという夢であった。
―創世記40:9-11「給仕役の長はその夢をヨセフに話して言った、『私が見た夢で、私の前に一本のぶどうの木がありました。そのぶどうの木に三つの枝があって、芽を出し、花が咲き、ぶどうのふさが熟しました。時に私の手に、パロの杯があって、私はそのぶどうを取り、それをパロの杯にしぼり、その杯をパロの手にささげました』」。
・料理役の夢は3日後に木にかけて処刑されるという夢であった。
―創世記40:16-17「料理役の長はその解き明かしの良かったのを見て、ヨセフに言った、『私も夢を見たが、白いパンのかごが三つ、私の頭の上にあった。一番上のかごには料理役がパロのために作ったさまざまの食物があったが、鳥が私の頭の上のかごからそれを食べていた』」。
・二人は夢の通りになり、給仕役は釈放されたが、ヨセフのことを忘れ、ヨセフはそのまま牢獄にいた。
―創世記40:21-23「パロは給仕役の長を給仕役の職に返したので、彼はパロの手に杯をささげた。しかしパロは料理役の長を木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった。」
・給仕役がヨセフのことを思い出したのは、それから2年後、王が夢に悩まされた時だった。
―創世記41:1-13「二年の後パロは夢を見た。・・・朝になって、パロは心が騒ぎ、人をつかわして、エジプトのすべての魔術師とすべての知者とを呼び寄せ、彼らに夢を告げたが、これをパロに解き明かしうる者がなかった。そのとき給仕役の長はパロに告げて言った、『私はきょう、自分の過ちを思い出しました。かつてパロがしもべらに向かって憤り、私と料理役の長とを侍衛長の家の監禁所にお入れになった時、私も彼も一夜のうちに夢を見、それぞれ意味のある夢を見ましたが、そこに侍従長の僕で、ひとりの若いヘブルびとがわれわれと共にいたので、彼に話したところ、彼はわれわれの夢を解き明かし、その夢によって、それぞれ解き明かしをしました。そして彼が解き明かしたとおりになって、パロは私を職に返し、彼を木に掛けられました』」。
2.夢を解くヨセフ
・ヨセフは夢を解いたが、夢は神が与えられる啓示であり、その解き明かしは神がされると理解している。
―創世記40:8「彼らは言った、『私たちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません』。ヨセフは彼らに言った、『解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、私に話してください』」
・聖書では、未来は神のみがご存知であり、必要な時には夢や幻を通して人に啓示されるとする。
―ダニエル2:26-28「王は答えて・・・ダニエルに言った、『あなたは私が見た夢と、その解き明かしとを私に知らせることができるのか』。ダニエルは王に答えて言った、『王が求められる秘密は、知者、法術士、博士、占い師など、これを王に示すことはできません。しかし秘密を現す一人の神が天におられます。彼は後の日に起るべき事を、ネブカデネザル王に知らされたのです。あなたの夢と、あなたが床にあって見た脳中の幻はこれです。』」
・夢の解き明かしが出来ることは神が共におられるしるしである。神が共におられれば獄中でさえ、幸いとなる。
―ピリピ1:12-14「私のみに起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。すなわち、私が獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にもそのほかのすべての人々にも明らかになり、そして兄弟たちのうち多くの者は、私の入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった。」
・ヨセフは給仕役を助けたのに、給仕役はそれを忘れて、ヨセフは更に2年間を獄で過ごす。しかし、ヨセフは給仕役の忘恩を恨まない。全てが神の導きと知る故に、静かに事態の改善を待つ。
―創世記45:4-5「ヨセフは兄弟たちに言った、『私に近寄ってください』。彼らが近寄ったので彼は言った、『私はあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかし私をここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきに私を遣わされたのです。』」