1.アブラハムの死とイサク、イシマエル(25:1-18)
・アブラハムはサラの死後、再び妻をめとり、子を生み、長寿を全うして死んだ。アブラハムはイサクとイシマエルの二人の子により、サラと同じ墓に葬られた(彼の死を契機に対立していた兄弟の和解が為された)。
―創世記25:7-9「アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。その子イサクとイシマエルは彼をヘテ人ゾハルの子エフロンの畑にあるマクペラのほら穴に葬った。」
・アブラハムは全財産をイサクに譲ったが、神はイシマエル達も祝福し、イシマエルも多くの民の祖となった。
―創世記25:17-18「イシマエルのよわいは百三十七年である。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。イシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。」
・これは神の祝福が、約束の子でないイシマエルにも及んだことを示している。
―創世記17:20「イシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。」
2.ヤコブとエソウの誕生(25:19-34)
・イサクの妻レベカは20年の間、身ごもらなかった。アブラハムは神の約束を自分で果たそうとした(側女を入れることによって子を持つ)が、イサクは主に祈って約束を待った。イサクは祈りの人である。
―創世記25:21「イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。」
・リベカが身ごもったのは双子であった。二人は母親の胎内にいる時からお互いに押し合っていた。
―創世記25:22-23「その子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、『こんなことでは、わたしはどうなるでしょう』。彼女は行って主に尋ねた。主は彼女に言われた、『二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう』」
・神は胎内にいる時から弟のヤコブを約束の子として選ばれたが、それが何故か、人は知ることができない。
―ローマ9:10-16「父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、業によらず、召したかたによって行われるために、『兄は弟に仕えるであろう』と、彼女に仰せられたのである。・・・わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』。ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。」
・私たちも生まれる前から神に選ばれ、ここにいる。それは私たちの功績によるのではなく、ただ恵みによる。
―?コリント1:26-31「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。・・・あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。」
・ヤコブはエソウのかかとを持って生まれ、長じてはエソウをだまして長子権を得る。
―創世記25:30-34「エサウはヤコブに言った、『私は飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものを私に食べさせてくれ』。・・・ヤコブは言った、『まずあなたの長子の特権を私に売りなさい』。エサウは言った、『私は死にそうだ。長子の特権など私に何になろう』。・・・ヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。」
・ヘブル書は長子権をヤコブに売ったエソウを愚か者と述べている。
―ヘブル12:16-17「一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。」
・ヤコブは決して誠実な人間ではない。その結果彼の人生は苦しみに満ちたものになる。
―創世記47:9「ヤコブはパロに言った、「私の旅路のとしつきは、百三十年です。私のよわいの日はわずかで、ふしあわせで、私の先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」」
・しかし彼は約束を強く求め、与えられた。約束の継承者である教会も完全なものではなく、欠けの多いものである。しかし、その教会を用いて神は救済の業を為される。