1.イサクの誕生(1-7節)
・イサクが生まれた時、アブラハムは100歳、サラは90歳であった。不可能を可能にする神の業が示された。
―ローマ4:18-22「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、『あなたの子孫はこうなるであろう』と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。だから、彼は義と認められたのである。」
・この奇跡を見て、サラは笑い、子をイサク(ツァーハク=笑う)と名づけた。
2.イシマエルの追放(8-21節)
・感謝してイサクを受け取ったサラが、今度は嫉妬のためにイシマエルを追放する。
―創世記21:9-10「サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、アブラハムに言った、『このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません』」
・創世記16章の物語がここで再現されている。
―創世記16:5-6「サライはアブラムに言った、『わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように』。・・・サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。」
・逃げたハガルの後を主は追われ、保護される。
―創世記21:14-17「アブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、『わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない』と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、『ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた』」
3.アビメレクとの契約(22-34節)
・アビメレクはアブラハムに神の祝福があることを認め、彼と和親条約を結びことを提案する。
―創世記21:22「アビメレクとその軍勢の長ピコルはアブラハムに言った、『あなたが何事をなさっても、神はあなたと共におられる。』」
・アビメレクは同じ提案をアブラハムの子イサクにも行っている(時代は80年の後)。
―創世記26:26-28「アビメレクがその友アホザテと、軍勢の長ピコルと共にゲラルからイサクのもとにきた・・・彼らは言った、「われわれは主があなたと共におられるのを、はっきり見ましたので、いまわれわれの間、すなわちわれわれとあなたとの間に一つの誓いを立てて、あなたと契約を結ぼうと思います。」
・異邦人がアブラハムやイサクを見て神を崇めたことは重要なことである。榎本保郎は創世記26章の注解の中で、アビメレクがイサクを見て言ったように、信仰者の伝道力とはその生き方によって神を示すことだと言う。
―「伝道の秘訣はここにあるのではないか、私が変えられること、私が祝福されること、主が私と共に生きてくださること。その時人々は目を見張り、神を崇め、主を信じるに到るのである。・・・今日の伝道の困難さは、人々が我々を見て、はっきりと主が共にいましたもうことを知ることが出来ないからである」
・ある人たちはヤベツの祈りを大切にするが同じ趣旨であろう。
―歴代誌上4:10「ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように』。神は彼の求めるところをゆるされた。」