1.後継ぎの約束(1-6節)
・神はアブラハムに祝福を約束されるが、アブラハムは「後継ぎが無いのに約束に意味があろうか」と反問する。
―創世記15:1-2「主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、『アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう』。アブラムは言った、『主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか』」
・神はアブラハムに子を与え、その子孫は星の数のように増えるだろうと言われた。
―創世記15:4-5「主の言葉が彼に臨んだ、『この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです』。そして主は彼を外に連れ出して言われた、『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい』。また彼に言われた、『あなたの子孫はあのようになるでしょう』」
・アブラハムは神の言葉を信じた、そのことによって彼は義とされた(6節)。
―ローマ4:17-18「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」
・信じた(ヘブル語=アーメン)。人間の思いや願いに先立ち、神の約束が先行する。それを受入れる行為が信じることである。信仰―神の約束を真に受けること、それが人間を神との正しい関係(=義)に導く。
2.疑うアブラハムと契約を結ばれる神
・アブラハムは神との約束を信じながらも、心の底では疑っていた。
―創世記15:7-8「主は彼に言われた、『わたしはこの地をあなたに与えて、これを継がせようと、あなたをカルデヤのウルから導き出した主です』。彼は言った、『主なる神よ、わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか』」
・神は説明されることなく、行為で示される。
―創世記15:9-18「主は彼に言われた、『三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい』。彼はこれらをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互に向かい合わせて置いた。・・・やがて日は入り、暗やみになった時、煙の立つかまど、炎の出るたいまつが、裂いたものの間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた『わたしはこの地をあなたの子孫に与える。』」
・古代の契約は動物を二つに裂いて、当事者がその間を通ることによって成立した。契約を結ぶ(ヘブル語=カラート)は切るという意味も持ち、もし契約を守らない時は、身を裂かれてもかまわないという誓いを示す。
―エレミヤ34:18「わたしの契約を破り、わたしの前に立てた契約の定めに従わない人々を、わたしは彼らが二つに裂いて、その二つの間を通った子牛のようにする。」
・約束を信じながらも信じきれないアブラハムに神が一方的に契約される。私たちの契約も同じ様に恵みである。
―ヨハネ15:16「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」
3.約束は、時が満たされた時に成就される。
・アブラハムは約束を受けた。それにも関わらず、成就は彼の生きているうちには無いことを告げられる。
―創世記15:13-16主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。・・・四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。
・信じて待つ、それが人間の生涯を超える出来事であっても待つことにより、平安が与えられる。
―エレミヤ29:10-11「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。・・・それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
・神の時と人の時は異なる。それを受入れるのが信仰であるとヘブル書は言う。
―ヘブル11:13「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」