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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2026年2月22日 マルコによる福音書9:2~13「山を下りる」

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はじめに
・みなさん、おはようございます。本日は「山を下りる」という題で、
マルコによる福音書9章2節~13節の御言葉を共に味わいたいと思います。
この箇所は、イエス様の変容、いわゆるイエス様の姿が変わる「山上の変容」と呼ばれる出来事です。
イエス様がペトロ、ヤコブ、ヨハネと共に高い山に登り、
その姿がまばゆい光に変わった場面が描かれています。
しかし、今日の注目点は、あえて「山を下りる」ことにあります。
・ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちは、特別にイエス様と行動を共にします。
イエス様がペトロ、ヤコブ、そしてヤコブの兄弟ヨハネと特別に行動を共にされた理由は、
彼らが信仰と責任において特に重要な役割を果たすためと考えられます。
彼らはイエス様の働きの核心となる場面、
例えば今回の山上の変容(8:2)やゲツセマネでの祈り(14章33節)、
ヤイロの娘の奇跡(5章37節)、多くの病人をいやす(1章29節)など、特別な体験を共にします。イエス様は彼らを選び、深い教えや神の栄光を直接体験させることで、
後の教会のリーダーとしての備えをされた。と思われます。
・また、彼らの性格や信仰の成長のためにも、イエス様は意図的に個人的な関わりを深められました。ペトロは情熱的でリーダーシップを持ち、ヤコブとヨハネは「雷の子」と呼ばれるほど熱心でした。
彼らの弱さや誤解も、イエス様の導きによって信仰へと変えられ、
後に多くの人々を導く働きへと繋がっていきます。
これらの特別な選びは、神の計画と弟子たちの使命に深く結びついています。
・ヤコブとヨハネが「雷の子」(ボアネルゲス)と呼ばれた理由は、彼らの性格が非常に熱心で、
時に激しい気質を持っていたからです。イエス様は彼らの情熱や強い意志を認め、
このニックネームを与えられました。例えば、ルカによる福音書9章54節では、
サマリア人がイエス様を受け入れなかった・歓迎しなかった際に、
彼らが「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と提案する場面があり、
そのような激しい反応が「雷の子」と呼ばれる背景となっています。
この呼び名は、彼らが神のために熱心であることを示すと同時に、
イエス様の導きによってその熱心さが愛と信仰へと変えられていったことを象徴しています。
◎多くの病人をいやす1章29節
すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
◎ヤイロの娘の奇跡5章37節
そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。
◎ゲツセマネで祈る14章33節
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、

1. 山の上での体験
・山の上で弟子たちがどのような体験をしたのかを振り返りましょう。イエス様の姿が変わり、
服が非常に白く輝き、そしてモーセとエリヤが現れて会話します。
ペトロは「仮小屋を三つ建てましょう」(9:5b)と提案します。
彼は、この素晴らしい体験が永遠に続いてほしい、ここに留まりたいと思ったのです。
・しかし、その体験は一時的なものでした。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。
「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(9:7)という神の声が響き、
その後にはもと通りの姿に戻ったイエス様と弟子たちだけがそこにいました。
聖なる体験は、日常の中に戻るためのものだったのです。
・イエス様の姿が変わり、服が非常に白く輝いたのは、
神の栄光がイエス様に現れたことを象徴しています。これは、イエス様が神の子であり、
神の御心に従う存在であることを弟子たちに明らかにするためでした。
さらに、イエス様が神の特別な使命を担っていることが強調されます。
この変容は、弟子たちにイエス様の本質と神のご計画を体験させ、
彼らの信仰を深めるための特別な出来事でした。イエス様の輝く姿を目撃した弟子たちは、
神の臨在と栄光を直接感じることで、日常に戻った後も、
その恵みと導きを覚えて歩むよう促されたのです。
・モーセとエリヤがイエス様のもとに現れて会話したことには、深い象徴的な意味があります。
モーセは「律法」を、エリヤは「預言者」を代表する存在であり、彼らがイエス様と共に現れることで、
イエス様が旧約聖書全体の成就者であることが示されています。
つまり、律法と預言のすべてはイエス様において完成し、
神のご計画が新しい段階へと進むことを弟子たちに明らかにするための出来事だったのです。
・エリヤが預言者の代表とされる理由は、旧約聖書において彼が極めて重要な預言者として活躍し、イスラエルの民に神の言葉を力強く伝えた存在だったからです。特にバアル信仰が広まる中で、
エリヤは真の神への信仰を守るために大胆に立ち向かい、
カルメル山での奇跡(列王記上18章)などを通して神の力と預言者の使命を示しました。
また、彼は死を経験せず天に昇ったとされ(列王記下2:11)、後の時代のユダヤ人にとって
「終わりの日に再び現れる預言者」として特別な期待を持たれていました。
これらの理由から、エリヤは預言者の代表と見なされていました。
・また、モーセとエリヤは共に神の山で神と深く交わった経験を持ち、
苦難の道を歩んだ人物でもあります。彼らがイエス様と語り合う姿は、
イエス様の受難と栄光への道が、神のご計画に沿ったものであることも強調しています。
弟子たちはこの出来事を通して、イエス様こそが真の救い主であることを確信するよう導かれたのです。

2. 山を下りるということ
・山の上で神の栄光に触れた後、イエス様は弟子たちを連れてすぐに山を下りていきます。
なぜわざわざ山を下りる必要があったのでしょうか?
・それは、信仰生活の本質が、特別な体験を留め置くことではなく、
日常生活の中で神の御心を歩むことにあるからです。
「一同が山を下りるとき、イエスは、『人の子が死者の中から復活するまでは、
今見たことをだれにも話してはいけない』と弟子たちに命じられた。」(9:9)
苦しみと使命に向かう道を歩むために山を下りていきます。
・私たちもまた、礼拝や祈りの中で神に出会い、心が燃やされる体験をする事があります。
しかし、その恵みは、現実の毎日の中で生かされるべきものです。山の上の感動を握りしめて下りていく、それが信仰の歩みなのです。
・私たちが日々の歩みの中で直面する困難や課題に対しても、神は必ずそばにいてくださいます。
その確信があるからこそ、不安や恐れに押しつぶされず、一歩ずつ前に進むことができるのです。
・山を下りる勇気、日常に戻る力は、私たち自身の力だけではなく、神から与えられるものです。
与えられた恵みをもって、それぞれの場所で使命を果たしていきましょう。

3. 山を下りた先にあるもの
・この後、山を下りたイエス様と弟子たちを待っていたのは、混乱し、苦しむ人々の現実です。
弟子たちが悪霊を追い出せなかった少年の父親がイエスのもとに来ます(9章14節以降)。
イエス様は、山上での体験を持って、直面する問題や人々の痛みに応えていかれます。
・私たちも、現実の生活の中で困難や問題に直面します。しかし、山の上で受けた神の恵みが、私たちを支え、導きます。礼拝や祈り、聖書の学びで得た光をもって、私たちは毎日の歩みを新しくされるのです。
・私たちの人生においても、特別な体験や神の恵みを受けた後、その感動が薄れてしまうことや、
現実の困難に押し戻されそうになる瞬間があるかもしれません。
しかし、神は決して私たちを見捨てることはなく、どのような状況にあっても共にいてくださいます。
だからこそ、私たちは与えられた恵みを思い起こし、
勇気を持って新たな一歩・新たな一日へと踏み出すことができるのです。
それぞれの歩みの中で、主が常にともにおられるという約束を信じ、
困難の中にも希望を見いだしていきましょう。そして、私たち自身が光となり、
周囲の人々にも神の愛と励ましを伝えていく者でありたいと願います。

4.変容を通して示される希望
・山上の変容は、イエス様が単なる偉大な指導者ではなく、神の子であること、
そして受難と復活に向かう真(まこと)の救い主であることを示しています。
弟子たちは完全には理解できませんでしたが、イエス様の「死からの復活」を思い巡らせながら、
与えられた使命に従って歩み始めました。
・私たちも同じように、(時に)神の計画をすべて理解することはできません。
しかし、神の栄光を垣間見た経験によって、希望をもって歩むことができます。
山を下りた先にこそ、神が私たちを通して働かれる場所なのです。
・主イエスが「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と語られたように、私たちはどのような困難や試練の中にあっても、
すでに勝利が約束されているという信仰を持つことができます。
その確信が、日々の歩みを支え、希望へと導いてくれるのです。
神の臨在と約束を信じ、恐れずに新たな一歩を踏み出しましょう。
私たち一人ひとりが、与えられた使命を果たす中で、
主の力と恵みが豊かに現れることを信じて歩んでいきたいものです。

5.招詞:ヨシュア記1章9節
・招詞にヨシュア記1章9節を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。
「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記1章9節)ありがとうございます。
・この御言葉は、「山を下りる」場面と重なり合います。日常の困難や新たな使命に向かうときも、
神が共におられ、私たちに力と勇気を与えてくださることを約束しています。
・ヨシュア記1章9節とマルコによる福音書9章2節~13節には、神の臨在と約束、
信仰者への励ましという共通のテーマが響き合います。
・まず、ヨシュア記1章9節は、神の励ましの言葉です。この御言葉は、
ヨシュアがモーセの後継者として新たな使命に踏み出すとき、
未知の困難に直面しながらも、神が常に共にいることを保証しています。
・一方、マルコ9章2節~13節の山上の変容の場面では、
イエス様が弟子たちの前で栄光に包まれ、神の子としての本質が明らかにされます。
しかし、その特別な体験の直後、イエスと弟子たちは山を下り、
現実の苦しみや課題の中へと踏み出して行きます。
イエス様は弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまでは、
今見たことをだれにも話してはいけない」(9章9節)と語り、
受難と復活という神の計画に従う道へと導かれます。
・この二つの聖書箇所は、「特別な体験(山上の変容、神の呼びかけ)」から「日常や困難な現場」へと歩み出す信仰者に対する神の励ましという点で深く響き合います。
ヨシュアも、弟子たちも、神の臨在の確信と約束をいただきながら、
現実の課題や新たな使命に向かって歩み始めます。どちらも「主が共にいる」という約束が、
恐れや不安を乗り越えさせ、信仰による一歩を踏み出す力となっています。
・私たちもまた、礼拝や祈りの中で受けた神の恵みを携えて、
日常の生活や困難の中に出ていくよう招かれています。ヨシュア記とマルコ福音書の響き合いは、
「どこに行っても主は共にいる」「与えられた使命を恐れずに歩み出そう」という、
普遍的な信仰の励ましを私たちに伝えています。
・特別な恵みの体験の後、現実の困難な世界に戻る時にも、主が共におられ、私たちに勇気と希望を与えてくださることを示しています。

結び
・今日の御言葉から、私たちは「山を下りる」ことの大切さを学びます。特別な体験や恵みは、
日常の生活の中で実を結ぶために与えられています。困難や挑戦の現場に戻ることを恐れず、
イエス様と共に山を下りていきましょう。
そして、神が与えてくださる新しい希望と使命に応えて歩んでいきたいと願います。
主よ、私たちが山の上で受けた恵みを持って、日常の中であなたに従い、光となる者としてください。
祈り
・お祈りします。
愛する真の命の神様、主イエス・キリストの尊い御名を賛美します。
今朝、私たち一人ひとりがあなたの御前に集い、マルコによる福音書を通して、
主が私たちと共にいてくださる恵みと希望のメッセージを受け取ったことを感謝します。
主よ、山上での特別な体験も、日々の歩みの中での困難や挑戦も、
すべてあなたの導きの中にあります。どうか私たちがこの恵みを心に留め、
日常に戻る時もあなたの約束を信じて、恐れずに一歩を踏み出すことができますように助けてください。
あなたがくださる力と平安によって、私たちがそれぞれの場所で、
あなたの光と愛を証しする者となることができますように。
どうぞ、ここにいるすべての方の歩みを祝福し、守り導いてください。
このお祈りを、主イエス・キリストのお名前によってお捧げいたします。アーメン。

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