江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2026年1月4日 (マルコによる福音1:1~15「ヨハネとイエスの登場」)

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・皆さん、おはようございます。本日の聖書箇所は、マルコによる福音書1章1~15節、「ヨハネとイエスの登場」です。ここには、神による新しい時代の幕開けと、救い主イエス・キリストの公の活動の始まりが描かれています。私たちはこの箇所を通して、神の深いご計画と、そこに招かれている私たち一人ひとりの歩みについて、ご一緒に今一度心を向けてみたいと思います。
・マルコによる福音書の冒頭は、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と宣言され、旧約の預言の成就として物語が始まります。この「はじめ」という言葉には、新しい時代の幕開け、神の救いのご計画が動き出すことへの期待が込められています。マルコは、イエスの物語を通して、神がどのように人々の間に働かれるのかを明らかにしようとしています。

・まず、物語の始まりとして現れるのは「荒野で叫ぶ者」ヨハネです。彼は人々に悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、神に心を向けるように促します。ヨハネのメッセージは、ただ表面的な儀式や行動にとどまらず、心の奥底から神に立ち返ること、へりくだって新たな思いに生きることを強く求めるものでした。ヨハネの言葉に心を動かされた人々は、自らの罪と向き合い、神の前にへりくだりました。
・ヨハネの登場は、ただ単に歴史的な出来事ではなく、私たちの人生にも深く響く出来事です。彼が「悔い改め」を叫ぶ姿には、私たち一人ひとりが内面を見つめ直し、神との関係を新たにするよう促されているメッセージが込められています。現代に生きる私たちも、日々の生活の中で自らの心を省み、神に向かう姿勢を持つことが求められているのです。
・このヨハネの登場の背景には、長い間神の沈黙が続いたイスラエルの歴史があります。預言者が現れず、人々は神の御心や導きを渇望していました。そんな時代に、ヨハネは神の言葉を携えて現れ、人々の期待と不安が交錯する中で「主の道を備える」使命を果たします。荒野は困難や試練の象徴でもありますが、同時に新しい出発の場でもあります。ヨハネの叫びは、私たちが混乱や迷いの中にあるときこそ、神の導きを求めて心を開く大切さを教えています。
・そして、転機となるのはイエス・キリストの登場です。イエスはヨハネのもとに来てバプテスマを授けられます。その瞬間、天が開け、聖霊が鳩のようにイエスの上に降り、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という神の声が響き渡ります。これはまさに、イエスが神の子としてこの世に遣わされたことを示す、壮大な宣言です。イエスはその後、荒野でサタンによる試練を受けますが、決して神への信頼を失うことなく、その使命に向かって歩み続けられます。
・このイエスの洗礼(バプテスマ)と荒野での試練の場面は、私たちの信仰生活にも多くの示唆を与えます。神の愛された子であるイエスでさえ、困難や誘惑に直面されましたが、それを乗り越えて使命を全うされました。私たちもまた、人生の荒野のような時期にあっても、神の御心を信じて歩み続けることの大切さを学ぶことができます。
・イエスに与えられた荒野での試練や誘惑には、深い意味があります。イエスはバプテスマを授けられた直後、聖霊によって荒野へ導かれ、サタンから様々な誘惑を受けられました。この出来事は、神の子であるイエスが人間としての弱さや苦しみ、孤独を体験されたことを示しています。イエスは困難の中で神への信頼を貫き、誘惑に屈することなく、神の御心に従い続けられました。
・この荒野での試練は、私たちにも大切な示唆を与えています。私たちも人生の中で、思いがけない苦難や誘惑、孤独を経験することがあります。しかし、イエスが荒野で神に従い抜かれたように、私たちも困難の中で神を信頼し、祈りをもって立ち向かうことが求められています。イエスの姿は、試練の時にこそ信仰を深め、神の導きを求めて歩むことの大切さを教えているのです。
・私たちの応答としては、まず自分の弱さや限界を認め、神により頼むことが挙げられます。そして、どんな誘惑や困難の中でも、イエスが示されたように神の言葉に耳を傾け、御心に従って歩む決意を新たにすることです。試練は私たちを苦しめるだけでなく、信仰を鍛え、成長させる機会でもあります。イエスの荒野での歩みに倣い、私たちも日々の生活の中で神に信頼し続ける者となりましょう。
・やがてヨハネが捕らえられたことをきっかけに、イエスは本格的に宣教活動を始められます。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と力強く宣言されました。ここでイエスが語る「悔い改め」と「福音への信仰」は、私たちにとっても非常に重要なメッセージです。神はイエス・キリストを通して、私たちの心に新しい始まりをもたらしてくださいます。どんな過去があったとしても、神の愛と恵みによって、私たちは新たな一歩を踏み出すことができるのです。
・このように、マルコによる福音書の冒頭部分は、単に歴史的な出来事の記録ではなく、今を生きる私たち一人ひとりへの力強い呼びかけでもあります。ヨハネの悔い改めのメッセージとイエスの宣教の始まりは、日常の中で新しい決意を持ち、神の導きに耳を傾けて歩む勇気を与えてくれます。神の愛と恵みは、どんな時にも私たちのそばにあり、希望の道を開いてくださるのです。

・本日の招詞として、新共同訳旧約聖書イザヤ書40章3節の言葉を選びたいと思います。「荒れ野に主の道を備えよ、砂漠に我らの神のために大路をまっすぐにせよ。」この預言の言葉は、マルコによる福音書1章にも引用され、ヨハネが「荒野で叫ぶ者」として登場する場面と深く響き合っています。イザヤの預言は、神の新しいご計画の始まりを告げるものであり、ヨハネが悔い改めを叫び、道を整える務めを担ったこと、そしてその道をイエス・キリストが歩み始めることへとつながっています。この旧約の言葉と福音書の物語は、神が人々の心を新たにし、救いの道を開かれるという希望を私たちに示しています。ヨハネの叫びとイエスの登場は、まさに神の約束が実現する瞬間であり、私たち自身もその道に招かれていることを覚えたいと思います。
・イザヤ書の預言の背景には、神が民に新たな希望と回復の約束を与えようとされる深い愛と配慮が込められています。荒野や砂漠は、困難や絶望の象徴であり、そこに「主の道を備える」ことは、人々の心に光と希望が差し込む瞬間を意味しています。私たちも人生の荒野において、神の語りかけや導きを受け入れる準備が必要です。ヨハネが整えた道を、イエス・キリストが歩まれることで、神の救いのご計画が現実となったのです。
・このような神のご計画に応答するためには、日々の生活の中で祈りと黙想の時を持つことが大切です。聖書の言葉を心に刻み、与えられた恵みに感謝しながら、私たち自身の歩みを見つめ直しましょう。また、困難や不安に直面したときこそ、神の約束を信じ、希望を持って前進する勇気を持つことが求められています。
・この預言と福音書のつながりをより深く考えると、神は困難の中にいる人々に新たな道を開き、希望を与えてくださることが分かります。ヨハネの叫びは私たちの心を揺さぶり、イエスの歩みは神の愛が実際に現れる証となっています。私たちも荒野のような時にこそ、神の導きを信じて歩み続けることが求められています。

・結びに、私たちはこの聖書箇所から何を学び、どのように歩んでいけばよいのでしょうか。それは、ヨハネのように心を整え、イエスの声に従い、主の導きに応えて歩むことです。今週一週間、私たちも心の中で神の前にへりくだり、イエス・キリストが示された救いの道にしっかりと歩む者となりましょう。主は必ず、私たちひとりひとりに新しい始まりを与えてくださいます。
・これからの日々、私たちはそれぞれの歩みの中で、神の語りかけやイエス・キリストの導きを敏感に感じ取り、日常の小さな選択や行動の中にも主の御心を求めていきましょう。困難や迷いに出会ったときにも、与えられた恵みと希望を思い出し、感謝の心と祈りを持って進むことが大切です。主が共にいてくださることを信じ、一歩一歩を誠実に歩むとき、必ず新しい気づきや祝福が与えられるでしょう。今週も主の平安と導きが皆さんの上に豊かにありますようにお祈りいたします。

祈ります。

恵み深い真の命の神様、

今日、私たちにあなたの御言葉をお与えくださり、心から感謝します。

イエス・キリストの歩みに倣い、

困難や迷いの中でもあなたを信じて歩むことができるよう、

どうか私たち一人ひとりを導いてください。

日々の生活の中で、あなたの愛と恵みを思い出し、

感謝と祈りの心を持ち続けることができますように。

今週も、あなたの平安と導きが私たちの上に豊かにありますように。

主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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