1.ペンテコステ礼拝
・おはようございます。フィリピ書2週目です。聖霊降臨節第一主日・ペンテコステ礼拝です。ペンテコステは、ギリシア語で「50」を意味する言葉で、イースターから50日目という意味です。ユダヤ教では五旬祭(収穫祭)として、イスラエルの民が律法を授かった事、そして収穫を祝う習慣を記念する日です。キリスト教においては聖霊がペトロら弟子達を通して働き、教会が誕生した「教会の誕生日」として祝われます。イースター・クリスマスと並ぶ重要な日です。
2. 聖霊
-フィリピ2:1,2「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
・とフィリピ書では、「“霊”による交わり」と“霊”と記されています。
・聖霊について聖書はどの様に記しているでしょうか。」
-1テサ1:5,6「 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、」
・聖霊によって福音が伝えられ、その伝えられた福音の御言葉は聖霊による導き、助けによって喜びをもって受け入れられる。と記されています。
-1テサ4:8「 ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。」
・聖霊は神として記しています。
-1コリ6:19,20「 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」
・神の栄光を現わすことが出来るのは、聖霊が私たちの内にあるからです。と記されています。
-1コリ12:3「 ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」
・私たちの「イエスは主である」との信仰告白は私たち自分自身の意志によるものですが、その意志には聖霊による導き、助けがあり、聖霊によらなければ、信仰告白は出来ない。と記されています。
-2コリ6:6「 純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、」
・和解の言葉。として記されています。
-2コリ13:13「 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」
・祝祷の言葉。としても記されています。
-マル3:28,29 「 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
-マタ12:31,32「 だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」
-ルカ12:10「 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。」
・福音書記者は、人は罪を犯しても冒涜の言葉も全て赦されるが、聖霊を冒涜し、聖霊に逆らう者は赦されない。と記されています。それは、罪も冒涜の言葉も全て赦してくださるのは聖霊だからです。ですから、聖霊を冒涜し、聖霊に逆らう者は赦されない。と記されているのです。
3.変わることを喜ぼう
・招詞に使徒言行録1章8節と2章4節と選びました。一緒にお読みしたいと思います。
-使1:8「 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
-使2:4「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
・聖霊が弟子たちに降臨し、弟子達を導き、助け、聖霊に満たされた弟子たちが別の(エテロス)舌(グロースサ)・他の国の言葉で話し出した。当時の地中海沿岸地域では、共通語のギリシア語、イエスの話したアラム語、ユダヤ・イスラエルのヘブライ語、ローマ帝国のラテン語が話されていました。他の国の言葉・共通語のギリシア語で話し出したのであろうと考えられます。聖霊によって、力を受けユダヤ・パレスチナから地中海沿岸の国々そして全世界へと福音が宣べ伝えられる事になるとの証しです。
・聖霊によって、マルコ16:17では、「新しい言葉を語る。」と記されています。
・イエスの十字架の時、弟子たちは皆裏切りました。ユダは祭司長、律法学者、長老らにイエスを引き渡し、ペトロは3度「イエスをしらない。」と言い、逃げて泣き崩れました。弟子たちは皆逃げて部屋に隠れていましたが、復活のイエス・キリストが現れ、赦され、聖霊降臨の約束をされます。そして、復活から50日に約束の聖霊が降臨されます。
「イエスをしらない。」と3度言ったペトロが
使徒2:14「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。」
・と力強く語り始めたのです。ペトロは変わりました。そして、クリスチャンを迫害していたサウロにも復活のイエス・キリストが現れ、迫害していたアナニアに目の癒しと聖霊で満たされるようにと祈られ、イエスの福音を宣べ伝える者に変わりました。
・フィリピ書2章6節から11節は、キリスト賛歌です。神ご自身が変わってくださったことが記されています。相手を変えるのではなく、ご自身自ら変わるほど私たちを愛してくださっているのです。フィリピ教会の兄弟姉妹が変わることが出来る根拠はキリストにあります。キリスト賛歌がフィリピ書に記されている意味がそれです。ペトロも変わりました。パウロも変わりました。ペンテコステは弟子たちが変わった日と言えます。
・聖書の言葉は、聖霊の助け、導きによって記されました。私たちが聖書を読む時、聴く時同じ様に聖霊の助け導きが無ければ、神の言葉とならないと思います。私たちも聖霊の助け、導きによって喜んで聖書の言葉・神の言葉に従っていきたいと思います。
皆様と共に、聖霊によって「変わることを喜び」たいと思います。