江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年3月9日説教 マタイによる福音書20章1~16節 「この最後の者にも」

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・このたとえ話は、マタイによる福音書だけに記されて、ほかの福音書には記されていません。

前の19章30節「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

と20章16節「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」でくくられています。

これは一般的な格言のようで、マルコ10章31節では、「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」ルカ13章30節では、「そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」と記されています。そしてこの「『ぶどう園の労働者』のたとえ」と前の19章の「金持ちの青年」と「子供を祝福する」に関連性があることも示しているようですが、今回はそのことには言及しません。

・20章1節 「天の国は次のようにたとえられる。」と天の国・神の国を語っています。

そして、この物語は聞く人、読む人が登場人物の誰の立ち位置で聞くか、読むかで受ける印象が全く違うものになります。大多数の人は、夜明けに雇われた労働者の立場でこの物語を読むようです。

私も最初夜明けに一日につき一デナリオンの約束で、ぶどう園に送られた労働者の立場でこの物語を読みました。夜明け過ぎから夕方まで約12時間まる一日、暑い熱風の中を辛抱して働いた者と夕方1時間しか働かなかった者が同じ賃金とは、このぶどう園の主人は余りにも気前が悪すぎると思いました。ところがこのぶどう園の主人は、20章15節「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」「自分は気前がよい」とぬかしやがる。こんなとんでもない事を言う主人は神では絶対ないと思いました。1日の労働賃金の1デナリオンで何人の家族が何食食べることが出来たのでしょうか。夕方支払われた1デナリオンで夕食のパンを買ったら、きっと手元にお金は残らなかったに違いありません。ですから、日用の糧となるたった1デナリオンの為に夜明け前から広場に行って職を求めざるを得ない人々がたくさんいたのだと想像出来るのです。その中で夜明けに雇われた労働者は、健康で丈夫な血気盛んな成人男性であったと思われます。そして17時頃に雇われた労働者は夕暮れ近くまで仕事にあぶれた、言わば失業状態の女性や子供、病弱者や障がいを持つ人など、雇われにくい社会的弱者で、短時間で作業効率よく働ける訳でもなく、生産性向上を求められる存在でもなかったと思われます。そう考えると17時頃に雇われた労働者に対しては、気前がよいのです。

・夜明けから夕暮れ迄(6時から18時迄)の労働時間約12時間の賃金が1デナリオンであれば、1デナリオンの12分の1に相当するポンデオンで、17時から雇われた者には1ポンデオン、15時からの者には3ポンデオン、12時からの者に6ポンデオン、9時からの者に9ポンデオンをそして夜明けからの者に1デナリオンを順番に賃金を支払えば何の問題も無かった。しかしここで最も重要なことは1ポンデオンや9ポンデオンでは、その日のパンを買うことが出来なかった。最低でも1デナリオン必要だったという事です。当時の労働時間夜明けの6時から夕暮れの18時迄12時間の賃金の1デナリオンは日用の糧の金額でもあったわけです。このぶどう園の主人は雇ったすべての人に日用の糧・その日の食事分の賃金を支払い、労働者全員に家族と一緒に食事をして欲しかったのだと。神のなさることは本当に分かりにくいことがしばしばあります。

招詞に第3イザヤ56章8節を選びました。「追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる/既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。」

捕囚からエルサレムに戻ったイスラエルの民はイスラエルの神を礼拝する異邦人と一緒に集められ、さらに加えて集められる。

・ぶどう園の主人はその日に食べるパンを必要としている労働者を夜明けから17時迄5回も広場に出向き、ぶどう園に雇入れました。それはそれぞれの労働者の働く体力や能力を考慮し主人が労働時間を選んで労働者を雇ったのである。と。「この最後の者にも」相応しい労働、そして必要な日用の糧が与えられます。「同一労働・同一賃金」ならぬ「個別労働・同一賃金」が完成したのです。神の国特有の労働賃金体系と言えるのでしょう。ぶどう園の主人にとっての 「この最後の者」とはセイフティーネットで保護されるべき人々の事なのです。

・この神の国の経済を実践しようと試みた国々がありました。皆さんはご存知ですか。「善にして有用なものすべては、極端に到れば、悪にして有害なものになりえるし、しばしば実際に悪にして有害である」という名言を残したボルシェビキを率いてロシアの10月革命を主導したウラジミール・プーチンならぬ、ウラジミール・レーニンらとその後のソビエト連邦です。そのソビエト連邦にウクライナも入っていました。その後モンゴル・中国・朝鮮半島北部・ヴェトナムとその周辺国・キューバ・アルバニア・ユーゴースラビアなどの東欧諸国。しかし、現在は共産党の存在はあるものの共産主義国や社会主義国は、ほぼ壊滅状態です。なぜでしょうか。20:11 「それで、受け取ると、主人に不平を言った。」20:15 『自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 やはり、同じように不平を言う者・妬む者の存在です。

・このぶどう園のシステムを理解した人々は、なるべく遅い時間に雇われる様おかしな努力をするようになり、作業効率よく働ける事を示したり、生産性向上を実践する事で、短時間労働や兼業を求めるようになります。そして、「個別労働・同一賃金」は、長続きせずに失敗に終わるのです。

・しかし、神の国の先取りである教会ではこの「個別労働・同一賃金」が今でも立派に通用しているのです。礼拝の日の朝早く、教会周辺の掃除して、共有すべき異変の情報共有してくれる兄弟、植木の水やりを毎週欠かさず行う兄弟。礼拝の前日相応しい生花を持って来られる姉妹。使った花器がキッチンにいくつも並ぶとちゃんと片付けてくれる姉妹。私たちの篠崎キリスト教会では、4月1日から牧師不在となり、牧師招聘委員会が立ち上がりますが、その牧師招聘委員の働き、その間の副牧師としての働き、執事の働き、執事と共に働く各委員会のメンバーの働き、生花当番、受付、奏楽、賛美指導、司会、宣教と礼典、晩餐式の準備、1Fや会堂の清掃、3か所あるトイレの清掃、ブロック幹事、食事やコーヒーの準備、教会学校分級リーダー、ナーサリー、祈り、執成しの祈り、献金、礼拝出席そのもの等々私達それぞれに与えられた、自ら進んで行う役割や仕事があります。その私達一人ひとりに皆同じ様に、「永遠の命に生きる望み」「永遠の命を得る希望」が報酬として主イエス・キリストから与えられています。そして今既に「永遠に生きる神の憐れみによって生かされ、共に生きることが出来ている。」喜びを、死後の世界で体験することではなく、真の生命の神と共に生きていることを覚え、皆様と共に感謝します。

 

祈ります。

真の生命の神のみ名を賛美します。

わたしたちは教会の新来者だった時、「この最後の者」だったのかもしれません。

また病気や怪我をして、そして年老いて、「この最後の者」になるかもしれません。

わたしたちが苦難や不条理の只中にあっても「永遠の命に生きる望み」「永遠の命を得る希望」

を与えられています事感謝します。

「永遠に生きる神と共に生きることが出来ている。」喜びを感謝します。

わたしたちの救い主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

アーメン。

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