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・今日はマタイによる福音書13章44節から50節の御言葉に心を傾けましょう。この箇所で、イエスは「天の国」について三つのたとえ話を用いて教えられました。イエスが語られるこれらのたとえは、天の国がどれほど価値があるものなのか、そして私たちがその天の国に対してどのように応答すべきかを深く教えています。
・イエスは「畑に隠された宝」のたとえを通して、天の国がどれほど貴重であるかを示されました。畑に隠された宝を見つけた人は、その価値を理解し、すべてを売り払ってでもその宝を手に入れるのです。このたとえは、神の国を見出す喜びと、その価値に気づいた者が取るべき行動を教えています。
・また、イエスは「良い真珠」のたとえを用いられました。高価な真珠を探し求める商人は、その価値ある真珠を見つけたとき、持っているものすべてを手放してでもそれを得るのです。このたとえは、天の国の価値を理解した者が、全てをかけてでも神の国を追い求める姿勢を示しています。
・さらに、「引き網」のたとえでは、網に集められた魚が良いものと悪いものに分けられる様子を語られました。このたとえは、終わりの日に行われる神の裁きについて私たちに警告し、また信仰の選びがどれほど重要であるかを教えています。
・これらのたとえには、神の愛と召しがはっきりと語られています。天の国は、それを求めるすべての者に開かれていますが、それを本当に手にするためには、私たちの応答が求められるのです。神は私たちにその価値を示し、愛をもって天の国に招いておられます。そして私たちは、その愛にどう応答するかを問われています。
・この御言葉を通して、天の国の価値に心を留めましょう。そして、神が私たちをどのように招いておられるかを感じ取り、その召しに応答する信仰を深めていきましょう。この時間を通して、イエスが語られたたとえを心に刻み、天の国のために私たちが歩むべき道を共に探していきましょう。
1. 天の国は隠された宝のようなもの
・親愛なる友よ、イエスは私たちにこう語られました。
「天の国は、畑に隠してある宝のようなものである。」
・このたとえ話の中で、宝を見つけた人はその価値の大きさに気づき、喜びのあまり、持ち物をすべて売り払ってその畑を買いました。このたとえが私たちに教えているのは、天の国がどれほど価値のあるものかということです。天の国は、この世のどんな富や栄光をも超える、最高の宝なのです。
・注目すべきは、宝を見つけた人が「喜びのあまり」行動したという点です。この喜びは、天の国を知る者に与えられる、心からの満足と希望を象徴しています。天の国を知るとき、私たちは永遠の喜びを味わうことができるのです。そして、この宝を手に入れるために持ち物をすべて売り払う行動は、神の国を第一に求める姿勢を示しています。それは、私たちが自分の人生において、何を最優先すべきかという大切な問いを投げかけています。
・皆さん、日々の生活の中で、私たちは何を宝としているでしょうか?地上の富や名誉、成功を追い求めていないでしょうか?それらは一時的な満足を与えるかもしれませんが、永遠に続くものではありません。イエスはこう教えられました。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
・この御言葉は、私たちが人生で最も価値のあるものを追い求めるようにと促しています。それが「神の国」です。神の国を第一に求めるとき、私たちは神の愛と祝福に満たされ、日々の生活に永遠の希望と平安を得ることができます。
・宝を見つけた人は、手に入れるために全てを捧げました。私たちもまた、天の国を得るためには心を尽くし、人生を神に捧げる覚悟が求められます。それは犠牲のように思えるかもしれませんが、実際には、天の国を得ることで私たちの人生は新しい意味を持ち、真の喜びと満足を経験するのです。
・皆さん、このたとえを心に刻みましょう。そして、あなたの人生で最も大切なものが何かを問い直してください。天の国は、すべてをかけてでも得る価値がある宝です。今日、このメッセージを心に留め、神の国を第一に求める人生を歩み始めましょう。それこそが、私たちが本当に満たされる道なのです。
2. 天の国は高価な真珠のようなもの
・イエスは次のように語られました。
「天の国は、良い真珠を探している商人のようなものである。」
・この商人は、長い間探し求めていた高価な真珠を見つけると、その価値を理解し、持ち物をすべて売り払ってでもそれを買いました。このたとえは、天の国がどれほど価値のあるものであるかを力強く示しています。
・注目すべきは、この商人の姿勢です。彼は「良い真珠」を求め、探し続けていました。この商人のように、私たちも人生の中で真の価値を求めて歩む必要があります。しかし、どうでしょうか?多くの人が一時的な喜びや満足を得るためにさまざまなものを追い求めています。それが成功であれ、地位であれ、富であれ、結局それらは永続するものではなく、私たちの心を完全に満たすことはできません。しかし、このたとえは私たちに告げています。「真に価値のあるもの、永遠に続くものは、天の国である」と。
・高価な真珠を見つけた商人は、その価値を理解したとき、迷うことなくすべてを売り払いました。これは、天の国を得るためには、私たちが大切にしているものや依存しているものを手放す覚悟が必要であることを教えています。私たちの人生で優先しているものは何でしょうか?それらが私たちを神から遠ざけているとすれば、それを手放す勇気が必要です。イエスはこのたとえを通して、「あなたのすべてを捧げても惜しくないほどの価値が天の国にはある」と教えておられるのです。
・皆さん、このたとえは私たちに問いかけています。私たちが追い求めるものは、本当に価値あるものでしょうか?それとも一時的な満足に過ぎないものでしょうか?イエスは、私たちが真の価値を見出すように招いておられます。それは天の国、すなわち神との関係の中にあります。そして、それを得るためには、自分自身の欲望や優先順位を神の御心に従わせる必要があるのです。
・持ち物をすべて売り払った商人の行動は、私たちに深い挑戦を与えます。天の国を追い求めるためには、時には犠牲が必要です。しかし、その犠牲を超えた喜びと満足が、神の国の中に待っているのです。私たちが天の国を求めるとき、神は私たちに永遠の祝福と豊かさを与えてくださいます。
・今この時、心を開き、自分の人生を見直してみてください。あなたが本当に追い求めるべきものは何ですか?天の国は、すべてをかけてでも得る価値があるものです。このたとえ話を心に刻み、神が招いておられる永遠の宝を求める決意を新たにしましょう。それこそが、私たちの人生を豊かにし、永遠の喜びへと導く道なのです。
3. 天の国は網のようなもの
・イエスは天の国を「海におろしてあらゆる種類の魚を囲み入れる網」にたとえられました。このたとえは、私たちに天の国の特徴と神の計画を深く教えています。網が海におろされ、あらゆる種類の魚を囲み入れるように、天の国は広く開かれ、すべての人が招かれています。しかし同時に、このたとえは、最終的な裁きと選別の現実についても語っています。
・網がいっぱいになると、漁師は良い魚を選び取り、悪い魚を捨てます。イエスはここで「世の終わりにも、そのとおりになる」と語られました。この言葉は、義人と悪人が分けられる時が確実に来ることを示しています。それは、神の正義が完全に実現する日です。このたとえを通して、私たちは自分自身を振り返り、神の目に良い魚として選ばれるような生き方をしているかを問われています。
・このたとえは私たちに深い挑戦を与えます。私たちは日々の生活の中で、神の基準に従って歩んでいるでしょうか?私たちの心は本当に神に向いているでしょうか?このたとえを通して、イエスは私たちが日々の行いと信仰を振り返り、神との関係を整えるよう招いておられます。
・しかし、このたとえは同時に、天の国がすべての人に開かれているという希望のメッセージをも語っています。網があらゆる種類の魚を囲み入れるように、神の救いはすべての人に招かれています。神は特定の人々だけを選んでおられるのではなく、誰もがその網の中に入るチャンスを与えられているのです。私たちがどのような背景や過去を持っていようと、神の招きは変わりません。重要なのは、その招きにどのように応答するかということです。
・このたとえは、私たちに神の愛と正義を同時に思い起こさせます。神の愛はすべての人に注がれており、救いの扉は今も開かれています。しかし、その扉が永遠に開かれているわけではありません。イエスが語られた最終的な選別の現実を心に留め、私たちの歩みが神に喜ばれるものであるかを絶えず問い直す必要があります。
・皆さん、天の国は今もあなたを招いています。このたとえを心に刻み、神の愛に応答する決意を新たにしましょう。そして、神の正義の基準に従って歩み、天の国の豊かさを体験する者となりましょう。それは、永遠の命と喜びを得るための最も確実な道なのです。
4. 天の国に招かれる私たち
・皆さん、天の国は、ただ遠い未来に約束されているだけのものではありません。それは、今ここに生きる私たち一人ひとりが、日々の生活の中で体験できるものでもあります。天の国は単なる理念や希望ではなく、私たちが神を第一に求め、神との交わりの中で生きるときに現れる、現実的で力強い祝福なのです。
・イエスが教えてくださったように、天の国は非常に価値のあるものです。それは、畑に隠された宝や高価な真珠にたとえられるほど、すべてをかけてでも得る価値があるものです。そしてその天の国は、今この瞬間にも私たちに開かれており、私たちが神を信じ、神に心を向けるときに、その喜びを味わい始めることができるのです。
・詩篇34篇9節には、こう書かれています。
「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。」
・この御言葉は、天の国の現実を体験するようにという神の招きです。天の国を味わうとは、神の愛と恵みを実感し、それが私たちの日々の生活をどのように満たし、変えていくのかを体験することです。主に寄り頼む人、つまり神に信頼し、自分の心を神に明け渡す人は、まさにこの恵みの中でさいわいを得るのです。
・皆さん、この招きに耳を傾けてください。天の国の祝福は、私たちの努力や功績によって得られるものではありません。それは、神の恵みによって与えられる無条件の贈り物です。しかし、それを受け取るためには、私たちの応答が求められます。私たちが神の国を第一に求め、神との交わりを最優先にするならば、その豊かさと喜びは私たちの中に満ち溢れます。
・あなたの人生で最も大切なものは何ですか?どのような価値観を持ち、どこに希望を置いていますか?天の国は、すべてを超えた価値を持つものです。そして、その国を第一に求めるとき、私たちの人生には永遠の意味と目的が与えられます。
・今日、この御言葉を心に刻みましょう。そして、神の愛と恵みを味わい知るために、主に寄り頼む決意を新たにしてください。天の国は、今ここであなたを招いています。その招きに応答する者には、神の豊かな祝福が用意されているのです。どうか、この恵み深い神の国の一員として歩む人生を選びましょう。それが、私たちが本当に満たされ、永遠の喜びを得る道なのです。
5. 天の国をともに求めよう
・皆さん、イエスが語られたたとえ話を通して、天の国の素晴らしさを改めて心に刻みましょう。天の国は、畑に隠された宝のように私たちに見つける喜びを与えてくれます。また、高価な真珠のように、私たちの人生のすべてをかけても惜しくないほどの価値があります。そして、海におろされた網のように、すべての人を招き入れ、神の愛と恵みの中で生きることを可能にしてくれるのです。
・天の国は、ただ遠い未来の出来事ではありません。それは、私たちが今この瞬間に求め、歩みの中で体験できる現実でもあります。天の国を求めるとは、神を第一にし、神の御心を優先して生きることです。それは、日々の生活の中で神の愛を感じ、神が与えられる平安と喜びに満たされる道です。
・今週、この御言葉を心に留めてみてください。日々の忙しさや試練の中で、何を最も大切にしているのかを振り返り、天の国を第一に求める歩みをしてみましょう。イエスはこう約束してくださいました。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
・神の国を求めるとき、私たちは永遠に変わる経験をするでしょう。その歩みの中で、神があなたのために用意しておられる宝を見つける喜びを体験することができます。それは、人生の目的を新たに見出す瞬間であり、神の愛と恵みを深く知る機会となるのです。
・皆さん、どうか天の国の喜びと平安があなたとともにありますように。そして、この素晴らしい天の国の価値を分かち合う者として、周囲の人々にその喜びを伝えていきましょう。神はあなたを招き、あなたの人生を満たす祝福を用意しておられます。どうぞ、その招きに応え、神とともに歩む人生を選び取ってください。