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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年12月28日 「真の慰め」に導く方の誕生 ルカ2:21~38

投稿日:2025年12月28日 更新日:

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はじめに
・みなさん、おはようございます。幼子イエスがどのように人々に慰めと希望をもたらされたのか、共に聖書の御言葉に耳を傾けたいと思います。

 

イエスの誕生と割礼

・ルカ2章21節に、「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」とあり、イエスがユダヤの律法に従って、誕生して八日目に割礼を受け、「イエス」と名付けられたことが記されています。この「イエス」という名前は、神の計画によるものであり、「主は救う」という意味を持ちます。すべての人に救いをもたらすため、神の約束の通りにこの世に来られました。

 

エルサレムでの奉献

・続く22~24節で、イエスの両親はモーセの律法に従い、幼子を神に奉献するためエルサレムに行きます。イスラエルの伝統に従った行為であり、イエスが神に属する存在であることを示しています。貧しい家庭であったため、鳩二羽しか捧げることができませんでした。イエスは、貧しい人やどんな立場の人にも慰めを与えるために来られたことが、この場面から示されています。

 

シメオンの登場と「真の慰め」

・25節から登場するシメオンは「イスラエルの慰め」を待ち望んでいた敬虔なユダヤ人です。彼は年老いた男性で、神を畏れ、律法に忠実な生活を送りながら、長い間メシアの到来を祈り続けていました。聖霊が彼の上にとどまっていたと聖書に記されており、シメオンは「主が遣わすメシアを自分の目で見るまでは死なない」と聖霊によって示されていました。
・イエスが両親とともに神殿に来た際、シメオンは聖霊の導きによってその場に現れ、イエスに出会い、幼子イエスを腕に抱いて神を賛美します。彼はイエスこそが「万民の救い」「異邦人を照らす光」「イスラエルの栄光」であると告白します(30~32節)。シメオンは長年、苦しみと希望の中で待ち望んでいた「真の慰め」を待ち続けてきました。そしてイエスの誕生によって、その「真の慰め」が現実のものとなったのです。
・シメオンは、個人的な信仰と希望を持ち続けた人物であり、神の約束を信じ抜いた模範的な信仰者として描かれています。
・彼の姿は、苦難の中でも神への信頼を失わず、祈りと忍耐をもって待ち続ける信仰者の理想像を示しています。また、シメオンの賛美の言葉は「シメオンの讃歌(ヌンク・ディミティス)」として、教会の祈りの中でも重んじられています。
・「シメオンの讃歌(ヌンク・ディミティス)」は、ルカによる福音書2章29~32節に記されている賛歌です。シメオンが幼子イエスを腕に抱いた際に神を賛美して歌った言葉であり、ラテン語で「今、解き放たせたまえ」という意味の「Nunc dimittis(ヌンク・ディミティス)」の名で呼ばれています。

皆さんとご一緒に新共同訳新約聖書104Pルカによる福音書2章29~32節をお読みしたいと思います。

・「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 これは万民のために整えてくださった救いで、 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」ありがとうございます。
・この賛歌は、キリスト教の伝統において夜の祈り(コンプリーネ)や葬儀の際など、さまざまな礼拝で用いられています。シメオンの信仰と希望、そして神の救いの成就を象徴する重要な聖句です。

 

アンナの証し

・さらに36~38節には預言者アンナが登場します。彼女もまた、長い年月を神殿で過ごし、神に祈り続けていました。そしてイエスと出会ったとき、神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望む人々に、イエスの誕生を知らせました。
・アンナはアシェル族の出身で、結婚後まもなく夫に先立たれてからは長い年月をやもめとして過ごし、生涯を神殿での断食と祈りに捧げてきました。アンナは非常に高齢でありながらも、絶えず神を礼拝し続けていた信仰深い人物です。
・イエスが神殿に連れてこられた際、アンナはその場に居合わせ、神に賛美をささげるとともに、エルサレムの救いを待ち望む人々にイエスの誕生を知らせました。彼女の証しは、神の約束の成就を見届けた信仰者としての喜びと、イスラエルの民に対する希望のメッセージを象徴しています。その生涯と姿勢は、祈りと忍耐の模範であり、神への揺るぎない信頼と希望を体現しています。
・野宿をしながら夜通し羊の番をしていた羊飼いたちが、天使の導きに従ってベツレヘムの幼子イエスに会いに行ったように、また東方の占星術の学者たちが星に導かれてイエスを礼拝したように、年老いた敬虔な男性シメオンにも聖霊の導きが与えられました。シメオンは長い年月、イスラエルに約束された救い主が現れる日を心から待ち望み、祈りと忍耐のうちに希望を持ち続けてきました。その日々には、時に不安や葛藤もあったことでしょう。しかし彼は神の約束を信じ、諦めることなく祈り続けたのです。
一方、神を信頼し続けた高齢の女預言者アンナもまた、夫に先立たれてから長い年月を神殿で過ごし、日々断食と祈りによって神に心を捧げてきました。彼女は朝も夜も神殿に足を運び、イスラエルの救いのために祈り続ける生活をしていました。アンナは、神がいつか約束を果たしてくださると深く信じ、決してその希望を失うことはありませんでした。シメオンとアンナの信仰の深さは、彼らが人生の多くを祈りと忍耐のうちに過ごした姿勢に表れています。
・こうして、神を信じ続けた高齢のふたりに、エルサレムの救いを待ち望む人々に、さらに異邦人にも、そしてすべての人に、神の真の慰めが与えられました。神の慰めは、単なる一時的な安心ではなく、人生の歩みの中で何度も繰り返される祈りと希望の積み重ねの果てに与えられる、揺るぎない平安なのです。
・みなさん、ここでこの神殿の光景を思い浮かべてみてください。生後40日の赤ちゃんと若い夫婦、そして子供の誕生を喜ぶ祖父母。三世代がともに喜び、信仰の継承を祝う温かな姿です。私たちも教会で新しい命を迎えるとき、新しく来られた方を歓迎するとき、シメオンやアンナのような喜びと希望を持つことができます。たとえば、洗礼式や新しい家族の誕生、新来者が加わったとき、教会の皆が心から歓迎し、共に喜ぶ姿は、まさに聖書の物語が現代の私たちの生活に生きている瞬間です。
・そして、私を含めた年配の兄弟姉妹の皆さんも大いにお悦びください。聖書には、年老いた男性と高齢の女性に最初に神の真の慰めが与えられたと記されています。シメオンとアンナのように、歳を重ねても主からの慰めと希望は必ず訪れます。さらに、どんな世代でも神様の愛は変わらず注がれています。私たち一人ひとりが、神の愛と慰めの中で、希望を持って日々を歩むことができます。聖書の物語は、今を生きる私たちにも温かく寄り添い、励ましてくださるのです。

 

『真の慰め』とは、

・『真の慰め』とは、単なる一時的な安心や慰めではなく、神から与えられる根本的な救いと平安のことです。それは人間の力や状況によるものではなく、神の慈愛と約束に基づく揺るぎない希望です。シメオンとアンナが慰めを求め続けた背景には、イスラエルの民が長い間、苦難や不安の中で神の救いを待ち望んでいた歴史があります。彼らは個人的にも高齢になり、人生の多くを祈りと忍耐のうちに過ごしてきましたが、それでも神への信頼を失いませんでした。
・このような彼らの姿勢は、神がご自身の民を決して見捨てず、深い慈愛をもって約束を果たしてくださるという信仰に根ざしています。シメオンやアンナは、ただ自分自身の慰めだけでなく、すべての人に及ぶ神の救いと癒しを待ち望んでいたのです。彼らがイエスの誕生によって「真の慰め」に出会ったことは、神の愛が具体的に現れ、すべての人に希望をもたらす出来事でした。

 

新約聖書の主の平安と慰め

・ヨハネによる福音書14章27節では、
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
イエスが弟子たちに語った「平和」についての重要な言葉です。ここでイエスは、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と述べていますが、この「平和」は、単なる争いのない状態や一時的な安心を意味しているのではありません。イエスが与える「平和」は、世の中が与える一時的で不安定なものとは異なり、神からくる根本的な安心と救い、心の深い安らぎを指しています。
また、「心を騒がせるな。おびえるな。」という言葉は、弟子たちがこれから直面する困難や不安の中でも、イエスが共におられることによって、恐れずに平安を保つように励ましているものです。イエスの平和は、状況や外的な環境に左右されるものではなく、神への信頼とイエスとの深い結びつきから生まれる揺るぎない希望と慰めです。
・イエスが与える平和と慰めは、神の約束に根ざしたものであり、苦難や不安の時にも失われることのない、すべての人に及ぶ神の愛の現れです。信仰者がどのような状況にあっても神が共におられるという確信のもと、心の平安と慰めを経験できることを示しています。
・コリントの信徒への手紙二 1章3-4節は、
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
・パウロが神の慰めについて語っている重要な箇所です。ここでパウロは、神を「慈愛に満ちた父」「慰めを豊かにくださる神」と呼び、あらゆる苦難の中で神が私たちを慰めてくださることを賛美しています。
・この「慰め」とは、単に悲しみや痛みを和らげる一時的な励ましではなく、神ご自身から与えられる根本的な救いと平安を意味しています。神の慰めは人間の力や状況によるものではなく、神の慈愛と約束に基づく揺るぎない希望です。
・また、ここで注目すべき点は、「神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」と記されていることです。つまり、神が私たちを慰めてくださるだけでなく、その慰めを通して他の人々をも励まし、支えることができるのです。自分が苦しみの中で神の慰めを経験することで、同じような状況にある人々に寄り添い、共に歩む力が与えられます。
・神の慰めは個人だけでなく、共同体全体に広がるものであり、私たちが神の愛と平安を分かち合う使命を持っていることを示しています。

 

旧約聖書の「主の平安」「慰め」

・「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。」イザヤ書40章1節では、

神が預言者イザヤを通して民に語った、深い慰めと励ましの言葉です。バビロン捕囚という苦難の中にあったイスラエルの民に対して、神が新たな希望と回復の約束を告げる場面であり、旧約聖書の中でも「慰め」に関する代表的な御言葉とされています。
・この「慰めよ」という命令形の言葉には、神がご自身の民を深く憐れみ、苦しみの中にいる彼らに寄り添い、心の痛みや不安を癒し、再び力づけようとする強い意志が込められています。ここでの「慰め」は、単なる一時的な励ましや気休めではなく、神の約束に基づいた根本的な救いと平安を指しています。神は民の苦しみを知り、その状況を変えるために働かれること、そして民が再び希望を持って歩むことができるように導かれることを宣言しています。
・神は民の過去の罪や苦難を乗り越え、新しい始まりと祝福をもたらすことを示しています。信仰者に神の愛と変わらぬ約束を思い起こさせるものです。
・また、「慰めよ」というメッセージは、イエス・キリストによってもたらされる「真の慰め」とも深く結びついています。神が与える慰めは、どんな苦難や不安の中でも失われない、信仰者の心に根ざす平安と希望であり、私たちが他者を慰め、励ます力の源となります。この御言葉は、神の慈愛と変わらぬ導きへの信頼を新たにするための大切な啓示です。

・「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。」イザヤ書41章10節では、神が民に向けて語られる力強い励ましと約束の言葉です。神ご自身が人々と共におられ、どんな困難や不安の中でも支え、力づけてくださるという深い慈愛と守りの約束が込められています。
・「恐れることはない」「たじろぐな」という命令は、苦難や試練に直面している人々に向けられています。神は「わたしはあなたと共にいる」「わたしはあなたの神」と繰り返し強調することで、民が孤独や不安を感じる必要がないことを示しています。神は遠く離れて見守る存在ではなく、常にそばにいて、助け、支えてくださる方だという信頼がここに表されています。
さらに「勢いを与えてあなたを助け」「わたしの救いの右の手であなたを支える」という表現は、神の力強い守りと導きを具体的に示しています。人間の力や知恵では乗り越えられないような困難も、神の救いによって乗り越えることができるという希望を与えています。
バビロン捕囚の苦難の中にあったイスラエルの民に向けて語られたものであり、神が彼らを決して見捨てず、必ず回復へと導くという約束のメッセージです。また、現代を生きる私たちにとっても、困難や不安の時に神が共におられるという確信と、神に信頼して歩む勇気を与えてくれる御言葉です。

・「 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」詩編23編4節は、

旧約聖書の中でも特に多くの人に親しまれている御言葉の一つです。「死の陰の谷」とは、人生の中で訪れる試練や困難、恐れや絶望といった闇の象徴です。詩人はそのような状況にあっても「災いを恐れない」と宣言していますが、それは神が常に共にいてくださるという確信があるからです。
「あなたがわたしと共にいてくださる」という言葉は、孤独や不安の中でも神の臨在が絶え間なく続いていることを示しています。どんなに困難な道を歩む時も、神が寄り添い、守り、励ましてくださるという信仰者の安心感が表れています。
また、「あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」という部分は、羊飼いが羊を守るために使う道具を指しています。鞭と杖は、迷った羊を正しい道に導き、危険から守るためのものです。神の導きと守りは時に厳しさを伴うこともありますが、それによって私たちは正しく歩む力を与えられ、守られているのだと詩人は告白しています。
・人生のどんな暗闇や危機の中でも、神の守りと導きがあることを信じることで、恐れずに前に進む勇気を与えられるというメッセージです。神の慰めと力づけが私たちの日常に働いていることを深く示しています。

 

招詞

・招詞に詩編119編50節を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。
「あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられます。」
・神の言葉が困難や苦しみの中にある人にとって、希望や力の源となることを表しています。「仰せ」とは、神が語られた戒めや約束、教えを指します。詩人は、人生の苦しい状況の中でも神の言葉によって命が与えられ、心が励まされると告白しています。
・神の言葉は単なる知識や情報ではなく、実際に生きる力を与えてくれるものだと強調されています。困難な時にこそ、神の約束に立ち返り、その言葉に信頼することで、希望と勇気を持って歩むことができるというメッセージが込められています。
・神の律法や言葉の素晴らしさを讃え、詩人が神の言葉にどれほど深く依存し、慰めや力を得ているかが繰り返し語られています。現代の私たちにとっても、苦しみの中で神の言葉・聖書に触れることが、心の平安や希望を回復する道となることを教えてくれます。
神が民に与えられる平安や慰めの約束を力強く表しています。
・神の約束と言葉が人に生きる力と慰めを与えます。詩人は、神の言葉によって苦しみの中でも命と励ましを得ていると告白します。ルカ福音書のシメオンとアンナも、神の約束を信じて待ち続けた結果、イエスの誕生という最大の慰めと希望を受け取りました。彼らの姿は、神の言葉を信じ、忍耐と信仰をもって歩む者に神の慰めが訪れることを示しています。
「イエス・キリストによる真の慰め」は、旧約から新約への神の救いの約束が一貫して人々に希望と命を与えることを教えています。現代に生きる私たちも、神の言葉とイエスの存在により、苦しみの中で真の慰めと希望を見いだすことができるのです。

 

私たちへのメッセージ

・私たちは、神が約束された「真の慰め」は、イエス・キリストによってすべての人に与えられることを知ることができます。シメオンもアンナも、長い間待ち続け、祈り続けてきました。その忍耐と希望の中に、神の恵みが訪れたのです。
現代を生きる私たちも、不安や悩み、孤独の中で「慰め」を求めています。しかし、イエスの誕生は、神が私たちに寄り添い、真の慰めを与えるために来てくださった証です。どんな状況にあっても、イエスの存在を信じ、希望を持って歩んでいきましょう。

 

結び

・「真の慰めに導く方の誕生」は、神の深い愛と約束の成就を示しています。シメオンやアンナのように、私たちも祈りと信仰をもって、イエス・キリストによる慰めと希望を受け取りましょう。互いに励まし合いながら、この恵みを分かち合う者となれますように。
「主の平安と慰めが、皆さまの上に豊かにありますように。」

 

祈り

・真の命の神様、あなたの約束と慰めに心から感謝します。

私たち一人ひとりが、

イエス・キリストによる真の慰めと希望をしっかりと受け止め、

日々の歩みの中であなたの導きと平安を実感できますように。

困難や不安の中でも、あなたの愛と恵みを信じ、

互いに励まし合いながら前進する力をお与えください。

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

アーメン。

 

 

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