2025年1月12日(マタイ4:12-17,23-25、イエスは身を削って人々を癒された)
1.ガリラヤで伝道を始める
・バプテスマのヨハネから洗礼を受けられたイエスは、しばらくはヨハネと共におられましたが、ヨハネが捕えられたことを伝え聞き、自らが宣教の第一線に立つべき時が来たことを悟られ、故郷、ガリラヤに戻られました(4:12、紀元28年頃)。ヨハネを捕えたのはヘロデ王の子、ヘロデ・アンティパスで、彼は当時、ガリラヤとペレヤ(ヨルダン川東岸)の領主であり、洗礼者ヨハネが活動していたのは、彼の領内ペレヤの地でした。ヘロデは、洗礼者ヨハネの運動が拡大してメシア運動(世直し運動)となり、領内に騒乱が起こるのを怖れ、ヨハネを逮捕し、マケラスの要塞に閉じ込めました。この報せを聞いて、イエスはユダヤを去り、ガリラヤに退かれた。マタイは記します「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」(4:12)。
・イエスの宣教は、故郷ガリラヤから始まりました。拠点にされたのはガリラヤ湖畔の町カファルナウムです。当時のカファルナウムは、ヘロデの軍隊が駐留し(8:5)、収税所もある(9:9)、ガリラヤの中心都市でした。イエスは「悔い改めよ、天の国は近付いた」と宣言されてその宣教を始められます。「そのときから、イエスは『悔い改めよ、天の国は近付いた』と言って宣べ伝え始められた」(4:17)。イエスが宣教を始められたガリラヤを、マタイは「異邦人のガリラヤ」、「死の陰の地」と呼びます。そしてイザヤの預言を引用して、ガリラヤで新しい時代が始まったと宣言します。「(イエスは)ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある町、カフアルナウムに来て住まわれた。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に者に光が射し込んだ。』」(4:12-16)
・ガリラヤは、イスラエル12部族の中のゼブルン族とナフタリ族に割り当てられ、「ゼブルンの地、ナフタリの地」と呼ばれました。しかし、ガリラヤを含む北王国はアッシリアに滅ぼされ、以降アッシリアの属州となり、民族の混淆が進み、「失われた地」と言われます。その後、南王国もバビロニアに滅ぼされ、捕囚後のペルシャ支配とセレウコス朝支配の時代には、他民族の入植が続き、ガリラヤの人種、宗教、文化の混淆が進みました。そのため、エルサレムの人々はガリラヤを「異邦人のガリラヤ」と呼び、嘲笑しました。それを受けてマタイは、イザヤの「辱めを受けたガリラヤが異邦人支配から解放されて、再びイスラエルに回復される」との預言がキリストの宣教により実現したと語ります。「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4:14-16)
・捕囚後にエルサレムに再建されたユダヤ教団はガリラヤを軽蔑の意味を込めて、「異邦人(異教徒)のガリラヤ」と呼びました。そのガリラヤが再びユダヤ人の地になるのは、前100年頃からハスモン王朝がガリラヤまで支配を及ぼし、住民にユダヤ教を強制し、シナゴーグを建てるなどして教化活動を続けた結果です。ハスモン王朝時代、ユダヤからの入植者が送りこまれ、イエスの家族もこの時期のユダヤからの入植者であると見られています。イエスの時代、ガリラヤは異邦人と接するユダヤの辺境・周辺地帯という意味で「異邦人のガリラヤ」でした。そのガリラヤでイエスが宣べ伝えられた福音は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」に要約されます。「天の国」とはマタイ独特の言葉で、内容は「神の国」と同じです。マタイはユダヤ人として神の名をみだりに口にすることをはばかり、「神の国」を「天の国」と読み替えます。その結果、後代の人々はこの「天の国」を「天国」と誤解し、福音とは「死んで天国に行くことだ」と誤読するようになります。神の国とは今現在、神の支配が始まったことを指します。(ルカ11:20「私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」)。
・イエスはガリラヤにおいて「神の国が始まった」と宣言されました。イエスは荒野の試練ですでにサタンに勝っておられ(4:11「悪魔は離れ去った」)、それ故、「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝く」という預言が成就されたとマタイは記述します。「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆癒された。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」(8:14-17)。
2.ガリラヤでの活動
・マタイはイエスのガリラヤ宣教を、「御国の福音を述べ伝える」ことと、「民の災いや病を癒された」ことにあるとみています。「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々を癒された」。(4:23-24)。イエスの周りに集まってきた人たちは、徴税人や罪びと等の、差別されていた人たちでした。イエスは彼らと食卓の交わりをされましたが、厳格なファリサイ派の人々はそのようなイエスを、「罪びとと食事をしている」と批判します。それに対してイエスは反論されます「私が来たのは罪びとを招くためである」。「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が求めるのは憐れみであって、生贄ではないとはどういう意味か、行って学びなさい。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(9:12-13)。
・イエスが目指されたのは、神の国の実現でした。マタイ11章にイエスの思いが言葉化されています。「イエスはお答えになった。『行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである」。(11:4-6)。バプテスマのヨハネに対する応答の言葉です。
3.イエスの行われた病の癒しを考える
・イエスは会堂で悪霊を追い出し(1:25-26)、ペテロの姑の熱病を癒します(1:29-31)。この病気治しの評判が近隣に伝わり、多くの人々が、「患っている者や悪霊に憑かれた者をすべて彼のもとに運んで来始めた」(1:32)。イエスは人々の要望に応えて、「さまざまな病を患っている多くの者たちを癒し、また多くの悪霊どもを追い出した」(1:34)とマタイは書きます。
・本田哲郎神父は聖書の個人訳を行い、ギリシャ語から聖書本文を訳し直した時、福音書に繰り返し出てくる「癒しの意味」が日本語聖書の訳と異なることに気づきました。「“癒す”という言葉“イオーマイ” が出るのは、マタイとマルコ両福音書について言えば、合わせて五回しかない。それもすべて、結果として“癒し”が行われたことの報告という形、もしくは“癒されたい”側の期待のことばとして出るだけで、あとはすべて“奉仕する”という意味の “セラペオー”だ。マタイとマルコ合わせて二十一回も出てくる。英語 Therapy の語源となった言葉で、これを病人に対して当てはめると、“看病する”、“手当てする”となる。“手当て”をして、結果として“癒し”が起こって、イエス自身“深い感動をおぼえた”という事例すら、福音書は記録している。イエスにとって、神の国を実現するために本当に大事なことは、“癒し”を行うことではなくて、“手当て”に献身すること、しんどい思いをしている仲間のしんどさを共有する関わりであったことは明らかだ」(本田哲郎「小さくされた人々のための福音」)。イエスが志したのは病の治癒ではなく、「病人の苦しみに共感し、手を置く行為だった、その結果病が癒されていった」と聖書は記している事に本田神父は気づいたのです。大事な気づきだと思います。
・同じカトリック司祭の幸田和生神父は、アルバート・ノーラン「キリスト教以前のイエス」を紹介し、イエスの癒しの業について、それは「病む人々に希望を与え、それが病を癒した」と語ります。「イエスの癒しは、『信仰と希望の勝利だ』とノーランは語る。病気の人は肉体的な苦しみだけではなく、差別と偏見を受けて絶望の中に閉じ込められていた。『お前の病気は罪の結果だ』と言われていた。そういう病気の中で絶望していた人々にイエスは近づき、語る『いや、神さまは決してあなたを見捨てていない、神さまは本当にあなたのことを大切にしている、あなたが立ち上がって歩きはじめることを望んでおられるのだ』。そのメッセージを語っていく。『だから、神さまに信頼しなさい、神に希望をおきなさい』。こういうメッセージをイエスは語っている。そうした時に、病人の中に自分は病気だというあきらめから立ち上がっていく力が与えられる。本当に信頼と希望の力が与えられる」。(幸田和生講演から)。
・マザーテレサが行ったことも病気の治癒ではないことを知るべきです。マザーは「死に行く人を看取ったのであって、治したのではない」ことに留意した時、癒しは治癒ではなく、共感であることがわかります。イエスが与えたのも「治癒」ではなく、「癒し=慰め」でした。私たちは「治癒」と「癒し」を峻別することが必要です。癒しが為される時、その結果治癒したかしないかは、そんなに大きな問題ではありません。「ある者は治癒されて喜び、別の者は治癒されなかったが生きる勇気を与えられた」、それが大事なのではないかと思います。
・イエスの癒しの力は、病む人を共感する力から生まれます。イエスが癒された人々は、当時の社会において罪人、穢れた者とされていた人々でした。触れてはいけないと禁止されていた重い皮膚病者に、「手を差し伸べてその人に触れ」、癒されます。一人息子の死を悲しむ母親を「憐れに思い」、死体に触れるなという当時のタブーを冒してまで「棺に手を触れ」、彼を生き返らせます(ルカ7:11-17)。「癒し」の行為は、禁止されていた安息日にも行われました(マルコ3:1-6)。そのことにより、イエスは祭司や律法学者から異端とされ、捕らえられ、十字架で殺されていきます。イエスは自らが痛むことにより、病む者たちの痛みを共有されていきました。「あなたの罪は赦された」という宣言は、「その罪は私が代わりに引き受ける」という決意のもとで為されているのです。癒しの物語の多くは「癒しではなく、救いの物語」なのです。癒しの背後にはイエスの十字架があります。イエスは重い皮膚病者の罪も私たちの罪も、背負って十字架につかれたのです。その十字架によって、私たちは解放されたのです。私たちが伝えるべきは「救いは十字架からくる」という真理です。その真理を伝えるために、私たちはここに集められています。
・私たちは、「病の癒しはあくまでも神の出来事である」ことを伝えなければいけません。神は必要な時には病を癒し、また必要な時には病をそのままにされます。ある牧師は歌いました「病まなければささげ得ない祈りがある 。病まなければ信じ得ない奇跡がある 。病まなければ聞き得ない御言葉がある 。病まなければ近づき得ない聖所がある 。病まなければ仰ぎ得ない御顔がある。おお、病まなければ、私は人間でさえもあり得ない」(河野進「病まなければ」)。病が祝福になることがある、癒されないこともまた神の恵みとして受け止めていくのが聖書の信仰です。
・私たちにはイエスのような病の癒しは出来ませんが、自分たちに出来る癒しの業に取り組む必要があります。私たちは足の不自由な人に、「起きて歩け」ということは出来ません。しかし、足の不自由な人が、教会に来ることが出来るように、玄関の段差をなくし、車椅子のままトイレを使えるように改造することは出来ます。私たちは、病気で寝ている人の病気を治すことは出来ません。しかし、寝ている人を訪ね、その枕元で一緒に讃美することは出来ます。ペテロが自分の家の屋根が壊されても文句を言わなかったように、私たちも自分の家を解放して、家庭集会を行うことは出来ます。私たちはイエスのように癒しを行うことは出来ませんが、イエスの前に中風の人を運んだ四人の男にはなりうるのです。そしてイエスは「その人たちの信仰を見て」行為されます。イエスの前に人を運ぶ、その先は、赦しと癒しの権能を持たれるイエスにお委ねする。教会は多くの癒しの業を行うことが出来ることを覚えたいと思います。