江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年11月16日(アモス書9:11~15 その日が来れば 副題:倒れた仮庵が建て直される)

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【招詞】「彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通してなされた主の命令に従い、主の言いつけを守った。」(民数記9:23)

【第一部】倒れた仮庵をもう一度――再建の約束としての希望

・今日、一緒に読んでいくのはアモス書の終わりの箇所、ここは本当に“ふっと光が差し込む”ような部分なんですよね。
アモスという預言者は、基本ずっと厳しいことを言わされてきました。もう、神さまの心が痛むほど社会がゆがんでいたわけです。弱い人は押しのけられ、礼拝は形ばかり、正義なんてどこかへ行ってしまった……そんな時代でした。

・ずーっと厳しい言葉が続くんですが、その最後に突然ぽつっと灯がともるんです。
それがこの神さまの言葉です。
「その日、わたしは倒れたダビデの仮庵を立て直す。
その破れをふさぎ、廃虚を建て直し、昔の日のように建てる。」(アモス9:11)
これは本当に、読んだ瞬間に空気が変わるような言葉ですよね。

・さて、この「ダビデの仮庵」なんですが、これはダビデ王家、つまり神の民であるイスラエル全体を象徴しています。
昔は栄えていたんです。
信仰もしっかりしていたし、生活も守られていたし、神さまの祝福がちゃんとあった。

・でもアモスの時代には、その“中身”がもう崩れてしまっていた。
形だけは残ってるけど、実質はスカスカ。
少し風が吹いただけで倒れてしまうような、弱~い状態だったんですね。
だから神さまは言われたんです。
「倒れた仮庵」だよ、と。

・これはつまり、
“かつては輝いていたけど、今はすっかり力を失ってしまった姿”を表しているんです。
で、思うんですよね。
これ、昔のイスラエルだけの話じゃないよなぁ、と。

・私たちにもあるじゃないですか。
自分の中に“倒れた仮庵”。
たとえば……
「なんか最近、心の土台がグラグラしてるなぁ」と感じるときとか、
「前は家族の関係が穏やかだったのに、いつの間にか険しくなってしまったなぁ」とか、
「仕事や人間関係のなかで、『自分の居場所』ってどこなんだろう?」って思ってしまうときとか。

・そんなとき、私たちの心のどこかに、ボロボロになった仮庵が転がってるんですよね。
誰にも見せないように、そっと隠しているけれど。
信仰の仮庵、
心の仮庵、
家族の仮庵、
自信の仮庵。
「前はちゃんとしてたのになぁ……」とため息が出るような場所。
触れたくない場所。
いや、むしろ触れられたくもない場所。

・でも、ここで一番大事なのはこれなんです。
倒れた仮庵を立て直すのは、“わたしたちじゃなくて、神さまご自身なんですよ”
ここが、今日の一番の“希望ポイント”なんです。

・私たちはつい思っちゃうんですよね。
「自分でなんとかしなきゃ」
「もっと頑張らないと」
「ちゃんとしないと神さまにも申し訳ない」

・でも神さまは、そう言われません。
「倒れたものを立て直すのは、わたしの仕事だよ」
と、はっきり言ってくださるんです。

・私たちが恐る恐る見てみて、「あぁ……ここ破れてる」「ここ穴が空いてる」「もう全然ダメだ……」と思ってしまうところ。
そのいちばん触られたくないところに、神さまはそっと手を伸ばしてくださる。

・そして、こうしてくださるんです。

・破れをふさいで

・廃虚になった部分を建て直して

・昔の日のように、しっかりと立てる

これ、単なる“修理”じゃないんです。
“作り直し”です。
神さまの言葉で言えば、“再創造”です。
壊れた部品を取り替えるんじゃなくて、「もう一度命を吹き込む」というレベルのことをしてくださるんです。
しかも、この回復はイスラエルだけじゃない。
神さまはアモスを通して、その回復が“国々”に広がる、と語られました。

・「エドムの残りの者と、わが名をもって呼ばれるすべての国」(9:12)
エドムって敵国ですよ。
普通なら入れない場所です。
でも神さまの回復は、私たちが勝手に引いていた“境界線”なんて軽々と越えていく。
「この関係は絶対ムリ」
「この人は変わらない」
「私はもう立て直せない」
――そう思ってしまう場所にも、神さまは平気で光を入れてくださるわけです。

・皆さん、
もしあなたの中に“倒れた仮庵”があるとしても、どうか恐れないでください。
神さまは、その場所をちゃんと見ておられます。
そして言われます。
「ここから、もう一度始めよう。」
その“もう一度”が来るのは、あなたのペースではないかもしれない。
でも、必ず“神さまの時”に来ます。

・そして聖書は、その時のことをこう呼びます。
「その日には」
さぁ、その“その日”にどんな景色が広がっているのか。
続いて、一緒に見ていきましょう。

【第ニ部】見よ、その日が来れば――約束された豊かさの回復

・さて、「神さまが倒れた仮庵を建て直す」という、とっても希望のある言葉をご一緒に見ました。
あれは、ただ壊れたものを修理するという話じゃありませんでしたよね。
神さまが“もう一度、根っこからやり直してくださる”っていう、あの力強い約束でした。

・では、その建て直しが実際にどういう形で表れていくのか――
聖書はそこもちゃんと描いてくれているんです。
アモス9章13節を読みましょう。
「見よ、その日が来れば、と主は言われる。
耕す者は刈り入れる者に続き、ぶどうを踏む者は種蒔く者に続く。
山々はぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。」
いやー……これはもう、“豊かさが爆発している”ようなイメージなんですよね。

・最初の「見よ」という呼びかけ。
これ、命令というよりは、神さまが私たちの横で肩をそっと叩いて、
「ねぇ、ちゃんと見てごらん。
あなたの目にはまだ見えていないけど、良い日がちゃんと来るんだよ」
って言ってくださってるように感じるんです。

・“その日が来たら”じゃないんですよ。
**「その日は来る」**って、神さまが先に言い切ってる。ここが大事なんですよ。
私たちはどうしても、「良い日なんて来るのかな」「この状況、変わるのかな」って不安になるじゃないですか。
でも神さまはその不安を見越して、先に約束してくださるんです。
“来るよ、その日は。安心しなさい。”

・ここからがめちゃくちゃ面白い表現です。
「耕す者は刈り入れる者に続き…」
本来、耕すのは春、刈り取るのは秋。
季節がぜんぜん違いますよね。
それが追いついちゃうっていうんですよ。

・どういうことかというと……
実りが多すぎて、次の人が追いついちゃう。
もうスケジュールがパンクするくらい、恵みがわんさか来る。
そういうイメージなんです。

・たとえるなら、

  • 夕飯を作っていたら、
    もう次の日の食材が玄関に届いてる。
  • 洗濯を干してたら、
    もう乾いた洗濯物が次々運ばれてくる。
  • 銀行の通帳を見たら、
    入金が入金を呼んでいる。

……みたいな。笑

いや、ほんとにそんな勢いなんですよ。
聖書が描く“その日”の恵みは、ケチケチした祝福じゃありません。
「ちょっとだけ」「たまに」じゃなくて、
“続けざまにやってくる祝福”
なんです。

・ぶどう酒が山から滴る?!
この表現も、ものすごいですよね。
「山々はぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。」
ぶどう酒が山から流れるんですよ。
実りが多すぎて、山そのものが“ぶどうジュースの滝”みたいになってる。

・これは、ただ作物が多いという話ではありません。
“喜びが山のようにあふれる”
という象徴なんです。

・聖書では、ぶどう酒はいつも「喜び」「祝宴」「祝福」の象徴です。
つまり、あなたの心の丘にも、もう一度、喜びが流れ込むよ。
乾ききった場所にも、ちゃんと潤いが戻るよ。
という神さまからのメッセージなんです。

・あなたの心の中にも “乾いてガサガサになってしまった場所” ってありませんか?
「ここはもう戻らないなぁ……」
「この関係は、もう前のように笑えないだろうなぁ……」
「昔のように祈れないなぁ……」
って思う場所。
そこにこそ、神さまは“ぶどう酒を滴らせる”と言われます。
喜びと潤いが戻ってくるんです。

・14節になって、神さまの言葉はさらに具体的になります。
「わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。
彼らは荒廃した町を建て直し、そこに住む。
ぶどう畑を作ってその酒を飲み、園を造ってその実りを食べる。」(アモス9:14)

・ここに描かれているのは、
“生活全体の回復”です。

・壊れた町がもう一度建て直される
・生活の基盤ができる
・働きが祝福される
・その実りを味わうことができる

つまり、「神さまは『心だけ回復』じゃなくて、人生丸ごと回復してくださる」ということです。

信仰の回復、
家庭の回復、
生活の回復、
居場所の回復、
喜びの回復。

神さまの回復は、小手先の修復ではありません。
人生全体を立ち直らせてくださるんです。

・そして、ついにクライマックスが訪れます。
「わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から、再び彼らが引き抜かれることは決してない。」(アモス9:15)
この言葉の意味は、あとでじっくり見ていきますが、ここだけでも感じておきたいのは、神さまの祝福は“続く祝福”だということなんです。
“その日”に与えられる豊かさは、
すぐに消えてなくなる一時的なものじゃありません。
根が生えるまで続き、やがて揺るがない強さとなる。
それが神さまの回復です。

・皆さん、
神さまの「その日」は、遠い未来の夢物語ではありません。
あなたの人生の“倒れた仮庵”の上に、神さまは本当に新しい豊かさを注がれる方です。
その日がどんな日なのか――
そしてその日に向かって私たちがどう歩むのか。
一緒に見ていきましょう。

【第三部】引き抜かれることのない民として――神の約束に生きる歩み

・さて、「倒れた仮庵が建て直される」、次に「その日にあふれる恵みの景色」を味わってきました。
ここまで来ると、この預言のクライマックスがどこにあるのか、少しずつ見えてきますよね。

・アモス9章の最後、15節。
ここが実は、アモス書全体の頂点、と言ってもいいくらい大切な言葉です。
まず、新共同訳でそのまま味わいましょう。
「わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から、再び彼らが引き抜かれることは決してないと、
あなたの神なる主は言われる。」(アモス9:15)
これはもう、“神さまの心のど真ん中”が語られている言葉ですよ。

・まず、「植え付ける」という言葉に注目しましょう。
植物を植える時って、土をほぐして、
根が傷つかないように優しく持ち上げて、深さを調整して、丁寧に土をかぶせて、水をあげて、しばらく見守って……って、けっこう手間がかかりますよね。

・神さまは、それをわたしたちに対してしてくださるんです。
“放り込む”でも“置く”でもなく、
「植え付ける」。
根がちゃんと張るように、
ぐらつかないように、
必要な場所に必要な深さで、
やさしく、ていねいに、植えてくださるんです。

・これって、すごくないですか?
神さまはあなたを、
“なんとなく”信仰の道に置いているんじゃありません。
“たまたま教会に来た”とも思っておられません。
神さまはあなたを、
“植えたい場所に植えた”
んです。

・そして次の言葉。
「再び引き抜かれることは決してない」
ここですよ。
これがアモス書の“心臓部”みたいな言葉なんです。

・皆さん、「引き抜かれる」っていう経験、心当たりありません?

・急な病で、生活の基盤が揺れた
・大切な関係が壊れて、心が浮いた
・居場所がなくなって不安になった
・祈りが出てこなくて、信仰が揺れた
・自分の価値がわからなくなった

こういう時って、まるで根っこごと“引き抜かれた”ような感覚になりますよね。

・今まで普通に立っていたのに、
急に足元がスカッとするような、
なんとも言えない不安が押し寄せてくる。
だけど神さまは言うんです。
「あなたはもう、引き抜かれない」
“もう二度と”です。
“絶対に”です。
これは、神さまの救いの最終保証なんです。

・あなたの信仰が弱くなったときでも、
あなたの気持ちが沈んだときでも、
あなたが祈れなくなったときでも、
神さまはあなたを引き抜きません。
弱いときこそ、
根は深くなる。
涙の時こそ、
土にしみ込み、成長の養分になる。
神さまはそういう方なんです。

・ここで一つ、旧約の民の歩みを思い出したいんです。
民数記にこんな言葉があります。
「彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。」(民数記9:23)
荒れ野の40年。
あれは決して“無駄な時間”じゃなかったんです。

・民は根なし草のように見えたけど、
じつはずっと、神さまの雲に導かれ、
必要な時に止まり、必要な時に歩き出していた。
神さまが、彼らを「植える場所」に導いていたんです。
皆さんの人生にも、荒れ野みたいな季節ってありますよね。
「祈れない……」
「先が見えない……」
「なんでこんな道にいるんだろう……」
そう思う時期。
でもその期間も、神さまが「植え付けの準備」をしている時間なんです。

・揺れる時期があっていいんです。
むしろ、揺れたあとに強く根が張る。
人生って、そういうリズムになってるんです。

・神さまが植えてくださるのなら、
私たちに必要なのは「揺らがないこと」ではありません。
必要なのは、“根を張ること”です。

・そして根を張る場所は3つ。

① 神さまの言葉に根ざす
御言葉に触れるたびに、根が一本、また一本と伸びていきます。
読めなくても、聞くだけでも、心の土が耕されます。

② 祈りで呼吸する
長い祈りじゃなくていいんです。
「主よ、助けてください」
「今日も守ってください」
その一言で、十分に根の水分になります。

③ 教会の交わりの中で育つ
一人だけだと根は浅くなります。
教会は“根が絡み合う場所”なんです。
支え合いながら深くなっていきます。

・アモスは言いました。
「その日には」
これは未来系じゃなくて、
“約束の宣言”です。
倒れた仮庵の上に、
神さまはもう一度柱を立てられる。
乾いた丘に、
再びぶどう酒が流れ込む。

・そしてあなたは、
もはや引き抜かれない。
揺るがない。
失われない。
あなたは、神さまに植えられた人だからです。
どうかこの約束を、あなたの心の深いところに置いてください。
そして今日も、神さまの「その日」を見つめながら歩んでいきましょう。

【お祈り】

イエス・キリストの父なる神さま。

今日、アモス書をとおして、

あなたがどれほど誠実に、どれほど優しく、

私たちを見守っていてくださるのかを、

もう一度しっかりと心に刻むことができました。

ありがとうございます。

神さま、

私たちの人生には、

どうしても倒れてしまう仮庵があります。

誰にも言えない心の傷、

うまくいかなくなっている関係、

自信がしぼんでしまう時期……。

でも、そんな“倒れた場所”こそ、

あなたが近づいてくださる場所だと教えてくださって、

本当に感謝します。

「倒れたものを立て直すのは、わたしの仕事だよ」

――そう語ってくださる神さま。

どうかその言葉を、

今日、私たちの心の深いところにまで届けてください。

私たちが、

「自分で何とかしなきゃ」と力んでしまうときも、

あなたがそっと手を伸ばし、

破れをふさぎ、

廃虚を建て直し、

もう一度“立てる者”としてくださる。

その優しい働きを、私たちが見逃さないように助けてください。

そしてどうか、

あなたが約束してくださった“その日”を、

私たちが希望をもって待つことができますように。

乾いた心の丘には、

もう一度ぶどう酒が滴るように喜びを注いでください。

揺れてしまう心には、

あなたが植えてくださった“確かな根”が深く張るように支えてください。

「あなたはもう引き抜かれない」

という約束を、日々思い起こさせてください。

どうか、この小さな教会に集う一人ひとりの上に、

あなたの平安と祝福が豊かにありますように。

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

アーメン。

 

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