江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年12月15日説教(マタイ2:1-12、マタイの描くクリスマス物語)

投稿日:2024年12月14日 更新日:

 

1.御子の降誕と人々の反応

 

・イエスはヘロデ王治世下にユダヤで生まれられました。当時のユダヤはロ-マ総督の占領下に、ヘロデが王として国の支配を任されていました。しかし彼は、ロ-マ帝国に操られる傀儡政権の王に過ぎなかった。そのような状況下で、ヘロデは東方から来た博士たち(原語マゴス、占星術師)が、新しく生まれた「ユダヤの王」を探していると知り、自らの王位を脅かされる恐れを感じました。マタイは記します「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのべツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て言った。『ユダヤ人の王としてお生まれなった方はどこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので拝みに来たのです。』これを聞いてヘロデは不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」(2:1-3)。

・「ヘロデは不安を抱いた」とあります。何故ならばヘロデは異邦出身のエドム人であり、本来はユダヤ王になる血筋ではないからです。彼は出自を正すために、ユダヤ王家の血筋であるハスモン家の王女マリアンメと結婚し、王家と姻戚関係を結びます。同時にヘロデはロ-マの支配層に取り入り、ロ-マ元老院から「ユダヤ王」の称号を得ていました。王位に就いたヘロデが最初にしたことは、前政権ハスモン家の血縁者の抹殺で、まずハスモン家の当主を処刑し、さらに妻マリアンネとの間に生まれた二人の息子を手にかけ、妻の弟や母親までも殺害しました。ヘロデの手は血にまみれていました。ユダヤの人々は異邦人で、かつ残酷なヘロデ王を嫌い、本当の「ユダヤ人の王」(メシア)を求めていました。王権の基盤が不安定であるゆえにヘロデは占星術師たちの訪問に動揺したのです。

・ヘロデは「メシアはどこに生まれることになっているのか」を祭司長や律法学者たちに聞きました。彼らは言います「ユダヤのべツレヘムです」。ミカ書は預言しています「ユダの地ベツレヘムよ・・・お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者になる。」(2:5-6)。ベツレヘムはエルサレムの南10キロのところにある小さな村ですが、ダビデ王はこの地で王としての油注ぎを受けています。ヘロデは危機感を募らせていましたが、さりげなく取り繕って、「私も行って拝もう」と本心を隠して学者たちを見送ります。ヘロデはユダヤ人の王を探し出して殺そうとしていたとマタイは記します(2:7-8)。東方の博士たちはヘロデから別れた後、最初見た星が再び彼らを導くのを見て喜びます。星は幼子の生まれた所で留まり、彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝物箱を開け黄金、乳香、没薬を捧げました(2:11)。ところが「ヘロデのところへ帰るなと夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」(2:12)。

 

2.マタイの信仰物語としてのマタイ2章

 

・「ユダヤ人の王」の誕生を学者たちから聞いた「異邦人出身」のヘロデ王は、自らの王位が脅かされる危

機を感じ、新しい王の殺害を企てます。他方、ヨセフに危険が伝えられ、彼は幼子イエスとマリアを伴い、エジプトへ避難したとマタイは記します(2:13-15)。またマタイは「ヘロデ王が、ユダヤ人の王を除くために、可能性を持つベツレヘムに住む二歳以下の男児を虐殺した」(2:16-18)と記します。ヘロデは自分の地位を守るためであれば、親や子も平気で殺す残虐な王であったと伝えられています。

・マタイはイエスを「新しいモーセ」として描いています。当時メシア出現の期待があり、人々は「モーセがイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放したように、新しい解放者が現れる」ことを待望していました。マタイは「イエスがエジプトに逃れられ、その後イスラエルに戻り、ナザレに住まれた」と記述しますが、これはイエスこそ、「エジプトから引き出された」新しいモーセ、解放者であるとの信仰の告白です。モーセはエジプト王から殺されようとしますが、神はモーセを救い出され、イスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出します。同じように、ユダ王ヘロデはイエスを殺そうとしてこれを果たせず、イエスは解放者として、人々を「罪の縄目から救い出される」とマタイは告白しています。

・マタイの描くクリスマス物語は伝承であり、それが歴史的事実かどうかは確認できません。しかし聖書の物語には「事実を超える真実」があります。遠藤周作はカトリック作家として、多くのキリスト教を題材とする作品を書いてきました。『沈黙』、『深い河』等は、多くの人々に読まれた作品ですが、個人的には、彼の代表作は、『イエスの生涯』、『キリストの誕生』の二作ではないかと思います。この二作は遠藤の書いた「イエス伝」と「使徒行伝」です。遠藤は作品を書く必要上、近代聖書学を学びました。その時受けた衝撃を彼は『私にとって神とは』というエッセイの中で述べます「近代聖書学の勉強をやりだして、聖書はそれぞれの福音書の作家が自分の属するグループの信仰を土台にして、旧約聖書の話や、イエス死後の民間伝承を使って書いたものだと知り、今まで信じていたことが崩れそうになったことがあります。その時、かなりのショックを受けました。聖書に書かれているイエスの行動のうち確実なものはどれくらいあるか、われわれにはわからない、と書かれているのを読めば、信者ならショックを受けるのは当然でしょう」。

・遠藤は続けます「小説家として私は、実在の事実を使って、事実を超えた世界を創ります。そしてその世界は、事実よりも、もっと人間にとって真実だという確信を持っています。聖書を読んでも、それと同じ気持になりました。なるほど、19世紀以降の聖書学者の努力で、我々は聖書が必ずしも事実通りではないとわかりました。しかし、事実通りでなくとも、それは私の小説と同じように、聖書作家たち(マルコやマタイやルカやヨハネ)が、自分たち教団の信仰理念に基づいて事実を再構成し、事実でなくとも人間たちの夢を吹き込み(何故なら彼らが集めて聖書に挿入したイエス伝承は、人々の願いや夢であったわけですから)、事実の羅列以上に生命を吹き込んだと言えないでしょうか。私はその吹き込んだ生命を小説家として興味を持ったのです」。『事実を超えた真実がある』という視点で、私たちもクリスマス物語を読んでいきます。

 

3.クリスマス物語から学ぶことは何か

 

・今日の招詞にルカ2:4-7を選びました。次のような言葉です「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、許嫁のマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。ルカの描くクリスマス物語です。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」、新しく生まれたメシアにはふさわしい居場所がなかったとルカは描きます。

・ノーベル文学賞を受けたアメリカの作家パール・バックは、彼女が少女時代に経験した中国でのクリスマスの出来事を記しています。彼女の両親は宣教師で、彼女も少女時代を中国の鎮江で過ごしました。彼女が12歳の時、中国北部で大飢饉があり、飢餓に追われた何十万人もの難民が彼女の住む町に流れ込んできました。「朝になると、表門と裏門の前から、毎日のように死体が運び去られた。物乞いに来た人々は、施錠された門に隔てられ、力つきてその場で死んだ。私たちだれもが門を開けなかった。それは飢えた人々が畑の大麦を襲うイナゴの群のように、飛び込んでくるに違いないからだ。その12才の時のクリスマス、キリスト降誕祭の当日、門前に飢えて横たわっている人々の一人に赤ん坊が生まれた」。

・「あのベツレヘムの子のように、『宿には彼らのいる場所がなかった』。私の母は若い女を門の中に入れた。赤ん坊はわが家で生まれた。その子はしかしすぐに死んだ。若い母親も生きられなかった・・・赤ん坊は一握りの骨になり、生命の始まりにはならなかった」(「わが心のクリスマス」から)。パール・バックは続けます「今、自分の国アメリカに住み、クリスマスの喜びの中で私は彼らを想い出す。あの母と子は物乞いではなかった。泥棒でもなく、浮浪者でもなかった。ただ、『身を横たえる場所がなかった』のである。クリスマスが来るたびに私はあの母と子を思い出し、改めて誓いを新たにする。彼らは今も生きている。飢えに悩まされ、戸口で倒れて死んでいくこの地上の多くの人々の中に、今も生きている」。

・この悲しいクリスマスを体験したパール・バックは、戦後アメリカ人将兵と東洋女性の間に生まれ、棄てられた混血児たちを養うための「ウェルカム・ハウス」を造り、作品の印税のほとんどを捧げて、混血児たちの養母になっていきます。日本でも戦後、占領米軍兵士と日本人女性の間に多くの混血児が生まれ、社会問題になりましたが、そのような出来事がアジア各地で起こり、子どもたちは混血故に棄てられていきました。パール・バックは語ります「私たちも祖先をたどれば多かれ少なかれ、混血児なのに」。

・イエスはベツレヘムで生まれられましたが、そこには「彼のいる場所がなかった」。今日でも多くの人が自分の居場所を見いだせず、孤独のうちに暮らしておられます。日本では単身高齢者世帯が600万世帯を超え、誰にも看取られずに亡くなる「孤独死」が年間3万人を超えています。それに対して私たちは何ができるのかを考える時がクリスマスです。マタイ25章35-36節は記します「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた」。これはイエスや弟子たちが宣教のための放浪生活の中でまさに体験した出来事です。

・北九州市の東八幡教会はイエスの御言葉を実現するために活動しています。彼らは元来ホームレス支援を中心に活動してきましたが、ボランティア活動に従事するスタッフが千人を超え、今では「宿のない人に家を、保証人のない人には保証人を」を合言葉に様々な活動をしています。「居場所のない方に居場所を用意する」、今の篠崎教会の力で出来ることは限られていますが、少しずつ取り組んでいます。木元姉や高橋姉が行われている「高齢者の方のための見回り隊」の活動は大事な業です。また今、日本に移住してこられる中国の方が増えていますが、その中で、鬼澤兄が毎週土曜日に「中国語で聖書を読む会」を開催されていることも素晴らしい働きです。さらに毎月の対外協力献金の中から、末常さんが食糧をイオンから購入され、上原さんが車に積み込み、セカンドハーベスト(フードバンク)に配布用として持ち込んでいます。「居場所のない方に居場所を用意する」、そのために出来ることを行う、そこに教会の働きがあります。

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