江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年10月27日説教(エレミヤ23:1-6、主は我らの救い)

投稿日:2024年10月26日 更新日:

 

1.旧約の預言者エレミヤ

 

・エレミヤは国の滅亡の中で預言を続けた人です。エレミヤ23:6は歌います「彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は『主は我らの救い』と呼ばれる」。「主は我らの救い」と呼ばれるメシヤが来られるとエレミヤは預言します。エレミヤは23章の冒頭で主の言葉を叫びます「災いだ、私の牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」。牧者とはイスラエルを支配する王たちです。イスラエルの王たちは民のために働かず、民は散らされたと非難されています。この非難を理解するためには、イスラエルの歴史を知る必要があります。イスラエルはダビデ・ソロモンの時代に王国の繁栄期を迎えますが、ソロモン死後、王国は南北に分裂し、北王国イスラエルはアッシリヤの侵略を受けて滅ぼされます。南王国ユダは何とか危機を脱しますが、アッシリヤに代わるバビロニヤ帝国がパレスチナ地域の支配権を握ると、バビロニヤは南王国に対して朝貢を要求します。

・ヨシヤ王の子エホヤキムの時、ユダ王国はバビロニヤへの従属を拒否し、バビロニヤ軍がエルサレムに攻めて来ました。エホヤキム王は攻防戦の中に死に、子のエホヤキンが新しい王になります。しかし、バビロニヤの軍事力に抵抗できず、エルサレムは陥落、エホヤキン王は高官たちと共にバビロンに捕虜として連行されます。紀元前598年、第一回バビロン捕囚です。その時、1万人の人が捕囚になったと聖書は伝えます。ただエルサレムそのものは破壊を免れ、バビロニヤは新しいユダの王として、エホヤキンの叔父ゼデキヤを立てます。

・ゼデキヤ王は当初はバビロニヤに忠節を尽くしますが、やがてエジプトの支援を得て反乱を企て、エルサレムはバビロニヤ軍によって再度包囲されます。エレミヤ23章の預言はこの時に為されたものと言われています。相次ぐ戦乱の中で国民は疲弊しているのに、王たちは自分たちの宮殿を増築したり、戦費調達のために新たな税を課したりしています。その悪政が国をさらに衰退化させ、民を困窮させました。「神はこのような不法を放置されない」とエレミヤは預言します「あなたたちは、私の羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。私はあなたたちの悪い行いを罰する」(23:2)。王は民を養うために立てられているのに、「あなたがたは自分を養うばかりで、民のことを気にもかけないではないか。だから私はバビロニヤを用いてあなたがたを倒す」と主は言われるとエレミヤは伝えます。エレミヤは国の興亡の中に神の意思を見ているのです。

・預言は前586年に成就します。列王記は記述します「王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った・・・バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った」(列王記下25:6-9)。王は目の前で自分の子供たちを殺され、自身も目をくりぬかれて捕虜となり、エルサレムの神殿も王宮も火の海になりました。町は廃墟となり、目の前には数千、数万の死体が散乱しています。人々は呆然自失してその光景を見詰めています。ちょうど原爆直後に広島や長崎の人々が呆然と立ち尽くしたように、です。その中にエレミヤもいました。

・エレミヤは国の滅亡を神の裁きと受け止めています。しかし神はイスラエルを滅ぼすために裁きを為されたのではない、神はイスラエルが悔い改めて立ち戻るために裁かれた。エレミヤは預言します「この私が、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者を私は立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもないと主は言われる」(23:3-4)。「神はタビデの切り株から新しい牧者を立てられる、その方こそメシヤだ」と彼は言います「見よ、このような日が来る、と主は言われる。私はダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は『主は我らの救い』と呼ばれる」(エレミヤ23:5-6)。神は民を省みることをしなかったダビデ王家を倒されますが、その切り株のなかから新しい若枝を起こし、イスラエルは再び平安を与えられる。エレミヤはこの言葉に将来の救いを見たのです。

 

2.主は我らの救い

 

・エレミヤは捕囚になってバビロンにいる人々に手紙を書きました。今日の招詞です「バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。その時、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く」(29:10-12)。

・エレミヤ29章は、バビロンで捕囚になっている人々へ書かれた手紙です。イスラエルは紀元前597年にバビロニヤ帝国に国を占領され、主だった人々は捕囚として首都バビロンに連行されました。バビロン捕囚として有名な出来事で、王や貴族、祭司、軍人、技術者等1万人に上る指導的人々が捕囚になったとされます。その捕囚から4年たった紀元前594年頃にこの手紙は書かれました。当時、捕囚をめぐっていろいろの動きが出ていました。故国エレサレムにおいてはバビロニヤの支配から逃れるためにエジプトに頼って国を救おうという動きが活発化していました。捕囚地バビロンでは、早期に帰還できるのではないかという楽観論と、前途に希望はないという悲観論の双方が対立していました。その人々に対しエレミヤは手紙を書きました「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」(29:5-6)。捕囚は主があなた方の罪のために与えた鞭であり、それは2年や3年で終らず、70年続く。だから「その地で家を建て、園に果樹を植えて自立できるようにしなさい。また、帰還はあなた方の子や孫の時代になるから、妻をめとり、子を生み、その子たちにも子を生ませ、民を増やして故国への帰還に備えよ」とエレミヤは書きました。

・この手紙は驚くべき内容を伝えています。捕囚が70年続くということは、手紙の受信人たちは生きて故郷に帰る事はないということです。人々はそれを呪いと受けとったでしょう。捕囚地の人々は、ある者は速やかな祖国帰還を熱狂的に確信し、エルサレムに残った人々と反バビロニヤの画策をしていました。他の者は前途を諦め、気力もなくなり、絶望的になっていました。その人々にエレミヤは勧めます「自分たちの置かれた状況を冷静に見つめよ。あなたたちはすぐには帰れないから、その地で日常生活を営め。絶望や熱狂に陥って、与えられた仕事を着実に果たしえないようでは、正しく神を信じているとは言えないではないか。しかしまた捕囚は永遠に続くものではなく、試練の時が終れば祖国に帰ることを主は許される。故にその地で子を設け、子たちにあなた方の信仰を伝えよ」と。

 

3.苦難の中で主を呼び続ける

 

・エレミヤの手紙は当時の捕囚民には慰めにならなかったようです。何故なら人は自分の聞きたい言葉しか聞こうとしないからです。捕囚民は祖国に残った人たちと手を組んで、バビロニヤに反乱を起こし、その結果、7年後の前587年にはエレサレムは再度占領されて、今度は徹底的に廃墟とされ、国は完全に滅ぼされました。その時の民の嘆きを伝える記事がエレミヤ哀歌です。哀歌は歌います「私は主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者。闇の中に追い立てられ、光なく歩く。その私を、御手がさまざまに責め続ける」(哀歌3:1-3)。「私は言う、私の生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう」(哀歌3:18)。捕囚民がエレミヤの言葉を真剣に聞き始めたのは、国の崩壊後、もう再建の希望はないと思えてからでした。

・国を滅ぼされ、帰還の道を断たれた民は、バビロンで生きることを受け入れ、神が何故自分たちを滅ぼされたのかを求めて、父祖からの伝承を集め、編集していきました。その結果、神を離れ、奢り高ぶった罪が罰せられたことが捕囚であることを知り、悔改めました。創世記や出エジプト記、申命記等の旧約聖書の中核が編集されたのは、この捕囚期です。イスラエルの民は捕囚、国家の滅亡を通して、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする民族共同体から、神の言葉、聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行ったのです。逆に言えば、バビロン捕囚という悲痛な出来事がなければ旧約聖書は生まれず、旧約聖書がなければ新約聖書も生まれなかったかもしれません。旧約があるからこそ新約があるのです。福音書を読めば、イエスの教えの多くは旧約聖書の釈義から生まれていることがわかります。(例えば、マタイ5:38「あなた方も聞いている通り、目には目を、歯には歯をと』命じられている。しかし私は言う」として新しい教え(右のほほを撃つ者に左のほほを向けよ)が語られています)。

・エレミヤは手紙の中でバビロンのために祈ることを勧めています「私が、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(29:7)。当時の事情を考えた時、これもまた驚くべき言葉です。エレサレムを滅ぼし、自分たちを捕囚の運命に遭わせた、憎むべきバビロンのために祈れとエレミヤは命じるのです。バビロンがエルサレムを滅ぼしたと考える時、バビロンは憎しみの対象になります。しかし「神がバビロンを使って私たちを懲らしめられた」と考える時、バビロンもまた祈りの対象となります。誰が主語か、神かバビロンかによって、物事の意味が変わってくるのです。

・捕囚という悲しみを通して、イスラエルの信仰は民族宗教から、民族を超えた救いのためのものに変えられて行きます。そして聖書(旧約)が紀元前3世紀に当時の世界共通語であるギリシャ語に翻訳され(70人訳聖書)、民族を超えた正典になって行きます。各地に散らされたイスラエルの民はそれぞれの地にシナゴーク(礼拝所)を立て、ギリシャ語聖書を読み、そこに主を求める人々が集められていきます。パウロの宣教活動は各地のユダヤ教シナゴークを通して為されました。ユダヤ国家の滅亡と民族の離散を通して世界各地にユダヤ教のネットワークが形成され、それがキリスト教の伝道の土台石になりました。不思議な摂理です。神の救いは、裁きや苦難を通して為されます。人は砕かれないと、神の言葉を聞こうとしない。捕囚の民は苦難を自分たちの出来事として経験することによって、神の導きに応答することが出来ました。私たちも出来事の中に神の経綸、導きを認める時、苦難が祝福に変わっていきます。

・「あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く」。この約束を信じて、バビロンの捕囚民は70年の時を生き残り、約束の地に戻ってきました。それから2500年、ユダヤ人は民族の同一性を保っています。これは歴史上なかったことです。北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤ人は歴史の中に消えました。アッシリヤを滅ぼしたバビロンも滅亡し、その後を継いだペルシャも、ギリシャも、ローマも、今はどこにもいません。しかし、ユダヤ人は生き残りました。何故イスラエルのみが生き残ることが出来たのでしょうか。彼らには希望が、どのような時にも主は共におられ、闇を光に変えて下さるとの信仰があったからです。この信仰はバビロン捕囚という苦しみの中で与えられました。苦難が弱いイスラエルを強くしたのです。

・人生は過酷であり、時には悲惨です。会社が倒産すれば、従業員は路頭に迷います。親が離婚すれば、子どもたちは大きな傷を受けます。老親が寝込めば介護地獄が待っています。愛する人が死ねば大きな喪失があります。人生は苦難の連続のようです。しかし、苦難が弱いイスラエルを強くしたことを知った時、私たちはどのような苦難も災いも、神からの賜物として受け止めることが出来ます。捕囚という絶望的な出来事が、「平和の計画であって、災いの計画ではなかった」ことを知るからです。神の業は私たちに見えようが見えまいが、働いています。そして私たちは、神の業がイエスの降誕により成就したことを見ました。ですから、現実の生活がいかに過酷であっても、出口の見えない闇の中でも、私たちは希望を持ち続けることが出来ます。私たちは「善き力に囲まれて生きている」(新生讃美歌73番)のです。しかし人は言うでしょう「この讃美歌を歌ったボンヘッファーはやがて殺された。彼は救われなかったのか」。最期の時、彼は同囚のイギリス人に、英国国教会ベル主教への伝言を託しました「彼にこう伝えてください。私にとってはこれが最期です。しかしそれはまた始まりです」。私たちは答えます「救いは人の死を超えて為される」。復活を信じるとはそういうことです。

 

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