江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年6月2日説教(第二コリント1:1-11、たとえ苦難の中にあっても)

投稿日:2024年6月1日 更新日:

 

1.第二コリント書の複雑な構造

 

・今日からパウロがコリント教会に宛てて書いた第二コリント書を読んでいきます。パウロは先の手紙(第一コリント16章)で、「五旬節過ぎにはあなた方のところに行きたい」との計画を表明していました(16:8-9)。しかしパウロの訪問計画を狂わせる二つの出来事が起こりました。一つはコリント教会内でパウロに対する反感が募り、パウロの来訪を喜ばなくなったこと。もう一つはパウロがエフェソで逮捕され、投獄される出来事が起きたことです。それら予想外の出来事により、パウロはコリントに行けなくなり、代わりに何通かの手紙を書きます。その複数の手紙が編集されて出来たものが第二コリント書です。

・パウロはアジア州にガラテヤ教会を設立し、その後マケドニアのフィリピやテサロニケで伝道し、さらにアカイア州コリントに教会を生み出しました。紀元50年頃です。コリント伝道の後巡回伝道者であるパウロはアジア州のエフェソに行き、その地での開拓伝道を始めます。第一の手紙を書いたのはこのエフェソからです(紀元54年頃)。ところがパウロ不在の間にエルサレム教会の伝道者たちがコリントに来て、パウロの説いた福音とは「異なる福音」を説いたため、教会の人々の信仰は動揺していました。具体的には、エルサレムからの伝道者たちは、パウロの説く「人が救われるのは神の恵みによる」との福音を否定し、「キリスト者も割礼を受け、律法を守らなければ救われない」と語りました。またパウロは「エルサレム教会からの推薦状を持たないから使徒ではない」と非難しました。そのため、コリント教会内でパウロの使徒資格を問題にする人々が現れました。

・またパウロは、異邦人教会とエルサレム教会の和解のために、エルサレム教会への募金活動を推進していましたが、(第一コリント16:1-4)、このエルサレム教会への募金もパウロが私腹を肥やすために行っていると中傷する者さえ教会の中に出始めました。パウロは、教会の誤解を解くために、急遽「弁明の手紙」といわれるものをコリントに送ります(それが第二コリント2:14-7:4の箇所といわれます)が、事態は好転せず、パウロはコリントを直接訪問します。ところがコリントの一部の人たちは、訪問したパウロを侮辱して追い返すという信じられない行動を起こします。それに対してパウロが書いたのが「涙の手紙」(10~13章)で、この手紙を見て、コリントの人々は自分たちの無礼を悔い、パウロに謝罪します。それを受けて書かれたのが今日読みます「和解の手紙」です(1:1-2:13)。

・第二コリント書はパウロの書いた複数の手紙が編集されて一つの手紙になっており、必ずしも年代順に記されているわけではありません。そのため、青野太潮訳岩波聖書では、最初に2~7章が記され、次に10~13章が、三番目に1~2章が記されるという変則配列になっています。しかし私たちは年代順ではなく、現在の聖書配列に従ってこの書簡を読んでいきます。今日読みます第二コリント1章は、パウロの「和解の手紙」であることを念頭において読んでいただきたいと思います。

 

2.和解の手紙

 

・コリント教会はパウロが設立し、心血を注いで牧会した教会でしたが、パウロに背き、福音から離れようとしていました。パウロは話し合いのため、コリントを訪問しますが、そこで激しい中傷を受け、悲嘆の中にエフェソに帰り、その後、弟子テトスに「涙の手紙」と呼ばれる手紙を持たせてコリントへ送り、コリント教会の反省を求めます。それに対して、教会の人々は深く悔い改め、パウロはこの「和解の手紙」を書いています。冒頭にパウロは挨拶を語ります。「パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(1:1-2)。コリント教会は設立者であるパウロを裏切り、彼に誹謗中傷を浴びせた教会です。しかし、パウロはその教会を「神の教会」と呼び、信徒たちを「聖なる者たち」と呼びます。自分を裏切った人たちも、自分を罵った人たちも、悔い改めれば赦す。続いてパウロは、不和を和解へと導いて下さった神への感謝を述べます「私たちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」(1:3)。

・4節から「苦難」という言葉と、「慰め」という言葉が繰り返し用いられます。パウロは語ります「神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」(1:4)。パウロにとって心血を注いで設立し、育んできたコリント教会から背かれたことは何よりの苦しみでした。それは信頼する友から裏切られた苦しみ、最愛の人から背かれた悲しみのようでした。しかし神はコリントの人々の誤解を解いて下さいました。この神からの慰めがあるゆえに、パウロは今「和解の手紙」を書くことができます。パウロはそのことを感謝しているのです。4-7節の短い文章の中に「慰め」という言葉が8回も使われています。慰め=ギリシャ語のパラクレーシス、「傍らに呼ぶ」、「共にいる」という意味です。ヨハネ福音書では聖霊を「パラクレートス」と呼びます。「共にいて下さる方」、「慰め主」の意味です。神が共にいてくださるから私たちは慰めをいただく事ができ、この慰めを神は人を通して与えられます。ドイツのことわざが語るように「共に悲しめば悲しみは半分になり、共に喜べば喜びは二倍になる」のです。

・そしてこの恵みはキリストの苦しみから来るとパウロは語ります「キリストの苦しみが満ちあふれて私たちにも及んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」(1:5)。キリストは十字架上で死を苦しまれたが、神はこのキリストを死から起こして下さった。同じように私たちも苦しみの極みから神が引き起こして下さった。パウロは続けます「私たちが悩み苦しむ時、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、私たちが慰められる時、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたが私たちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです」(1:6)。苦難はその意味がわからない時、私たちを苦しめ、悩ませ、ついには死に追いやるほどの強さを持ちます。しかし、その苦難の中に神がいて下さることを知る時、私たちはその苦難の中に留まり、苦難を負い続けることができます。そして誹謗中傷するあなた方のために祈り続ける事により、あなた方を慰めるとパウロは語ります(1:7「あなたがたについて私たちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、私たちは知っているからです」)。

・私たちも理由もなく誹謗中傷を受けることがあります。それらの誹謗中傷に対するキリスト者の武器は祈りです。祈りを通して「苦難の中にも神がいて下さる」を知り、非難されても、私たちは固く立つことができます。それをボンヘッファは「神の前で、神と共に、神なしで生きる」と語りました。この社会はまるで神がいないかのような苦難や不条理の中あります。しかしその中にも神は共にいて下さる。それを知った時、どのような苦難も私たちを倒すことができなくなります。

 

3.たとえ苦難の中にあっても

 

・8節からパウロは、アジア州で死を覚悟せざるを得ないような出来事にあったと告白します。「兄弟たち、アジア州で私たちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。私たちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。私たちとしては死の宣告を受けた思いでした」(1:8-9a)。具体的な出来事は語られていませんが、使徒19章には、パウロがエフェソで起こった暴動に巻き込まれ、逮捕され、投獄されたとする記事があります(使徒19:23-40)。死刑さえも覚悟せざるを得ないような状況があったのでしょう。しかし神はそのような危機からパウロを救いだして下さった。だから彼は語ります「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」(1:9b-10)。

・今日の招詞として、第二コリント7:10を選びました。「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。コリント教会はパウロによって設立されましたが、いつの間にか、人々の気持ちがパウロから離れて行きました。パウロはコリントを再訪し、話し合いの場を持ちましたが、逆に非難・中傷を浴び、傷ついてエペソに戻ってきました。そのエペソから、パウロは「涙の手紙」と呼ばれる問責の手紙を書きました。その手紙は現存していませんが、パウロに対して侮辱を加えた人物を教会から除名するように求める激しさを持っていたようです。パウロは教会員を責めるような手紙を出したことを後悔し、苦しみますが、やがて手紙を見たコリントの人々が、パウロに謝罪し、悔い改めた事を知り、一転して、喜びに満たされます。

・その経験から生まれた言葉が、招詞の言葉です。厳しい叱責の手紙を書いて、あなたがたを悲しませたが、それは必要な悲しみだった。その悲しみはあなたがたに悔い改めをもたらし、悔い改めが和解の申し出となった。悲しみには、人に悔い改めを迫る「御心に適った悲しみ」と、死に至る「世の悲しみ」がある。今あなた方が経験した悲しみは「御心に適った悲しみだった」のだとパウロは言います。私たちの人生の中で、失望や悲しみは、次から次へと襲ってきます。その失望や悲しみを私たちがどのように受け止めるか。それを神が与えて下さった悲しみと受け止める時、新しい道が開かれ、それを不幸なことだと嘆く時、悲しみは私たちを押しつぶしてしまいます。私たちが悲しみをどのように受け止めるかによって、悲しみの内容が変わってくるのです。

・パウロはコリント教会のために良かれと思い、手紙を書き、訪問し、指導しました。しかしコリント教会の人々はパウロに背き、パウロは裏切られた痛みに耐えています。しかも今度はエフェソでの暴動に巻き込まれ、死も覚悟さえもせざるを得ない状況に追い込まれました。苦難が繰り返し襲いかかったのです。しかしパウロがその苦難を「キリストのために苦しむ」と受け入れた時、苦難が「恵みに変わる体験」をしています。

・ある人は語ります「水の冷たさは熱い所で初めてわかる。水の有り難さは水のない所で味わい知れる」。苦難を通して私たちは神が共にいてくださることを知り、そこから生きる慰めをいただきます。榎本保郎師は語ります「神は模範的な教会を用いられたのではなく、このコリント教会のような、いわば劣等生のような教会を用いられた。私たち劣った一人一人に対しても同様である。私たちが自分の弱さ、つまらなさに泣く時、私たちが生きているのではなく、神に生かされ用いられていることを知る」(榎本保郎、新約聖書1日1章、P332)。

・教会には誤解や争いが絶えません。これが「神の教会か」と思うこともしばしばあります。パウロもまた、このあまりにも人間的な現実の中で、悩み、悲しみ、怒ります。しかし彼は教会に対する責任を放棄しません。神の恵みである信仰は、教会なしには生まれず、育まれることはないことを知る故です。しかし、その人間的対立の中から人の心に迫る手紙が生まれてきました。第二コリント書は国宝のような宝物です。そしてこの宝物は苦難の中から生まれてきたのです。パウロは語ります「(私たちは)苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません」(ローマ5:3-5a)。神の御心にかなった悲しみを通して、私たちは神の祝福を受けるのです。

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