江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年4月7日説教(第一コリント1:10-18、十字架の言葉に生きる)

投稿日:2024年4月6日 更新日:

 

1.コリント教会の分裂騒動

 

・新年度に入り、4月から6月にかけては、コリント教会への手紙を読んでいきます。コリント教会は多くの問題を抱えていました。それらの問題に対処するため、パウロは何度もコリント教会に宛てた手紙を書いています。新約聖書には二通の手紙(第一、第二)だけが収録されていますが、実際は四通ないし五通の手紙が書かれたと考えられています。今日読みますコリント第一の手紙は紀元55年頃、滞在先のエフェソで書かれました。

・パウロは先にアテネで伝道し、哲学や論理学を駆使した堂々たる説教をしましたが、アテネの人々は受け入れず、失意の内にコリントに来ました。パウロは語ります「そちらに行った時、私は衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(2:3)。パウロは自信を失くしていました。力を込めて語った説教が人々に伝わらなかったからです。福音は人の知恵では伝わらないことをパウロは知らされました。しかしコリントでは、先に来ていた「プリスカとアキラ」の協力のもと、パウロは再び福音を語り始めます(使徒18:1-8)。

・パウロはコリントでは「十字架につけられたイエス・キリスト」だけを語り、その結果回心者が次々に起されていきました。パウロは語ります「私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、"霊"と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」(2:4-5)。人の知恵では伝わらなかった説教が、神の知恵(十字架にかけられたキリストを伝える)を語り始めた時、人々に届きました。1年半のコリント滞在で、多くの回心者が与えられて、そこに教会が形成され、やがてパウロは教会を弟子アポロに委ねて去り、今度はエフェソの開拓伝道に力を注ぎます。そのエフェソにいるパウロの所に、「コリント教会が分派争いで混乱している」との報告が届けられました。

・パウロが去った後のコリントでは、教会内に対立が起きていました。手紙は語ります「私の兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです」(1:11-12)。パウロに導かれてバプテスマを受けた人々は、パウロの教えを大事にしました。他方、パウロの後継者アポロは博識で雄弁でしたので、その説教に感動した人々は、アポロ派を形成していきました。人々は指導者の外見や説教で、「私はアポロに、私はパウロに」と争っていたのです。アポロはその後コリントを去り、手紙が書かれた当時、コリント教会は無牧師で、母教会のエレサレム教会からの巡回伝道者が訪れて、バプテスマを授けていたようです。巡回伝道者からバプテスマを受けた信徒たちは、「エルサレム教会の指導者ペテロこそ本物の使徒だ」としてペテロ派になったのでしょう。こうしてコリント教会は分裂状態に陥ってしまいました。

 

2.パウロはどう行為したか

 

・人々は感情的な好き嫌いで党派を形成します。しかしパウロは、感情ではなく、彼らの信仰に訴えます。彼は最初に教会の人々に問います「キリストはいくつにも分割されたのですか」(1:13a)。教会はキリストが頭であり、教師はキリストに仕える手足に過ぎないのに、何故、手足である教師が頭であるキリストより重視されるのかと彼は問います。次にパウロは問います「私があなたがたのために十字架につけられたのですか」(1:13b)。最後にパウロは言います「あなたがたは誰の名によってバプテスマを受けたのですか」(1:13c)。あなたがたはキリストの名によってバプテスマを受け、キリストに属する者とされた。それなのに誰がバプテスマを授けたかに、どうしてこだわるのか。パウロからバプテスマを受けた者はパウロ派になり、アポロからバプテスマを受けた人はアポロ派になる、それが正しいのかと問います。バプテスマとは水に入ってキリストと共に一度死に、水から引き上げられてキリストと共に新しく生きることです。その「キリストに結ばれる行為」が何故、「人に結ばれる行為となるのか」とパウロは問いかけます。

・パウロは、「あなたがたがキリストの十字架の意味を真剣に受け止めないから、このような争いが起きる」と語ります。十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」(1:18)。私たち人間の本質は「自己中心=エゴ」です。このエゴが教会を壊す。「私はパウロに」、「私はアポロに」、と主張する時、そこには、“私”しかなく、キリストがありません。主語が“私”の信仰は未熟な信仰であり、未熟だから他者と争うのだとパウロは言います(3:4)。主語が“私”から“キリスト”になった時、成熟した信仰になります。成熟した信仰者が集まる時、争いは起きない。意見の違いはあっても、その違いが争いにならない。それは、私ではなく、「キリスト」が何を望んでおられるかが、行動基準になるからです。

 

3.十字架の言葉に従う

 

・今日の招詞に第一コリント1:22-24を選びました。次のような言葉です。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。キリストは十字架で殺されました。処刑された人間が、「神の子」、「メシア」であると主張することは、世の人びとから見れば、愚かであり、信じがたい事柄です。しかしパウロは語ります「神はイエスをあえてこの十字架につけられ、そのことを通して人間に悔い改めを迫られた」と。人間は有史以来戦争を続けてきました。人間は戦争を止めることが出来ない。殺し合う、相手を排斥することこそが人間の本質であり、それを文字通りに実行したのがキリストの十字架なのではないかとパウロは語るのです。

・「殺さなければ殺される」、競争社会に生きるとはそのような生き方です。その人間が十字架に直面して、おのれの罪を知らされ、救いは人から来ないことを知り、神の名を呼び求めるようになります。だからこそ十字架が、「神の知恵」、「神の力」になりうるのです。十字架は救いのしるしではなく、絶望のしるしです。イエスは十字架上で「わが神、何故私を棄てられたのか」と叫んで死んで行かれました。しかし神はそのイエスを十字架死から起された。「神は悪を善に変えられた、絶望が希望に変えられた」、それを知った時、「私はパウロに」、「私はアポロに」、という言葉が出るはずがない。

・教会は世にありますが、世と一線を画す神の国共同体です。世にある故に、世の霊と行いが教会の中に入り込んできます。「自己実現」という世の知恵の本質が、あたかも人間の理想のように思えてきます。ウィリアム・クラークは語りました「Boys be ambitious in Christ」、クラークが語ったのは、自分のためではなく、“キリストのために大志を抱け”ということでした。しかし世の人はこの「in Christ、キリストのために」を省いて伝えました。「in Christ」を削除した時、教会はこの世の団体と何も変わらない場になります。教会は会員が「自己実現する」、「自分の正しさ」を主張する場ではなく、「神の正しさ」を賛美する場です。神の正しさという視点から見ればパウロもアポロもただの人にすぎません。

・パウロは語ります「神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです」(1:28)。コリントは当時の世界有数の大都市で、「歓楽の市」と呼ばれていました。人口の70万人の内50万人は奴隷であり、格差社会でした。その中で、多くの奴隷たちが教会に導かれ、信徒になって行きました。世は奴隷の人格を認めませんでしたが、教会は奴隷の人格を認め、彼らを人間として扱ったからです。パウロはガラテヤ教会への手紙の中で語ります「(教会では)もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。

・当時の奴隷は「生きた道具」であり、主人は役に立たなくなった奴隷を棄てることも殺すことも自由でした。その中で多くの奴隷たちが自分たちの人格を尊重してくれた教会に惹かれて行ったのは当然です。コリントと同じ出来事がインドでも起きています。インドでは人口の3%、3000万人がクリスチャンですが、多くは指定カースト(不可触民)の人々だと言われています。インドに最初に宣教を行ったのはフランシスコ・ザビエルで、彼は貧しい人々に福音を伝えました(沖浦和光「宣教師ザビエルと被差別民」から)。ザビエルはインドに奴隷の多いコリント教会を見出したのです。

・アメリカでも同様です。マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されてから50年以上が経ちました。アメリカでは黒人も法的には平等が保障され、黒人初の大統領も誕生しましたが、人々の心に潜む差別の意識や白人との格差はいぜん根強いままです。キング牧師の追悼式典に集まった参加者の一人は語りました「メンフィスでは、全米各地から集まった約1万人が『I AM A MAN』(私は人間だ)と書かれたプラカードを掲げて行進しました。私も作業員として当時のストに参加しました。それは『人間としての尊厳を取り戻す闘いだった。キング牧師のおかげで今の私がいる』(2018年4月6日朝日新聞より)。教会は人間としての尊厳を取り戻す場です。

・コリントで起きたこと、インドで起きたこと、アメリカで起きたことは、教会が人間の尊厳を取り戻す戻すために働くとき、そこに福音が伝わるという事実です。そのキーワードは「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉です。本年度の教会の主題聖句です。隣人を愛するとは何か、ルカ福音書に「良きサマリア人の喩え」があります。「ある人が強盗に襲われて倒れている。そこに祭司が通った、彼は関わりあいになることを恐れて避けて行った。次にレビ人が通った、彼も避けて通った。次にサマリア人が通る。彼は倒れている人を見て気の毒に思い、介抱して宿屋まで連れて行った。誰があなたの隣人になったのか」。祭司とレビ人は「律法を守る」人々の模範とされていました。他方、サマリア人はユダヤ人の仇敵で、「律法を守らない」異邦人とされていました。律法を守らないとされた人が「隣人を愛する」という行為を為し、律法を守ると考えられた祭司やレビ人が「隣人を愛する」という最も大事な戒めをおろそかにしたとイエスは語られたのです。律法は知るだけでは不十分であり、行為しなければ意味がないのです。「隣人とは誰か」を問うのではなく、「隣人になるのだ」と言われているのです。

・私たちはイエスの言葉の中に人生を生きる力を求めて聖書を読みます。「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4:4)、「悲しむ人々は幸いだ、その人たちは慰められる」(マタイ5:4)。偉大な言葉です。しかしそれ以上に偉大な言葉があるパウロは教えます「私はあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」(2:2)。神学者モルトマンも語ります「私たちのために、私たちの故に、孤独となり、絶望し、見捨てられたキリストこそ、私たちの真の希望となりうる」。復活されたイエスの最初の言葉は「ガリラヤに行きなさい」でした。ガリラヤ、ガーリール(周辺)に行け、現場で生きよ、自分のためだけではなく、隣人と共に生きよとのメッセージに従う時、私たちは「生けるキリスト」、「十字架を担ったままのキリスト」と出会うのです。

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