江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年12月31日説教(イザヤ61:1-11、悲しみが喜びに)

投稿日:2023年12月30日 更新日:

 

1.失望し落胆する民への預言者の言葉

 

・本日が2023年最終礼拝です。イザヤ書の最終回です。イザヤ書は40章から、バビロン捕囚からの解放の預言を記します。捕囚とは国が亡び、異国に強制連行されるという体験でしたが、50年もたつと、人々はそれなりに与えられた状況に適応し、捕囚地バビロンで生活基盤を築いていました。その人々に第二イザヤと呼ばれる預言者が「解放の時が来たから、共に故国に帰ろう」と呼びかけました(40:1-2)。預言者は、「主が解放して下さったのだ。共にエルサレムに帰ろう、主は荒野をエデンの園に、荒れ地を主の園にされる」と励ましました(51:3)。励まされた人々は帰国の途につきます。紀元前538年のことです。

・しかし、帰国した民を待っていたのは、厳しい現実でした。イザヤ61章はこのような背景の中で語られています。帰国した人々が最初に行ったのは、廃墟となった神殿の再建でした。帰国の翌年には、神殿の基礎石が築かれましたが、工事はやがて中断します。先住の人々は帰国した民を喜ばず、神殿再建を妨害しました。また、激しい旱魃がその地を襲い、飢餓や物価の高騰が帰国の民を襲いました。神殿の再建どころではない状況に追い込まれました。50年ぶりの帰国で情勢は大きく変化しています。人々はつぶやき始めます「私たちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」(59:9)。「約束が違う、どこにエデンの園があるのか。エルサレムに帰らなければ良かった、バビロンの方が良かった」と民は言い始めているのです。

・この状況は、日本が戦争に敗れ、満州や朝鮮で暮らしていた人々が強制送還された時と共通するものがあります。着の身着のままで現地を追われ、日本に帰りさえすれば何とかなるとして、帰国した人々を待っていたのは、食糧難と迷惑そうな親族や近隣の顔でした。私の両親も満州からの帰国民でした。ロシアに強制収容された人たちはなかなか帰国できず、もっと大変だったと思います。辺見じゅんさんの書いた「ラーゲリから来た遺書」、シベリア捕囚の物語は涙なしには読めません。帰国の困難の中でも人々は生活を立て直し、川口家では4年後に私が三男として生まれました。上の二人の兄はいずれも満州で生まれています。帰国した捕囚民と同じ苦しみを戦後の日本人も味わったのです。だからこそイザヤの言葉は私たちに迫ります。

 

2.悲しみが喜びに

 

・気落ちする帰国の民に、預言者は語り続けます。「主は私に油を注ぎ、主なる神の霊が私をとらえた。私を遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」(61:1)。主は、困難の中にあるあなたがたを慰めるために私を立てられた、良い知らせを伝えるために私に言葉を与えられた。預言者は続けます「シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために」(61:3前半)。「良い知らせは、灰を冠に変える。主は悲しんでいるあなた方に、喜びの冠を与えると言っておられる。主はあなた方を通して、この廃墟をエデンの園に変えられる」。あなた方こそ「とこしえの廃墟を建て直し、古い荒廃の跡を興す者」なのだ(61:4)と預言者は人々に語ります。

・預言者は語ります「あなたたちは主の祭司と呼ばれ、私たちの神に仕える者とされ、国々の富を享受し、彼らの栄光を自分のものとする」(61:6)。あなた方はバビロンで50年にわたる苦難を受けた。それはあなた方を主の民、主の祭司とするための訓練の時であった、主はあなた方を通して諸国の人々を解放される。あなた方は自分の救いのみを求める者ではなく、主の祝福を隣人に、異邦人に伝える者となる。あなた方が自分のためだけに幸いを求めるから、主は苦難を与えられる。「隣人のために幸いを求めてみよ。主はあなた方を豊かに祝福されるだろう」と預言者は語ります。

・中断された神殿再建が再び始まったのは20年後でした。しかし、イスラエルの独立は宗主国ペルシア帝国によって弾圧され、イスラエルはその後も完全な独立を果たすことが出来ませんでした。その中で、彼らは、捕囚時代に編纂された旧約聖書を守りながら生き抜くことを通して民族の同一性を保持し、旧約聖書はやがて当時の共通語ギリシャ語に翻訳され、多くの異国人がこの翻訳聖書を通して主に出会うようになります。イザヤは預言しました「彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者はこれが主の祝福された民であることを認める」(61:9)。ユダヤ人は、国が敗れることを通して、主の民として異邦人に仕える者になり、やがてはこのユダヤ人の中からイエスと呼ばれるキリストが生まれてこられます。

・民族の救いとは何なのでしょうか。ティリッヒは「永遠の今」という著作のなかで述べます。「古代社会では偉大な政治的指導者は救い主と呼ばれました。彼らは国民を、そして国内の集団を、悲惨さや隷属状態、そして戦争から解放しました・・・しかし、その時、国民は癒やされたのでしょうか。救われたのでしょうか。預言者たちは答えています『たとえ少数派でも、その国家の本質と呼ばれるものを象徴するような一つの集団を形成するような人々がいるならば、その国は救われる』と。彼らは打ち負かされるかもしれないが、彼らの精神は国民に有害な悪霊に対して抵抗する一つの力となるであろう」。今ロシアに侵略されたウクライナの人びとは、多くの犠牲を払いながら、祖国再建のために戦っています。そこにはロシアの属国としてではなく、自分たちの国を守りぬこうという希望があるからです。しかし困難な道です。

 

3.イエスはイザヤの生き方を生きられた

 

・今日の招詞にマタイ8:16b-17を選びました。次のような言葉です「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を癒された。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」。イエスの活動の中心は病の癒しでした。癒しの評判は高まり、大勢の人々がイエスのもとに癒しを求めて来ました。マタイはその活動を表現する時、イザヤ53章4節「彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った」を引用しました。マタイは何故イエスの癒しの業の中に、イザヤ書を引用したのでしょうか。

・イザヤ53章は「主の僕の受難」を描きます。歴史家は、この「主の僕」はバビロン捕囚からの祖国帰還を導いたセシバザルではないかと推測します。前539年ペルシア王クロスは捕囚の民に故国帰還を許し、第一陣としてセシバザルに率いられた民がエルサレムに戻り、神殿再建に取り組みます。セシバザルはダビデ家の家系(エホヤキン王の4男)であったため、帰国民は彼にダビデ王国の再興を期待しました。しかし宗主国ペルシアはセシバザルに政治的反乱の可能性を見て、彼をとらえ、処刑したと言われています。廃墟となった神殿は何度も中断した後、最終的に完成したのは20年後の518年でした。完成した神殿を見て、人々は「主の僕」の犠牲によりこの神殿は立てられたと感謝し、それを歌ったのがイザヤ53章の預言と言われます。

・マタイは何故イエスの癒しの業を、イザヤ53章を引用して描いたのでしょうか。イエスは多くの病を癒されましたが、その癒しは触れてはいけないとされたハンセン病者に触れ(汚れたとされる人に触れることはその汚れを自分の身に引き受けることになります)、仕事をしてはいけない安息日にあえて癒しを行い(それは安息日違反と非難されます)、卑しめられていた娼婦や徴税人と交わられました(何故罪人と交わるのかと批判されます)。それらのイエスの行為が祭司や律法学者たちの怒りを招き、イエスは十字架につけられます。「イエスの癒しは相手の苦しみを自分の身に引き受けることによって為された」と、マタイは癒しの背後にイエスの贖罪の働きを読み込み、イザヤ書「主の僕の預言」を挿入ました。

・イザヤ53章の中に、初代教会はイエスの十字架の意味を読み込みました。「彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された」(イザヤ53:5)。「主の僕の受難により今の私たちは平和に生きることが許されている」と捕囚の民は感謝し、マタイはそれを受けて「イエスの十字架死により私たちの罪は贖われた。イエスの贖いの業は生前のイエスの癒しの中に如実に示されていた」と語ります。マタイは人々を癒すイエスの姿に、「苦難の僕」を見出したのです。

・イエスは言われました「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。この言葉はどのようにして実現するのでしょうか。私たちを通してです。私たちは闇の中にいましたが、イエスと出会って光を見出しました。光を見出した者が次に行うことは、その光、良い知らせを隣人に伝えていくことです。伝えるとは、言葉と同時に行為で伝えることです。隣人の重荷を私たちが一緒に担う事です。ヤコブは私たちを励まします「兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブ2:15-17)。

・信仰には行いが必然的に伴います。ただ、その行いは、私たちが誰の視点に立つかで変わってきます。ルカ10章の「善きサマリヤ人の譬え」では、強盗に襲われ、半死半生になった旅人を見て、通りかかった祭司は考えました「強盗はまだ近くにいるかもしれない。そうであれば、私も襲われるかもしれない」、彼は足早にその場を去りました。彼は相手ではなく、自分を見た。次に通りかかったサマリヤ人は考えます「もし私が彼を見捨てたら、彼はどうなるのか」、サマリヤ人は立ち止まり、旅人を介抱し、宿屋まで連れて行きました。彼は自分ではなく相手を見たのです。イエスは言われます「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)。キリスト教の歴史を見ると、人々を信仰に導くものは言葉ではなく、信仰者の生き方です。イエスは信徒ではなく、弟子を求めておられます。「信徒は自分の救いを願い、弟子は隣人の救いを願う」。そして隣人とは、私たちが出会った、困窮し、苦しんでいる、私たちの助けを必要としている人です。

・イザヤの時代は今から2700年前、イエスの時代は2000年前です。時代が変わっても、本質的な問題は何も変わっていません。人々は現在の生活に満たされず、明日の生活に不安を持っています。その中で唯一変化した事はイエスの言葉に耳を傾け、従う人々が生まれたことです。イエスはそのような私たちに語りかけ、派遣されます。マルコはその様を次のように表現します「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒した」(マルコ6:12-13)。私たちは神の業を行うように、今日、ここに集められ、神の言葉を聴いています。もう自分のことばかりにかかわり煩うことをやめ、隣人のために働く者となりたいとの希望を持って、私たちは今ここに集められています。

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