1.主の僕の死
・イザヤ書を読んでおります。イザヤ書40章以下はバビロンの地に捕囚されていたイスラエル民族の解放を歌う個所です。53章もその解放の歌の一部です。イスラエルは紀元前587年にバビロニア帝国に国土を占領され、都エルサレムは滅ぼされ、ダビデ王家は壊滅し、王を始め主だった人々は捕囚としてバビロンに捕えられました。国が滅んだ、古代においては珍しい出来事ではありませんでした。強い国は弱い国を滅ぼし、国を滅ぼされた民族は消滅していきます。しかし、イスラエルは国家としては滅びましたが、民族としては生き残り、捕囚より50年を経て、イスラエルの民が再びエルサレムに帰還するという出来事が歴史の中に起こりました。国を滅ぼされ、根無し草になった民族が50年の後に民族の同一性を保って帰国するということは、これまでの歴史になかったことでした。それを見た異邦の民は驚き、そこに神の働きを見ました。それがイザヤ53章の記事です。
・異邦の民は、「国を滅ぼされた民が50年の時を生き残り、帰ってきた」ことに驚いて語ります。「だれがわれわれの聞いたことを、信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか」(53:1)。こんなことがありうるのだろうか、この出来事には主の腕(神の意思)が働いているとしか思えない。「イスラエルは、世界史において何の重要性も持たない弱小民族ではないか。ダビデ・ソロモン時代に一時的に栄えたにせよ、大半はエジプトかメソポタミアの大国の支配下にあった。そして彼等はバビロニアにより、国を滅ぼされ、都エルサレムは廃墟となり、彼等の信奉する神を祭るエルサレム神殿も焼かれたではないか。主だった人々は捕囚としてバビロンに連れて行かれたではないか。イスラエルは国を滅ぼされた。やがて民族としても滅びるだろう、私たちはそう思っていた」。それが2節の言葉です「彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(53:2)。
・イスラエルが滅んだ時、異邦の民は思いました「彼等の神が弱いから、強い神に打ち負かされた。彼らは滅んだ、それで終わりだ。弱いものは強いものに滅ぼされて亡くなる。それだけのことだ」と。その思いが3節にあります「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」(53:3)。そのイスラエルが今エルサレムに帰ってきた。そして彼らは廃墟となっていた神殿の再建に取り掛かった。国を無くし、神に見捨てられたはずの民が復活した。異邦の民はそこに神の働きを見ました「イスラエルは神の召命を受けた特別な民族かもしれない」と。4節です「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと」(53:4)。
・イスラエルの帰還を通して神は何をされようとしておられるのか。もしかしたら、彼らは特別の使信を持って帰還したのかも知れない。彼等の受けた苦しみを通して神は何かを行おうとされているのかもしれない。その思いが5節にあります「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれは癒された」(53:5)。
2.イスラエルの使命
・イスラエルは国家としては紀元前587年に滅んでいます。しかし、捕囚の苦しみの中で彼らは自分たちの存在の意味を探り、自分たちが神により選ばれ、特別な使命を与えられた民族であるとの自覚を持つようになります。その自覚の元に編集されたのが創世記であり、出エジプト記でした。旧約聖書の中心である律法の書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は捕囚時代にバビロンでまとめられたと言われています。この聖書があった故に、国家を無くし、国民共同体としては滅んだイスラエルが、今は信仰共同体として故郷に戻ってきたのです。
・地上で迫害され、抹殺されたはずのものが帰還したのを見た迫害者たちは息を呑んで、帰国の民を迎えました。イスラエルはやがて神殿を再建し、バビロンの地で書き始められた聖書はその後も書き続けられ、紀元前3世紀頃にはイザヤ、エレミヤ等の預言書もまとめられ、旧約聖書は次第に聖なる書(正典)として扱われるようになります。その書は当時の共通語ギリシア語に翻訳され(セプターギンタ=ギリシア語訳旧約聖書)、異邦人にも読まれ始めます。この聖書こそがイスラエル、後のユダヤ人に民族の同一性を保たせました。彼らは二度と国家を形成することはありませんでしたが、民族としては世界中に広がっていき、世界各地に彼等の礼拝所である会堂(シナゴーク)が立てられ、聖書が読まれました。ローマ帝国時代には帝国人口の五分の一はユダヤ人であり、各地にシナゴークが立てられました。
・そのユダヤ人の中からイエス・キリストが生まれ、イエスはユダヤ教の会堂で教え、後継者であるペテロやパウロは、世界各地にあったユダヤ教会堂を拠点に「イエスこそ救い主であった」と福音を伝道していきます。イエスが十字架で死なれたのは紀元30年ごろですが、それから10年後の紀元40年ごろには帝国の首都ローマにキリスト教会が立てられています。歴史を振り返る時、イスラエルの民はキリストを準備するために国を滅ぼされ、民族が世界中に散らされ、そのユダヤ教会堂を中心に使徒たちが宣教を行い、福音は世界中に広がっていったといえます。イザヤ書49章6節で預言された出来事が、本当の出来事になりました「私はあなたを国々の光とし、私の救いを地の果てまで、もたらす者とする」(49:6b)。
3.私たちの出来事としてイザヤ書を読む。
・今日の招詞にヨブ記19:25-26を選びました。次のような言葉です「私は知っている、私を贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって私は神を仰ぎ見るであろう」。旧約聖書では「人は死ねば黄泉に行き、忘れられる。死ですべてが終わる」と考えますが、ヨブの言葉は、その伝統を越えて死後の命に希望を持つ言葉です。「自分が無念のままに、汚辱の中で死のうとも、神はそれを知り、いつの日か憐れんでくださる」という希望をヨブは歌いました。人は死ねば「塵に帰る」虚しい存在ですが、その虚しい存在が今神により生かされており、今生かされているという事実が、死後も生かされるであろうとの希望を持つことを許します。ここに永遠の命を求める新約聖書に繋がる信仰があります。
・旧約聖書のヨブ記では、財産に恵まれ、家族に恵まれ、自分を正しい人間だと思っていたヨブに災いが起こり、財産を奪われ、息子たちを殺され、自身も重い病気に犯されました。彼は神を呪い始めます「何故あなたはこんなに私を苦しめるのか」と。長い苦悩の後でヨブは、「神は神であり、自分は人間に過ぎない」ことを知り、悔改めます。その悔改めの言葉が今日の招詞です。苦難を通して人は神を求め、神の応答を通して歴史が形成されます。イスラエルはバビロニアに国を滅ばされることを通して、自分たちが何故砕かれたのかを求め、その求めの中で旧約聖書が編集され、聖書の民に変えられていきました。イスラエルの民は2500年の歴史を生き抜き、同じ民族として現在も生きており、70年前の1948年には地上の国家として復活しました。彼等を生かし続けたものは苦しみの中で与えられた聖書です。
・「私は知る、私を贖う者は生きておられる」。人がこの真理を見出した時、外面にどのような苦難があろうとも神との平和が与えられ、平安に導かれます。ヨブはキリストを知りませんが、仲裁者を求め続けました。捕囚から帰国したイスラエルの民もキリストを知りませんでしたが、彼らを贖う神を知り、その神の業をイザヤ53章で表現しました。そして、このイザヤ53章こそが、イエスの弟子たちがキリストの教会を立ち上げていった原動力になった聖句です。弟子たちは、「この人こそ救い主だ」と信じたイエスが十字架で無力に死んで行かれる姿を見て、失望し、散らされていきました。その彼らが、復活のイエスに出会い、「やはりこの方はメシアであった」と再度信じ、宣教の業を始めます。しかし彼らはメシアであるイエスが何故十字架で死ななければいけないのか、わかりませんでした。
・それにヒントを与えたのがイザヤ53章でした。聖書学者の大貫隆氏は述べます「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書であった。聖書の光を照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直されるのである」。彼は続けます「彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受け取り直した」(大貫隆「イエスという経験」から)。
・イザヤ53章7-8節は語ります「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか、私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」。初代教会の人々はイザヤ53章の中に、イエスが沈黙の中に「苦しみを引き受けて行かれた」姿を見たのです。そして彼等もまたイエスに従い、イエスのために「苦しみを引き受ける者」となり、その殉教者の血が教会を形成していきました。捕囚の民の嘆きがイザヤ書を生み出し、イザヤ書がキリストの教会を生んだのです。
・人は平和の時には神を求めず、世の出来事に一喜一憂して人生を送ります。多くの人の人生はこのようなものです。苦難を与えられた人は、最初はその苦しみを自分では解決しようとし、次には他の助力を求め、そしてどうしようもなくなった時初めて、神を求めます。そして、神は求める者には応えられます。その真理を知るゆえに、私たちは苦難こそ神が与えられる祝福であることを知ります。イスラエルの民の歴史はそれを示しますし、私たち自身も人生の中で経験してきたことです。「私を贖う者は生きておられる、生きて私と関わりを持とうとされている」。これが福音であり、私たちの信仰です。
・イスラエルの民は2500年の歴史を生き抜き、同じ民族として現在も生きており、70年前の1948年には地上の国家として復活しました。しかし、神の民であるイスラエルは新たな苦難に直面しています。イスラエルの新国家建設がパレスチナに住むアラブ人を追い出す形で為されたため、難民となったアラブ人とイスラエル人の間に70年以上にもわたって戦争が続いています。その中で今年、新しい戦争が始まりました。イスラエルとガザの戦争は、ガザを支配するハマスが突然にイスラエルに侵略し、1200人以上のイスラエル人を虐殺したことで起こり、その報復としてイスラエルはハマスが拠点を置くガザ地方を徹底的に制圧し、1万人を超える犠牲者が生まれています。両者の和解と平和のために私たちには何ができるのか。
・11月25日の朝日新聞「声」欄に、一人の若者の投書が掲載されました(大滝健太さん、神奈川県、25歳)。彼は書きます「武力紛争が世界各地で絶えない。悲しい現実だ。中でもパレスチナ自治区ガザ地区の惨状に連日、心が痛み、怒りを覚える。イスラエルはハマスへの報復として、難民キャンプや、何千人もの患者や民間人がいる病院をも攻撃し、生まれたばかりの赤ちゃんがたくさん亡くなっている。ドイツで暮らした少年時代、学校行事で訪ねたドイツ国際平和村を思い出す。紛争地などで傷を負った子どもを迎え、治療や教育を提供して母国に帰す活動を続ける民間団体。当時はアフリカ地域の子が多かった。私は、腕や足がない子や鼻がつぶれた子と遊んだ。楽しそうに、ひたむきに遊ぶ彼らを力強く感じた。一方で、紛争が何の罪もない子どもの手足を奪い、故郷を破壊している現実にうちのめされもした」。日本は戦争をしない、軍隊は持たないことを憲法で明言している唯一の国です。この「ドイツ国際平和村」のような働きをすれば、世界は変わりうると思います。神学者E.ケーゼマンは語ります「信仰は常に可能性の墓場を乗り越えて成長する」、神に不可能なことはない、それを信じて、私たちは両者の和解と平和を祈り続けます。