江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年3月27日説教(マルコ14:66-72、裏切るペテロ、赦すイエス)

投稿日:2022年3月26日 更新日:

 

1.ペテロの否認

 

・マルコ福音書から受難物語を読み続けています。イエス逮捕の時、弟子たちはみな逃げてしまいましたが、ペテロはイエスのことが気にかかり、「遠く離れてイエスに従った」(14:54)とマルコは記します。ペテロは「イエスに従いました」、それはイエスを愛していたからです。しかし「遠く離れて」、自分も捕えられることを恐れていたからです。ペテロは恐れながらもイエスの後を追って大祭司の屋敷に入り込み、人々が火にあたりながらイエスへの判決を待っている所まで行きました。彼は目立たないように身を潜めて、イエスの様子をうかがっていましたが、門番の女中はペテロを怪しんで中庭までついて来て、「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいたのではないか」(14:67)と問責します。前にペテロがイエスと一緒にいた時に見かけたのでしょう。ペテロは本能的に否定します「あなたが何を言っているのか分からない」(14:68)。最初の否認です。

・ペテロは臆病ではありません。イエスのためであれば死んでも良いと心底から思っていました。彼は他の弟子たちが逃げ去った時、ただ一人、危険を冒して大祭司の邸まで来ました。そのペテロの勇気が女中の一言で吹き飛んでしまいます。私たちも危機に直面し、頭の中が真っ白になり、自分が何をしているのかわからなくなる時があります。この時のペテロがそうだったのでしょう。女中に指摘されて、身の危険を感じたペテロは、人々の目を逃れるために出口の方へ身を寄せます。いつでも逃げられるように、です。しかしイエスのことが気になり、門の外には出ることができません。女中はそのペテロを見つめ続け、「この人はあの人たちの仲間です」とそこにいた人々に告発します(14:69)。ペテロは自分に言われているわけでもないのに、重ねて否定しました。二度目の否認です。

・女中の言葉を受けた人たちがペテロを見つめて言います「確かにお前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」(14:70)。ガリラヤ人には独特の訛りがあり、その訛りでペテロがガリラヤ人であることがわかりました。エルサレムの正統派ユダヤ教徒から見れば、イエスの宣教はガリラヤから生まれた異端運動であり、危険なものと映っていたのです。ペテロは呪いの言葉を吐きながら否定します「あなた方の言っているそんな人は知らない」(14:71)。

・「呪いの言葉」、ヘブル語「ヘーレム」は、殺す、滅ぼすという意味を持つ強い言葉です。そのヘブル語がギリシャ語に翻訳されて「アナテマ(呪われよ)」になります。後には破門や異端を糾弾する言葉になります。ペテロはそのような強い言葉を用いて「そんな人は知らない」と言っているのです。三度目の否認です。否認のたびにその調子は激しくなり、嘘はどんどん拡大して行きます。「するとすぐ、鶏が再び鳴いた」とマルコは伝えます(14:72a)。その鳴き声でペテロは我に帰ります。そしてイエスが言われ言葉を思い出しました「にわとりが二度鳴く前に、三度私を知らないと言うであろう」(14:30)と。ペテロはいまや自信も信仰も全くなくなり、外に出て泣き出します(14:72b)。

 

2.私たちに迫る物語

 

・「ペテロの否認」の物語は多くの人々に、「これは私の物語」だと思わせる真実性を持って迫ります。私たちがペテロと同じ立場に追い込まれたらどうするでしょうか。「お前は反逆者イエスの仲間か、そうであればお前も処罰する」と問われて、「私はイエスの弟子です。私はイエスこそ救い主だと信じています」と答えられるでしょうか。同じ出来事が今、ロシアで起きています。あるロシア人女性は新聞に投稿しました「戦争への態度を表明することすらむずかしい。戦争を戦争と言うことすらできない。戦争反対の署名のために仕事を辞めさせられる。デモに出れば、こん棒で殴られたうえに監獄へ入れられる・・・プーチンはウクライナばかりでなく、ロシアをも殺したのです」(朝日新聞、22年3月15日)。ロシア人の中にも、今回のウクライナ侵略は間違っていると思う多くの人がいますが、その中で、「この戦争は間違っている」と言い切るには命をかけた勇気が必要です。私たちもまた、「ペテロのように裏切らない」とは言い切れない弱さを持つ存在なのです。

・ほんの数時間前にペテロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言いました(14:31)。そのペテロが今や「イエスなど知らない」と呪いながら否定しています。人間の忠誠心も勇気もいざという時には無力です。その無力を知った時、人はどうするのでしょうか。ある人は「弱さを人に見せないで、自分の力で何とかしよう」とします。イスカリオテのユダが取った方法です。しかし、ユダは最後には自殺に追い込まれていきます。他方、その弱さを神の前に、人の前に告白する人もいます。ペテロがそうです。その結果、「ペテロの否認」という物語が四福音書全てに残され、私たちはそれを自分の物語として、それぞれの立場で、聞いています。普通、どのような集団も指導者の弱さや失敗は隠そうとします。しかし、初代教会は、筆頭弟子であるペテロの否認物語を詳しく語り続けます。何故ならば、この物語の中にこそ、福音(良い知らせ)があるからです。

・多くの画家がこの物語を絵画表現しましたが、レンブラントはルカ福音書に基づいて「聖ペテロの否認」という絵を描きました。罪を犯したペテロを、イエスが遠くから悲しげな目で見つめる構図になっています(ルカ22:61-62「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、“今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう”と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」)。レンブラントはイエスの眼差しの中に、既にペテロが赦されていることを暗示しています。

 

3.ペテロの復活

 

・ペテロはイエスを裏切り、外に出て、大泣きしました。しかし、死を選びませんでした。その結果、彼は復活のイエスに出会い、教会の指導者として生かされていきます。そのペテロが自分の過ちを告白した言葉が聖書の中に残されています。今日の招詞として選びました第一ペテロ2:24がそれです。ペテロは告白します「(イエスは)十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。

・ペテロはイエスを裏切りました。しかし復活されたイエスは最初にペテロに顕現されます。パウロは証言します「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファ(ペテロ)に現れ、その後十二人に現れたことです」(第一コリント15:3-5)。ペテロはイエスとの再会によって、自分の過ちにも関わらず、イエスが自分を赦して下さったことを知り、新しい命に生きます。

・そのペテロの赦しの記事がヨハネ福音書21章にあります。弟子たちはイエスの死後、失望して故郷ガリラヤに帰り、そこで復活のイエスに出会います。その時、イエスはペテロが裏切ったことを責められず、ただペテロに「私を愛するか」と三度聞かれました(ヨハネ21:16)。ペテロは泣きながら告白します「主よ、あなたは全てをご存知です。あなたは私の弱さを知っておられます。私はかつてあなたを裏切ったし、これからも裏切るかも知れません。しかし、私がどんなにあなたを愛しているかをあなたはご存知です」。そのペテロにイエスは「私の羊を飼いなさい」と命じられました(ヨハネ20:17)。かつてイエスを裏切った自分に群れが委ねられた事を知った時、ペテロは生れ変ります。復活のイエスとの出会いはルカ5章にも記述されているとされています。イエスが「沖に漕ぎ出して漁をしなさい」と言われ、弟子たちがそれに従うと網が破れそうなほどの大漁になりました。それを見たペテロは陸に上がり、イエスの足元にひれ伏して言います「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」(ルカ5:8)。「私は罪深い者なのです」、ペテロが生涯背負ったであろう悔い改めがそこにあるようです。

・ペテロは紀元67年、ネロ皇帝迫害下のローマで殉教したと言われています。マルコは紀元70年頃書かれた書であり、ペテロの殉教を知っています。殉教者ペテロでさえ、若い時にはイエスを否認した、それは弱い私たちへの慰めの物語だとして、マルコはあえてペテロ否認の物語を受難物語の中に組み込んでいきます。ペテロは生前に何度も、自分がイエスを裏切ったこと、それにも関わらずキリストは彼を赦して下さったことを、教会の信徒たちに話したのでしょう。だから記録が残った。彼は告白します「(イエスは)十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです」。ペテロの告白は、彼の生々しい体験から生まれた証言なのです。そしてペテロは最後に言います「そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。

・ペテロはローマで殉教して死んだと伝えられています。伝承に依れば、ネロ皇帝のキリスト教徒迫害が起きた時、ペテロはローマにいましたが、弟子たちはローマから逃れることをペテロに勧め、ペテロはローマを後にします。その途上で彼は復活のイエスに出会います。ペテロはイエスに尋ねます「クオ・バデス・ドミネ」、ラテン語「主よ、何処に」という意味です。そのペテロに対してイエスは言われます「おまえが私の民を残して去るならば、私は再び十字架にかけられる為にローマに行くであろう」。この言葉を聞いてペテロは逃げようとした自分を恥じてローマに戻り、十字架につけられて殉教して死んでいったとシンケヴィッチは「クオ・バデス」の中で書きます。

・ペテロが殉教したと伝えられる地にサン・ピエトロ教会(聖ペテロ教会、今日のバチカン)が建てられており、教会の扉には逆さ十字架につけられたペテロが彫り込まれています。逆さまに(頭が下の状態で)十字架に掛けられた、ペテロは「自分はイエスを裏切ったのだから、イエスと同じ状態(頭が上の状態)で処刑されるのは恐れ多い」として、自ら逆さ十字架を望んだとされています(オリゲネスの手紙)。

・ペテロは自分の弱さを知り、祈り求め、主によって強くされました。殉教のペテロはもはやイエスを否認したペテロではありません。打ち砕かれて新しく生まれたペテロです。これはペテロの努力や修行による成果ではなく、ただ神の恵みによるものです。人は一度犯した罪や過ちを消すことはできません。しかし、罪を認め、泣くことはできます。それが悔い改めです。ペテロは自分の罪を神の前に差し出し、神はそれを見てペテロを起こしてくださった。死んだペテロが復活した。罪とその苦しみを正面から認めることによって、罪にもかかわらず受容されるという経験をもたらします。そして人が挫折した所から神の業が始まります。ペテロは最期まで弱い人間でした。しかし、自らの弱さを知り、主を求め続けました。そして求める者には強さが与えられます。ペテロのイエス否認物語はそれを私たちに伝えます。

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