江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年8月1日説教(ローマ1:1-17、信仰によって生きる)

投稿日:2021年7月31日 更新日:

1.パウロからローマ教会への手紙

 

・8月から「ローマの信徒への手紙」を読んでいきます。この手紙は、パウロが帝国の首都ローマの教会に宛てた書簡です。このローマ書は、世界の教会を変革してきた書簡です。ルターはローマ3:28「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」との言葉から、「信仰のみ(ソラ・フィデ 、Sola fide)」の真理を見出して、宗教改革を始める契機になりました。内村鑑三の講演集「ロマ書の研究」は日本の教会の礎を作ってきました。私が教会に行くきっかけになったのも、学生時代に読んだ「ロマ書の研究」でした。現代神学の祖といわれるカール・バルトの出発点もこのローマ書です。第一大戦後の信仰の荒廃の中で(キリスト者同士が殺し合いをした)、バルトはひたすらローマ書を読み込み、その成果を出版し、当時の神学を書き替えていきました(1919年「ローマ書」第一版、22年第二版)。

・この手紙を書いているパウロはコリントにいます。2年にわたったアジア州での伝道活動を終え、港町コリントで、エルサレムに渡るための船便を待っています。マケドニア州とアカイア州の諸集会からの献金を携えてエルサレム教会へ行くためです。コリントやエフェソ等の異邦人教会と、エルサレムのユダヤ人教会の間には、信仰の在り方をめぐって、対立がありました。そのため、パウロは異邦人教会からの捧げ物をエルサレム教会に持参し、両者の和解の使者になろうとしています。この時、パウロはエルサレムに行けば命の危険さえあることを予想しています(使徒20:22-23、彼を裏切り者とするユダヤ教徒からの迫害危険がありました)。パウロの心は西へ、ローマに向いていますが、今はエルサレムに行かなければならない。パウロは手紙の結びで、これからの計画を述べています「今は聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます・・・私はこのことを済ませてから・・・あなたがたの所を経てイスパニアに行きます」(15:25-29)。パウロは生きている内に、「福音を全世界に伝えたい」と考えていました。帝国の東半分に福音を伝えた今、帝国の西半分にまで(ガリア、エスパニアまで)福音を伝えることがパウロの悲願であったのです。しかし、今は行けないため、パウロはローマ訪問に先立って、自分が宣べ伝えている福音を理解してもらうために、手紙をローマ教会へ送ります。
・書簡の宛先はローマにいる信徒たちです(1:7)。30年代初頭にエルサレムで始まった「イエスをキリスト(救い主)と信じる信仰」がローマにも伝えられ、40年代にはユダヤ人を中心とした信徒の群れがローマにも形成されていました。最初期のキリスト者たちは、ユダヤ教の一派としてユダヤ教会堂(シナゴーク)の中で活動していたようです。ところが、会堂の人びとの間に対立と騒乱が起こり、皇帝クラウディウスは49年にユダヤ人をローマから追放します。この騒乱の中に、アキラとプリスキラ夫妻もいました。夫妻はローマを追放されてコリントに行き、そこでパウロと出会い、宣教の働きを共にするようになります(第一コリント16:19)。パウロはアキラとプリスキラ夫妻からローマ教会の状況を聞いたものと思われます(16:3)。

2.ローマに特別の思い入れを持つパウロ

 

・ユダヤ人信徒がローマから追放された後、異邦人信徒たちは個人の家で集会を続けていましたが、クラウディウス帝の死とともに(54年)、ユダヤ人キリスト者たちがローマに帰ってきます。ユダヤ人信徒が追放されていた5年間に状況は大きく変わりました。教会の主力は異邦人信徒となり、首都のキリスト信仰が「全世界に言い伝えられる」ようになりました(1:8)。そこへユダヤ人信徒が戻って来て、問題が生じました。生活慣習が異なり、信仰の在り方が違う両者の間に対立が生まれていきます。

・あいさつの言葉を終えた後、パウロは続けます「あなたがたの信仰が全世界に言い広められている」ことを神に感謝しています(1:8)。それに続いて、何とかしてローマを訪れたいという念願を伝えます(1:9-10)。ローマは世界の中心であり、一切がそこへ集まり、そこから出て行く場所です。パウロはそのローマに自分に委ねられた福音を確立し、そこを拠点として全世界に福音を伝える働きを進めたいのです。パウロは語ります。「あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたい」(1:11)、さらに「あなたがたのところで、あなたがたと私が互いに持っている信仰によって、励まし合いたい」(1:12)と語ります。お互いの協力によって、「あなたがたのところでも何か実りを得たいと望む」(1:13) という願いを実現し、首都ローマに西方世界伝道のための拠点を確立したいのです。パウロは「異邦人への使徒」としての使命感を語ります「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります」(1:14)。「未開の人」とはギリシア語を話さない帝国西部の人々を指すのでしょう。文明の種類を問わず、文化や教養の程度を問わず、人間がいる所に福音が伝えられなければならない、世界の全体に福音を満たす責任があると感じているパウロは、その帝国の中心であるローマに福音伝道の拠点を確立することを熱望するのです(1:15)。

 

3.無条件の赦しの中で

 

・このようなパウロの手紙が何故、その後の世界史を変える力を持ったのでしょうか。パウロは手紙の中で、「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現される」(1:17)と語ります。「人を救うのは律法の行いではなく、信仰なのだ」と(3:28)。ユダヤ人は律法を守ることによって、人は救われると考えていました。その彼らに、「人が救われるのは、律法の行いではなく、信仰による」とパウロは宣言しました。宗教改革者ルターはパウロの言葉から、「人間が救われるのは、教会が定めた様々の献身や業績を積み上げることによってではなく、神を信じ、神がキリストにおいて為された救済行為を信じる、その信仰による」として、カトリック教会の「功績主義」を否定し、宗教改革を断行しました。当時の教会は善行を積めば救われる、献金すれば救いは近づくとして、行為中心主義に陥っていたのです

・「信仰のみ」とはどのような意味なのでしょうか。それを考えるために、今日の招詞にルカ15:32を選びました。次のような言葉です。「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。「放蕩息子」の譬えの中での父親の言葉です。物語は「ある人に二人の息子がいた」という言葉で始まります。弟息子は堅苦しい父との生活にうんざりして家を出て行く決意を固め、財産の分け前をもらい、遠い国に旅立ち、お金を湯水のごとくに浪費してしまいます。その時飢饉が起こり、彼は食べるものに困り、ユダヤ人にとって不浄な豚を飼う者になり、その豚の餌さえ食べたいほど飢えに苦しみます。落ちるところまで落ちた時、弟息子は我に返り、「父のところに帰ろう」と決意します。人は落ちるとこまで落ちないと神を求めず、求めない者には何も与えられません。しかし、求める者、「父のところに帰ろう」と決意した者には神は答えて下さいます。父親は息子の身を案じ、帰って来るのを待っていました。その息子が帰って来た。息子は謝罪の言葉を口にし始めますが、父親はさえぎって使用人に命じます「いちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」。父親は放蕩息子の帰還を無条件で喜び迎えます。

・他方、兄息子は弟が家を出た後も父の元に残り、仕事を手伝っていました。その日彼は朝から畑で働き、家に帰って見ると、弟が帰ってきて、父親が大騒ぎをしています。家を飛び出して放蕩の限りを尽くした弟を無条件で迎え入れる父親を兄は許せず、不満が爆発します「あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。自分を正しいと信じる人は過ちを起こした人を赦せないです。その兄息子に父親が語る言葉が招詞の言葉です。ここに条件なしの神の赦しが示されています。

・パウロはローマ教会への手紙の中で、「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(1:17)と語ります。「人を救うのは律法の行いではなく、信仰だ。救いは神の無条件の恩恵なのだ」(3:28)とします。宗教改革者ルターはパウロの言葉から、カトリック教会の功績主義を否定し、宗教改革を断行しましたが、時代を経るに従い、信仰が強調されるようになり、「信じない人は救われない」、「洗礼を受けていない人は救われない」として、信仰が律法のようになりました。洗礼を受けないと救われないとは、割礼を受けないと救われないと主張していたユダヤ人キリスト者と同じです。

・新共同訳聖書では「初めから終わりまで信仰を通して」(1:17)と信仰が強調されますが、原文では「神の信実から人の信実へ」であり、救いは「神の信実」によってもたらされるとあります。つまり、「神の信実」(救済)が先にあり、その応答として「人の信実」(信仰)が生まれるのです。それはパウロがダマスコ近郊で体験した突然の神の赦しであり、放蕩息子が落ちるところまで落ちて父の家に帰ってきた体験でもあります。救いの条件は神からの手が差し伸べられ、それに応答することだけです。父なる神は悔い改めた者を一方的に受容します。救いの源は神の側からの信実であり、人間の側の信仰や功績ではありません。

・聖書学者の上村静氏は語ります。「イエスの伝える神の支配のメッセージは“人は良いものではないが、そのままで生かされてある”というものであった。イエスの復活顕現を体験した弟子たちは、“キリストの出来事によって人の罪は赦される”と信じた。両者は同じメッセージを伝えている。人は罪を背負った存在であるが、その人間を神は一方的に受容する、これが福音である。イエスも弟子たちもパウロも、それを宣べ伝えようとした。しかし、やがて教会は、福音を告げ知らせるだけでなく、福音の受容(信仰)を救済の条件にしてしまう。それはもはや“良い知らせ”ではない」(論文集「イエス、人と神へ」)。信仰が救済の条件となった時、信仰もまた律法主義化してしまうのです。洗礼を受けずに亡くなった私たちの祖父母や父母も救われるとペテロは証ししています(第一ペテロ3:19)。これは私たち日本人には福音です。

・イエスは放蕩息子の父の喩えを通して、無条件に赦す神の恵みを語られました。無条件の赦しを与えるこの父こそ、イエスが示された「神」です。福音=良い知らせとは神の側から為された無条件の赦し(十字架の贖い)の提供であり、私たちは感謝してそれを受ければ良い。癲癇を患う子の父親はイエスに叫びました「信じます。信仰のない私をお助け下さい」(マルコ9:24)。これが正直な信仰者の言葉です。神は見えないから、誰もが疑いつつ求めているのです。イエスが十字架上で絶叫された「わが神、わが神、どうして」という言葉こそ、絶望してもなお神の名を呼び続ける求めであり、神は求める者を神は拒否されない、その結果として復活が与えられたと私たちは理解します。神への信頼さえあれば人は救われるのです。

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