江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年6月7日説教(第一テサロニケ1:1-10、希望の信仰)

投稿日:2020年6月6日 更新日:

1.無牧になった教会を心配するパウロ

 

・6月に入りました。6月、7月の2ヶ月間は、パウロの書いた「テサロニケの信徒への手紙」を読んでいきます。この手紙はパウロが紀元50年ごろに書いたとされ、新約聖書に収められている諸文書の中で、最も古いもの、最初に書かれたものです(福音書が書かれたのは70年代、80年代です)。テサロニケはマケドニア州の州都で、陸海の交通の要所として栄えた都市でした。初めてギリシアに渡ったパウロらは、先ずフィリピで伝道し、そこに信徒の群れ、教会が生まれました。しかし敵対者たちによる騒動が起こり、投獄され、フィリピを退去せざるを得なくなり、次に伝道がなされたのがテサロニケでした。パウロは手紙の中に記しています「私たちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、私たちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした」(2:2)。テサロニケはマケドニア州の州都であり、大都市で、そこにはユダヤ教の会堂がありました。パウロ一行は会堂を拠点として、宣教活動を行います。使徒言行録17章にその記述があります。「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた・・・このメシアこそ私が伝えているイエスである』と説明し、論証した」(使徒言行録17:2-3)とあります。「ナザレのイエスこそ聖書に約束された救い主(メシア)である」とパウロは説きましたが、ユダヤ人たちはパウロの言葉を受け入れません。

・しかし、「神をあがめる多くのギリシア人や・・・主だった婦人たちは二人に従った」と使徒言行録は記します(17:4)。テサロニケで信仰に入った人々の多くは、ギリシア人や女性たちだったのです。それはギリシア人や女性たちは、ユダヤ教会の中で一人前の扱いをされていなかったからです。民族主義的なシナゴークの中において、改宗してもまだ割礼を受けていない異邦人は、二級信徒の扱いでした。婦人たちも、男性中心のユダヤ教会の中では活動の場がありません。その彼らにパウロは呼びかけました「バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく・・・男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:27-28)。ユダヤ人も異邦人も、男も女も、キリストにおいては一つであり、何の差別もないというパウロの言葉が彼らに迫り、彼らはイエスをキリスト、主として受け入れました。人間の言葉だけでは人を悔い改めさせることはできません。感心させることはできても、人の心をひっくり返すことはできません。それを可能にするのが聖霊の働きであるとパウロは語ります。「私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れた。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いている」(2:13)。説教の言葉はそれを信頼して受け入れた時に神の言葉になりえます。

・こうしてユダヤ教会から分離する形でキリスト教会が生まれていきましたが、それは土地のユダヤ人に大きな反発をもたらしました。今まで自分たちの会堂に集っていた人々が、会堂を出て、パウロの集会に行くようになった。教会分裂がここに起きたのです。ユダヤ人たちは市当局者のところに行ってパウロたちを告発します。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています・・・彼らは皇帝の勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っています」(使徒言行録17:6-7)。ローマ帝国に対する反逆者としてパウロたちが告発され、騒動のため身に危険が迫り、パウロたちは町を出ます。パウロたちは、生まれてまだ数カ月の教会を後に残してこの町を去らなければならなくなりました。テサロニケ教会の人々の側から言えば、自分たちに福音を告げ知らせ、信仰へと導いてくれた、そして教会の土台を据えてくれた伝道者パウロが、数カ月で、突然いなくなってしまった。残された彼らは途方に暮れたことでしょう。まだ生まれたばかりの、整っていない未熟な群れが、指導者を失ってしまう、そういう試練の下に置かれたのです。

・その後、パウロたちはベレア、アテネを経由して今は、コリントに来ました。パウロはコリントで伝道しながら、テサロニケに残してきた人々のことをずっと気にかけていました。自分たちは夜逃げ同様に逃げ出して来たけれども、信仰に入った人たちは、あれからどうしているだろうか、ぜひ会いに行ってこの目で無事を確かめたいと願いますが(2:17-18)、中々機会がない。我慢ができなくなったパウロは、様子を探るために若い弟子テモテをテサロニケに派遣します(3:1-2)。そのテモテが、間もなく吉報をもたらします。「テモテが・・・今帰って来て、あなた方の信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました」(3:6)。報告を受けたパウロは、喜びを爆発させます。「私たちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」(3:9)。その感謝の捧げものとして、テサロニケ人への手紙が書かれました。

 

2.牧会者無しで、信仰・希望・愛に立つ教会

 

・手紙には、テサロニケ教会が困難な状況下にありながら、信仰を守っていることを聞いたパウロの喜びがあふれています。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、私たちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、私たちは知っています」(1:3-4)。あなたがたは神に愛されている、困難な状況の中で信仰を保ち続けてくれたことを考えると、そうとしか思えないとパウロは言います。この短い言葉の中に大事な三つの事柄が含まれています。信仰の働き・愛の労苦・希望の忍耐です。

・最初に「信仰の働き」です。ここでは「信仰」という言葉に、「働き」という言葉が結び合わされています。働きとは業、行いです。パウロは繰り返し「人が救われるのは信仰によるのであって業ではない」と語ります。救いは神の側からの一方的な恵みですが、信仰によって救われた者は、その恵みに答える応答の生活をしていくからです。パウロが投獄や鞭打ちの苦難を冒してまで、福音宣教のために働くのは、彼自身が救われた感謝からです。救われた者は隣人に福音を伝えるために働くのだとパウロは言います。

・次に「愛の労苦」です。人を愛するとは、相手の労苦を負っていくことです。イエスが私たちの労苦を負って下さったから私たちは世の束縛から解放された、だから今度は私たちが隣人の労苦を負っていく。良きサマリヤ人の喩えを思い出して下さい。彼は強盗に襲われて道に倒れている人を介抱し、宿屋に連れて行き、宿代を代わりに払っています。愛とは「時間とお金を捧げる行為、労苦」なのです。目の前の一人の人の労苦を共に担い、隣人になっていく。パウロは手紙の中で語ります「私たちは自分の命さえ喜んであなたがたに与えたいと願っています」(2:8)。

・最後に「希望の忍耐」です。この希望とはイエス・キリストに対する希望です。目に見える現実には希望はないかもしれません。テサロニケの人々は、キリストを信じたばかりに世の人々から迫害されています。しかし人々はキリストの再臨に望みを置いています。今、どのような不当な迫害の中にあろうとも、審きの日に労苦は報われるとの希望です。この信仰、希望、愛にテサロニケの人々がしっかり立っている、これは神の恵み以外にはありえない、だから感謝しますとパウロは述べています。

 

3.いつも喜び、絶えず祈り、全てに感謝しなさい

 

・今日の招詞として、第一テサロニケ5:16-18を選びました。次のような言葉です「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。テサロニケ教会は、パウロたちが逃れた時、牧会者がだれもいない中に取り残され、周りの人々からの迫害の中で、礼拝を守り続けました。牧会者がいなければ、どのように礼拝を守ればよいのか誰もわからない。彼らの手元には数冊の聖書しかなかったでしょう。その状況の中で彼らは、パウロから聞いた教えを語り合い、相互の交わりをなし、主の晩餐式を行い、祈りました。礼拝をしながら、「うめく」こともあったでしょう。神に対して、「何故私たちを見捨てられたのか」と叫ぶ時もあったでしょう。現在多くの無牧教会がありますが、それぞれの無牧教会はうめきながら礼拝を執り行っています。

・私たちのバプテスト連盟には330の教会・伝道所がありますが、そのうち30教会は無牧です。しかし無牧教会は決して孤立しているわけではありません。必ず近隣教会からの支援が、説教や礼典執行の支援があります。20年前に私たちの教会が2年間無牧になった時も、隣の船橋バプテスト教会の三ツ木先生が月二回の説教奉仕で支えてくださいました。テサロニケ教会もマケドニア州やアカイア州の他の教会からの支援を受けていました。手紙にあります「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡った」(1:8)ということは、テサロニケ教会が近隣教会と密接な交わりの中にあったことを示しています。そして何よりも、パウロやテモテからの祈りの支援がありました。「自分の命さえ喜んであなたがたに与えたい」(2:8)と願う祈りがテサロニケ教会を支えました。テサロニケ教会は孤立無援の中に放置されたのではなく、近隣教会とパウロたちの祈りの輪の中に、彼らは信仰を保ち、成長することが出来たのです。

・宣教は言葉ではなく、私たち信徒の生き方を通して為されて行きます。テサロニケ書注解の中で、W.バークレーは語ります「木はその実によって知られる。そして宗教は、その宗教が生み出す人間によって知られる。キリスト教の正しさを立証するただ一つの方法は、最も優れた信仰が最も優れた人間を生み出すことで証明される」。テサロニケの人びとはパウロの信仰を見て神を知りました。バークレーは続けます「外部の世界にいる人々は説教を聞きに教会に来ることはしない。彼らは教会の外で毎日私たちを見ている。私たちの生活こそ、人々をキリストのために勝ち取ろうとする宣教でなければいけない」。今度は私たちがパウロの働きをする番です。どうすればよいか、簡単です「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝」すればよいだけです。キリストの名によるバプテスマを受けた私たちには必ずできる生き方です。

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